第7話 ハワード夫人の焦燥

 "彼"は私を孤独から救ってくれた"希望"だ。


 俺がもう君を孤独にはしない――その言葉の通り、彼の住む国に着いてからもずっと傍にいてくれる。


 世間では私が男だと思われていたため、街を出歩いていても気づかれることは無かった。


 ここでは、私は自由だ。


 誰も私の力を求めてこない。私を"人"として接してくれる。


 これも、彼がそうなるようにしてくれたおかげだ。


 私を勇者としてではなく、妻としてこの国に迎えてくれたのだ。




 愛する夫がいて、望んだ生き方ができている。

 不満なんてあるはずがない。



 ……そのはずなのに、私は満たされていない。


 ――これは戸惑いなのだろうか?

 急激な環境の変化に、私は戸惑っているから満たされないのだろうか。


 ――それとも罪悪感を感じているから?

 無理やり制約をかけ、共にいることを強要したからなのだろうか。



 どちらも違う。


 私はそんな繊細なことに気をやれるほど、上品な人間ではない。


 欲しいと思ったものは何が何でも手に入れる性分だ。

 

 それこそ、伝説の化け物を倒すくらいに。




 では、なぜ?


 そんなことをここ最近ずっと考えていて、ある答えに辿り着いた。



「私は彼に必要とされているのだろうか」



 言葉に出して、自分に問いかける。


 今まで私は望みもしない"勇者"という役割をこなすことで数多の人から必要とされてきた。


 それから解放された私には、一体何が残るのだろう。


 ――そもそも私は何ができる女なのだ?


 彼は私のことを美しいと言ってくれる。


 だが、王都を見回してみるとどうだろうか。


 上手く化粧をし、愛想のいい女性はいくらでもいる。


 対して私はどうだ? 化粧すらろくに覚えず、愛想の振り方を知らない。

 料理も大雑把、手芸で手ぬぐい一つまともに縫えない私をどうして必要としてくれるというのか。


 そんな自己嫌悪の果て、辿り着いた答えは"不安"だ。


 "必要とされていない"という不安が、私を苛立たせる。


 だからこう思うのだ。


 ――もっと彼を、彼に必要とされたい、私無しでは生きていけないようにしたい。


 これは渇望だ。彼という希望を手に入れ、次に渇望して欲する。


 私は、自分で思っていた以上に欲深い人間だ。








 王都の端にある借宿の一室。


 俺が彼女のために用意した部屋で、俺もここで暮らしている。


「ユーリー、疲れていないか? この前も顔を腫らして帰って来たし、仕事大変なんじゃないのか。何か私に手伝えることは無いだろうか」


 妻、エリオット・ハワードがこちらを心配そうに伺う。


 最初に出会った頃の強引さは何処へやら。今はすっかりしおらしい性格になった。


「いや、その必要はない。それよりも食事にしようか。何が食べたい?」


 食材はいつも一通り揃えている。

 料理はいつも俺が担当し、そのために必要なものは常に買い足しているからだ。

 

 料理の出来る男は好評だと気づいていたから、若い頃から料理を嗜む程度にやってきた。


 それに、彼女は控えめにいっても料理が下手だ。


 というよりも今まで食事を楽しむという習慣が無かったのだろう。


 肉を塩すら振らずに焼いて食べようとしたときは、流石に驚いた。



「今夜は私がやる。大丈夫だ。肉に胡椒もかけることは覚えた」


 不安しかない。


 肉に塩コショウを振りかけることが料理と認識している時点で問題だ。


「料理は俺の担当だから、エリーは何もしなくていい」


 "エリー"――彼女のことを愛称で呼ばないと癇癪をおこし泣き出す。


 どうも最近、彼女の精神状態は不安定だ。


 今も何か不満そうな顔をしている。



「――どうしてそんなことを言うんだ。なぜ私を遠ざける。もしかして、他に女がいるんじゃないのか」


 他の女――今まで関係を持った女性とは、縁を切ってきた。


 その代償に顔を林檎のように真っ赤に腫らした。


 だが、唯一気がかりな女が1人いる。


 昔、街で暴漢に絡まれているところを助け、しばらく一緒に生活していた女。


 5年ほど前に再開し、それ以降苛烈ともいえるほど俺を激しく求めてきた女。


 そして、俺がこれまでに最も愛した女。

 

 

 だが、エリーはそのことに気付いてこんなことを言っているわけではない。


 彼女は勇者と呼ばれていた割に、その精神は未熟なままだ。


 おそらく、これまで独りぼっちでいた反動で俺に強く依存しているのだ。


「馬鹿なことをいうな。"真実の石板"ってやつで制約まで課したじゃないか。お前のいう"魂の婚姻"ってやつはよく分からんがな」


 勇者と王国へ帰る道の途中、何とか真実の石板といわれる物騒なものに刻んだ制約の内容を聞き出そうとした。


 そして引き出せた言葉は"魂の婚姻を結んだ"という訳の分からないものだった。


 兎にも角にも、俺は勇者から逃げることはできない。


 ならば、この寂しさで泣く哀れな少女のような女を受け入れよう。


 せめて自分の人生は、迫られて決めるよりは自らの意志で決めたい。



「そんなことは分かっている! ユーリーは私と離れることはできない。だが、本当は嫌なんじゃないのか? 私のことを鬱陶しく思っているんじゃないのか? ――本当は、私なんて要らないんじゃないのか?」


 今にも泣きだしそうな顔で俺の胸にしがみつく彼女。


 彼女は、本当の"孤独"が何なのか気付いたのかもしれない。


 人はいつ孤独を感じるのか。

 独りでいるとき? ――違う

 誰かに裏切られたとき? ――これも違う


 本当の孤独は、親しい者と一緒にいるときに実感するものだ。

 最初から独りだったなら、それは寂しさを知る。

 誰かから裏切られたなら、それは悲しさを知る。


 孤独とは、親愛と幸福を得て、それを失うことを想像して初めて知る。



「エリー、君と出会ってまだ日も浅い。君が不安になるのは互いが未熟だからだ」


「未熟……私の愛を疑うのか? 私はこれほど愛しているというのに、ユーリーは私を必要としてくれないじゃないか! 君はもっと私を求めるべきだ!」


 彼女はその必死の表情から涙が零れ、俺を責めるように睨む。


「必要だから愛する、必要でないから愛せない――これが未熟じゃないなら何だというんだ?」


「――ッ」


「君を責めているわけじゃない。必要なのは時間だ。互いに、一人で少し考える時間が必要というだけだ」


「ひとり……?」


「しばらく、距離を置こう」


 俺の言葉に、彼女の表情が凍り付くのが分かる。


 ひび割れていて、いまにも崩れそうなほど脆く感じるのは、彼女の感情を表しているからだろう。


「ご、ごめんなさい。そんなこと、言わないで、独りにしないで」


 震える手でより強く俺の体にしがみつく彼女。

 その声色はまるで迷子の子供が親を呼ぶかのような悲痛だ。


「君を孤独にしない。これは嘘じゃない。だが、痛みや悲しみを伴わない愛はいつまでも未熟なままだ」


「ァ――ァぁア――」


 彼女の手を振り払い、俺は家を出た。

 背後からは彼女の声にならない悲痛の叫びが聴こえてくる。


 願わくば、孤独を乗り越え成長してほしい。俺はそう思った。









「――君はもっと私を求めるべきだ!」


 最近、いつもこうだ。


 気づけばユーリーを責めるようなことばかり言っている。

 些細なことで苛立ち、それをいつも彼にぶつけている。


 言葉にしてからいつも後悔する私を、いつも彼は傍にいて宥めてくれる。


 彼は私を恐れない。どんな化け物よりも強い力を持つ私に、優しく接してくれる。


 だが、彼は時々私を憐れんでいるように見る。


 私はその目が怖い。

 

 その憐れみが私の不安をより大きくさせるからだ。 



「――君が不安になるのは互いが未熟だからだ」


 未熟――その言葉が私の心に深く刺さる。


 彼の言葉はいつも私を大きく揺さぶる。


 私の愛は未熟だと、本当の愛ではないのだと、そう言われている気がする。



「必要だから愛する、必要でないから愛せない――これが未熟じゃないなら何だというんだ?」


 もう、やめてくれ。


 これ以上、私の心を暴かないでくれ。


 君を本当に愛しているんだ。嘘なんかじゃない。


 これは、私のわがままなんかじゃない。



「――互いに、一人で少し考える時間が必要というだけだ」


「ひとり……?」


 何を言っている。


 ユーリー、やめろ。それ以上言うな。どうしてそんな酷いことをいうんだ。


「しばらく、距離を置こう」


 ――寒い、体中から熱が消えていくのが分かる


 どうしてこうなる? そんなことを望んだんじゃない。


 ただ、私は君に必要とされたい。君に愛されたいだけなんだ。


 私が悪かった。だから独りにしないで。


 やくそくしてくれたじゃないか。孤独にしないって、いってくれたじゃないか。


「――」


 彼が何か言っている。

 だけど聞き取れない。体が硬直していて、麻痺している。

 

「ァ――ァぁア――」


 何か、悍ましい声が聴こえる。

 言葉にすらならない叫び。とても悲しく、寂しい声。


 ――あぁ、これは私の声か。


 焦点の合わない視覚で、彼が家を出るのが見える。


 広い家に私は取り残された。


 先ほどまで彼がいた痕跡が、部屋中に残る。


 彼が着ていた服や、手袋、使っていた鞄やペン。



 私はそれらをかき集め、夜が明けるまで抱きしめていた。




 一晩中、眠れなかった。


 涙は枯れ、目は赤く腫れている。


 ずっと考えた。なぜ彼が出て行ってしまったのかを。


 なぜ彼が私のものになってくれないのかを。


 

 ――きっと、他に女がいるからだ



 彼は王都の役人だ。

 いくら一方的に別れようとも、会おうと思えば会える。


 だが、彼の心が私のものにならない今、会うのはつらい。


 なら、その原因である女をどうにかすればいい。


 彼が私のものになろうとしないなら、私以外のものを無くせばいい。


 そうすれば彼は私を求めてくれる。私無しでは生きていけなくなる。


 


 最初から、こうすればよかった。


 いくら転生後も巡り合う"魂の婚姻"を結んだからといって、油断してはいけなかったのだ。


 今を疎かにしてはいけない。


 今まで力を使えば使うほど孤独を感じていたから使うことに躊躇していたが、今なら何の抵抗も感じないだろう。


 例え世界中の人々が私を恐れて離れていこうとも構わない。


 私が欲しいのはたった1人だけ。


 そのためならばこの力はいくらでも使える。



 フフ、我ながら都合のいいことだ。


 だけど仕方がない。


 私は、欲深い女なのだ。

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