第6話 女首領マチルダ 後
ある日の夜、王都の有名な商館で会合が開かれていた。
集まる面々はこの国の"裏の顔"とも呼ばれる者たち。
裏社会の闇組織、その中でも有力な4つの組織の首領たちだ。
彼らは皆、自分の価値がどれほど高いか競うように金と宝石で出来た高価な装飾品で自分を着飾る。
その後ろには王国で名の知れた剣士や魔法使いといった実力者たちが闇組織の首領たちに雇われ、護衛をする姿があった。
そしていつもはこの4人の首領たちで行われる会合に、その日はもう1人の客人が招かれていた。
客人の名は『マチルダ』
ここ10年、王都で急激な成長を遂げている新興組織のリーダーで、彼女に敵対する闇組織が次々に壊滅され、ますます影響力を高めている新進気鋭の若き女傑。
4人の首領を前にしても臆することはなく椅子に深く座り、足を組む姿はどこか絵になり、その白く透き通る肌は薄暗い部屋の中でも映えていて真っ赤な口紅を塗った唇はどんな男でも釘付けにするほど蠱惑的だ。
彼女は何一つ装飾品を身に着けてはいなかったが、むしろそんなものは蛇足とさえ思わせるほどの圧倒的な美貌に、その場の男たちは息を呑んだ。
王国の裏社会に長く生き、多くの美女を抱いてきた私ですら言葉で表せぬほど美しい女。
(なるほど、これはまさにカリスマだ)
容姿というのは、その者の印象を決定づける重要な要因である。
性格や信条といったいわゆる中身を重要視する風潮があるが、とんでもない。
どんなに捻くれた性格をしていても、その者の立場が相対的に優れていれば聞き手は都合よく解釈し、その本質は歪められる。
しかし、美醜といった外見は普遍的だ。
容姿の優れたものが身に纏う物は全て美しく見えるのと同じように、優れた容姿はそのまま優れた人間として映る。
私はマチルダに声をかけた。
「よく1人で来てくれた。噂に違わなぬ豪胆さだ」
「じゃないと怖がらせてしまうでしょ? 男はみんな臆病だから」
「「「「――ッ」」」」
マチルダの挑発。
普段ならば到底許しはしない挑発に、我々は何も反論することができない。
護衛を引き連れずたった1人でこの場に来たマチルダに対して、我々の過剰ともいえる護衛の数。
その事実に加え、その美貌から発せられる声色は自信に満ちており、有無を言わさない強さを感じさせる。
「そう邪険にするな、マチルダ。我々は君と友好を結びたくてこの場を設けたのだ」
「友好? あなたたち、いつから仲良し同好会になったのかしら」
「――なんだと!? このアマぁ! あまり調子に乗るなよ!!」
2度目の挑発、それに我慢の限界が達したのか首領たちが立ち上がり恫喝する。
「落ち着け諸君……マチルダ、まずは話を聞いてから判断したらどうかね?」
私は頭に血が昇っている他の首領たちを宥め、マチルダに忠告する。
「この王国の長い歴史の中で、我々のような闇組織はずっと存在してきた。そして我々はいつも危うい緊張感の中、拮抗状態を作り出すことで争いを避け、ある種の"秩序"を王都にもたらしている」
「まるで政治家のような言い草ね」
「その通りだよ、マチルダ。我々はこの国の政治家たちと結託し、この王都の秩序を護っているのだ。そこに君のような無秩序の新参者が出てきたらどうなると思う? 拮抗は崩れ、王都は血で血を洗う争いが起こるのさ」
この国の表と裏、つまり大臣たちのような政治家と我々は一見敵対しているように思われているが、そうではない。
税を上げることに猛反発する国民も、娼婦や麻薬、賭博といった自分の欲望に対して金をかけることにはとても寛容だ。
我々はそういったところから国民の金を吸い上げ、高額の税を国に納める。
この国に最も金を納めているのは貴族でも国民でもない。
我々のような闇組織なのだ。
「――だから? 王都の民がいくら死のうと、私には関係ないわ」
マチルダの不敵な笑みを浮かべる。
「……ふっ、建前はどうでもいいというわけか。本音で話そう、マチルダ。争いが起き、国民が大量に死なれると困るんだよ。我々の大切な収入源がなくなってしまうからね」
そう。貧困に苦しむ弱者ほど、自分の欲望に忠実だ。
数が多く、端金で何でもする労働力になり、その稼いだ金すら我々に貢ぐことで財源にもなってくれる大切な存在。
そういった弱者は、争いが起これば真っ先に死んでしまう。
それは非常に困るのだ。
だからこそ必要なのだ、秩序というやつが。
「――醜いわね。あなたたちが醜いのは、あなたたちの飼い主が醜いからなのでしょうね。まるで影法師そのものよ」
「醜い、か。だが、我々が国民の命を救い、ひいては王国を救っているのは事実だ」
「そうね。あなたたちは彼らに釣った魚を与えて飼い殺しにしている。彼らに釣り方を教えようともせずにね」
「……面白い言い様だ。しかしそれも仕方のないこと。彼らは怠け者でね。せっかく釣りを覚えても、釣れなかったときの悲しみに耐えられないらしい。ならば代わりに与えてやろうではないか。苦労せず楽に得られるなら彼らもそれで幸せなのだよ」
水がどこまでも低い方に流れるように、堕落とはどうしようもなく底がない。
私に言わせれば弱者は"物"だ。
金のために生き、金のために働き、金のために犯し、金のために死ぬ。
そういった機能をもつ、からくり仕掛けの人形。
人形にとっての幸福は、我々のような"人間"に使われることだろう。
「――あらそう。やっぱりあなたたちとは考えが合わないみたい」
そう言葉にし、突如立ち上がるマチルダ。
その全身から放たれる殺気に、私は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
(ご、護衛はどうした!?)
何とか首だけを動かし、後ろを振り返ると護衛たちは皆倒れていた。
替わりに立っていたのは、人型の黒い"影"のような何か。
――なんだ、あれは。これは何かの悪い夢か?
横を見ると、同じく動けずにいる首領たちの影から人型の何かが出てくる。
そしてそれは首領たちの頭を掴み、鈍い音を鳴らして首を折った。
残ったのは、私一人だけ。
「た、たすけ――」
振り絞るように助けを求める私の声は、マチルダの言葉にかき消される。
「冥途の土産にいいことを教えてあげる。人生には悲しみが伴うの。楽に手に入れたものは何の価値もない――人生の味は、涙のように辛いのよ」
目的を終え、私は商館を出た。
くだらない時間だった。
自立した生き方を選ばない蒙昧な国民の命も、それを操ることで支配者になったつもりの道化の命も、等しく無価値だ。
私にとって価値のあるものは、もう10年前から決まっている。
それ以外のことに、興味はない。
しばらく歩き、王都の歓楽街に着く。
私は食べ物と酒、そして煙草を買いに来た。
今咥えている煙草が最後の1本。これがないとストレスが溜まる。
"あの日"から、もう10年になる。
あれから随分と私自身、変わってしまった。
あの頃の思い出は、私にとって幸福すぎたのだ。
力のない弱者だった私たちを助けてくれた"あの人"のように、人間は必ずどこかに善なる心を持っているものだと信じていた。
だが、現実は違っていた。
弱者が弱者を虐げ、搾取する世界。
強者に対して卑下した態度。
つらい現実に目を向けず、ただその場の快楽を享受する脆弱な心。
私の組織が大きくなればなるほど、そういう人間が寄ってくる。
――お前らのために、この組織をつくったのではない
そんな憤りが募り、その捌け口として酒と煙草が手放せなくなる生活になった。
疲れ切ったように重い足取りで歓楽街を歩いていると、背後から声がかかる。
「そこのお姉さん、よければ俺とお茶しないか?」
正直、驚いた。まだ私に声をかける命知らずの男がいたのかと。
大抵の男は私を見て怯み、そのまま引き返す。
過去には自惚れた男がしつこく声をかけてくることもあったが、私が闇組織の首領だと広まった今、そんなことをしてくる奴はいなくなった。
どんな"バカな男"なのかと振り返ってみると、黒い前髪を七三に分け、こんな夜にもかかわらず黒い眼鏡をかけた間抜けな男だった。
なるほど、確かにこれなら私に声をかけてくるはずだ。
あの黒い眼鏡では私の顔など輪郭しか分からないだろう。
普段なら無視するところだが、今回は不思議と興が乗ってしまった。
「……別にいいわよ。どこに連れて行ってくれるの?」
「えっ?」
自分から声をかけておいて、何を驚いているのだろうか。
「あっ、いや、すまん。このパターンは初めてだった」
本当に間抜けな男だ。
だけどなぜだろう、この声を聞いていると凄く心地が良い。
「そう、じゃあ行きましょうか」
返事を聞かずに間抜けな男の手を取り、馴染みの酒場にいった。
「あなた、バカなの? 夜にそんな眼鏡かけて」
私は疑問に思っていたことを直接聞いた。
酒場に着き、一緒に酒を飲んでいる最中もかけているため気になって仕方がない。
「フッ、気になるか? そうだろう、ミステリアスなこの眼鏡が気になって仕方がないだろう」
私をおちょくっているのだろうか。
力づくで眼鏡を奪い、叩きつけて壊してやろうか。
そんなことを考え始めた私に、この男は呑気にお喋りを続ける。
「この眼鏡はな、本当にイイ女を見分けられる優れものだ。いくら化粧が上手かろうと、その佇まいや姿勢は誤魔化せない。イイ女はそこから違うものだ」
なんて阿呆な理由なのだろう。
女好きもここまでくれば感心する。
しかし、私は眼鏡の他に先ほどから気になって仕方がなかった。
――私はこの男と会ったことがある
そんな気がしてならない。
「あなた、そういえば名前はなんていうの?」
こちらの顔など見えていないだろうが、私は男の目をジッと見て尋ねた。
「ユーリ・ハワード。親しい者からはユーリーと呼ばれている」
それを聞いた瞬間、私は彼の眼鏡を奪い素顔を確認した。
彼は眼鏡を奪われ、私の顔を見て驚愕としている。
「――」
それは私の容姿に驚いたのか。
それとも女首領と気付いて驚いたのか。
または"思い出してくれた"のか。
彼の気持ちを推し量ることはできないが、一つだけ確かなことがある。
それは、彼以上に私が驚いたということだ。
10年間探し望んでいた男に出会えたという奇跡。
――あぁ、あぁ! ユーリー!!
一体、何を語ろうか。
これまでの苦労話? 他愛のない日常の出来事?
何なら、積年の想いを彼に告白したっていい。
そしたら、あなたは私に何と返すだろう――
私は歓喜に溺れながらそんなことを妄想し、少女のように純粋な気持ちでいた。
しかし、私の期待とは裏腹に彼の口から出た言葉は非情なものだった。
「お、お前もしかして今話題の女首領なのか?」
――女首領なのか、だと?
……そうか、それで驚いたというのか。
つまり、覚えていないというわけか。私たちを、私を。
「驚いたな。これほどの美女は見たことが無い」
そんな言葉は望んでいない。
幾千幾万と聞いてきた言葉に、価値は無い。
あなたが言うべき言葉は、他にある。
「……? ど、どうした。急に黙って……、まさか怒ってる?」
「――思い出せないというのなら、思い出させてあげるわ。ちょうど、"約束"も果たせるみたいだし」
イイ女になれば、あなたの女になれるのでしょう?
そう約束したもの。
私はユーリーの腕を掴み、高級宿屋に連れ込んだ。
彼は狼狽えてはいたが、碌な抵抗はしなかった。
そして私は彼を抱いた。
何度も、何度も、何度も。
彼が「もう無理だ」と言おうとも、思い出すまで離さない。
いや、もう何があっても逃がすつもりはない。
ユーリーとの一晩は、体中に電撃が走るかのような快楽で身を悶え狂わせた。
彼はその晩、眠れなかっただろう。
彼の体に絡みつく、私の嬌声で一睡もできていないはずだ。
"あの日"と違うのは、もう別れを迎えることは無い。
朝日に怯える必要は無いのだ。
これからはずっと、私とユーリーは共にいる。
「お前、もしかしてあの時の……」
彼はやっと思い出す。
私は彼の上で動くのを止めず、彼に密着するように抱き着き、耳元で囁いだ。
「私の名はマチルダ。やっと伝えられた。ユーリー、愛しているわ」
少女のときに抱いた恋心は、長い年月を経ても捨て去ることができず、彼と再会できないのならこの想いと心中するしかないほどに大きくなっていた。
これはもう恋ではなく、愛。
逢いたいという強い想いが、愛を強くした。
もう酒や煙草に頼る必要はない。
酔い狂いたければ彼の体に狂い、口寂しければ彼の唇を奪う。
もう私たちを別つのは命絶えるその時だけ。
あいしているわ、ユーリー。永遠に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます