第5話 女首領マチルダ 前
聖炎の国――それは大国『フラン王国』の輝かしい繁栄を表している。
周辺国家と比べても一際国土が大きく、また歴史も古い。
文明は最も発展しており、国民の生活水準の高さは他を寄せ付けないほどである。
特にフラン王国の王都は栄華を極め、まさに聖炎の如く輝く街といえる。
同時に、王都はフラン王国で最も犯罪組織が多い都市でもある。
聖炎の輝きが強くなればなるほど影も濃くなるように、王都の闇組織は増え続け、力を増していく。
しかし、そんな強大な闇があるにも関わらず王都の秩序が保たれているのには一つの"とある闇組織"の存在が大きい。
その闇組織は王歴980年頃に結成され、幾つもの敵対勢力を壊滅、吸収していくことで急速に勢力を伸ばし、やがて裏社会を専制、その頂点に君臨するようになった。
この組織の起源はフラン王国に住み着いた難民たちであり、基幹構成員は首領を含め女だけという特徴がある。
女首領の名は『マチルダ』結成当時まだ15歳の少女であったという。
故郷を追われ、国を捨てて5人の仲間たちと共にフラン王国に辿り着いた。
難民の私たちに仕事をさせてくれるような所はどこもなく、15の少女でしかない私たちが生き残るには体を売り、その日食べる物を買える程度の端金を手に入れるしかなかった。
宿など借りるような余裕もないため、昼間は路地裏の日陰から日の差す道行く人々を眺め、夜には路上に立ち、声をかけてくる男を待つ。
私は夜が嫌いだった。見知らぬ男に抱かれる度、心が死んでいくのが分かる。
――早く朝になればいいのに
そんなことをいつも思いながら、朝を待ち望んでいた。
そんな路上で暮らす日々が続いていたある日の夜、私たちは柄の悪い男2人に目をつけられた。
「こいつらが噂の娘か。まだ子供だが、確かにどいつも肌が白くて美人揃いだな」
「へへ、旦那ァ、ウチの組織に連れ去る前に少し"味見"しちゃいましょうよ」
「当然だ。特にコイツ……何て色気してやがる。どうだ? 俺様に媚びてみろ。俺様の女にしてやってもいいぞ?」
体格のでかいデブが私の髪を掴んで引き寄せ、臭い息でそんなことを言う。
恐怖と屈辱で体は震え、声は出なかったが、目だけはこのデブを威嚇するように必死に睨んだ。
人通りの多い往来での出来事にも関わらず、街ゆく人々はこちらに目を合わせようとはせずに足早に通り過ぎる。
そんな中、1人の男の声が聞こえた。
「おい、その子を放してやれ」
それは若い男だった。
外見からおそらく20くらいで、黒い前髪を七三に分けた真面目そうな男。
その男を見て、私は"バカな男"と思った。
体格の差は歴然で、むしろ若い男の体は貧相に見えてとても殴り合いが得意には思えず、自殺行為のようなものだったからだ。
「おいガキぃ! 旦那に向かって何いってやがんだコラぁ! 命が惜しけりゃあ跪けえ!!」
デブの腰巾着のような手下が若い男に向かって叫ぶ。
デブは私の髪を放し、立ち上がって若い男に近づく。
「もう遅えよ。時々いるんだよなぁ、お前みたいな英雄気取りの勘違いがよぉ」
――間違いなく死ぬ
そう思っていた私は、しかし若い男の様子に気付いた。
自分より遥かに体格の大きいデブを前にしても怯えた様子がなく、むしろ堂々としている。
(もしかして、あの若さで戦闘魔法を使える魔法使いなの?)
魔法使い――それは元々魔力を持つ才能のある者が魔法の知識を身に着け、それを理解することで魔法と呼ばれる不思議な力を行使する者。
特に戦闘に使えるほど強力な魔法を扱う魔法使いは数が少なくどこの国でも重宝される存在だ。
(そうに違いない! じゃないとあんな風に堂々としていられるはずがないわ)
私は、あの若い男が救世主のように見えてきた。
「いいのか? 俺に手を出して」
「な、なにぃ? テメェ何者だ!!」
腰巾着の男の問いに、若い男は勢いよく手を挙げ、そして自分の後ろにいる初老の男を指差して自信満々に言った。
「あそこの御方を何と心得る。この国の重鎮にしてゆくゆくは大臣となられるローウッド閣下だ! 俺はあの御方の元で働く者だぞ!!」
場の空気が止まる。
柄の悪い男2人はもちろんのこと、指を差され紹介された初老の男とその周りにいた護衛と思わしき黒服の男たちも突然のことに唖然としていた。
ほどなくして、初老の男が近くの護衛に何かを話しかける。
それを聞いた護衛たちは動き出し、柄の悪い男共を迅速に制圧し、拘束した。
「……ユーリー。別に私の名を使うのは構わんが、あれは些か情けなくはないか?」
「いえ、閣下。閣下の御威光にひれ伏せない者は許せません」
「お前、女が絡むと随分性格が変わるな。正確には、お調子者といえる」
「閣下、誤解しないでください。俺に少女趣味はありません。もっと大人のイイ女が好みです」
「……」
ローウッドと呼ばれる初老がユーリーという若い男と私たちの前でそんな話をしていた。
私の救世主は、先ほどのガラの悪い腰巾着以上の腰巾着ぶりを見せてくれた。
一瞬でもこの若い男がかっこよく見えた自分が情けなくなった。
「ふむ。見たところ、移民のようだな。肌の白さにこの整った容姿、西の都市国家群から迫害されている民族によく似ている」
初老の男は、一目で私たちの素性を言い当てる。
「お、お願いします。この国にいさせてください。他に行くところが無いんです」
先ほどのやり取りから、この初老は役人で、その中でも上位の権力者だ。
この男の気分を損なえば、私たちはこの国にいられなくなる。
「……ユーリー。今後、中途半端な人助けはするな。最後まで面倒を見れないのなら、それは逆に残酷な行為だ。王都ではこのような子供が多くいる」
「はっ、承知しました。閣下」
「子供の面倒は、しばらくお前がみろ」
そう言い残し、初老の男は護衛と拘束した柄の悪い男たちを引き連れ立ち去って行った。
残されたのは、私たち6人の難民とユーリーと呼ばれる男。
先に声を発したのは、私だった。
「この子たちには手を出さないで。抱くなら、私を抱きさなさい」
私は5人の仲間たちを護るように前へ出て、男を睨みつける。
この男が何故私たちを助けたのか、それは分からない。
だけど私は無償で行われる親切を信じていない。
これまでに私たちは何度もそれに騙されてきたのだから。
「……勘違いするな。さっきも言ったが、俺に少女趣味はない。抱かれたかったらもっと女を磨くんだな」
キザな男だ。善人ぶった、虫唾の走る嫌いなタイプの男だ。
「紳士を気取った男は何度も見てきた。でもすぐ化けの皮が剥がれるの。私は男を信じていないわ」
『そっちの方から誘ってきた』『色目を使ったじゃないか』――そんな言葉で自分の罪悪感を誤魔化し、結局は私たちの体を蝕む男たち。
男からみると、私たちの見た目はとても扇情的に見えるらしい。
当然、こちらから誘惑した覚えなど一度もないが、自分を守る術のない私たちは抵抗すれば殴られるだけ。
結局、あなたも他と同じ。男はみんなそうだ。
そんな思いを込めて睨む私に、彼はジッと目を合わせてくる。
「それじゃ、お前らがイイ女に成長したら俺の女になってくれ。それが条件だ」
後になって振り返ってみると、彼にとって本当はそんなことどうでもよくて、私たちが安心できるように縋れる言葉をただ言っただけのような気がする。
私たちは、彼の思惑通りその条件に縋り、世話になることとなった。
それから半年間、私たちとユーリーはずっと寝食を共にした。
始めの1週間、私たちは警戒して6人で交替しながらユーリーを見張っていたが、一向に手を出してくる気配はなかった。
それどころか、時々夜に外で女遊びをしている。
不思議なことにユーリーは意外とモテていた。
見た目は真面目そうな普通の男だが、なぜか女たちは彼に夢中のようだった。
それを見て、私たちは警戒するのが馬鹿らしくなり、いつしか安心して一緒に暮らすようになった。
一緒に貧相な食事をとり、勉強を教えてもらい、王都をただ走り回る遊びをして、疲れ果てたら同じ部屋で深い眠りにつく。
それまでは考えられないほど満ち足りた、ありふれた普通の生活。
そしてユーリーと過ごして半年が過ぎた頃、私は突然魔法が使えるようになった。
魔法について勉強したことなんてなかったのに、なぜと不思議に思っていた私は、ユーリーにそのことを相談する。
彼は色々な伝手を頼り、情報を集めて私に教えてくれた。
「古い文献によると、ごく希に魔法を直感的に使えるようになる者がいるらしい。知識を身に着けて使えるようになる魔法と異なり、普通の魔法使いでは再現することのできない特殊な魔法を使うのが特徴だとさ」
私の魔法は"影"を操るものだった。
私の影が相手の影に触れれば、その影を立体化させて意のままに操る魔法。
夜になると、視界に映るだけで影を操ることができた。
「もう一つ特徴がある。それは、魔法に目覚めてから時が経てば経つほど強力になるらしい。そういう者を総称して"覚醒者"と魔法使いの間でいわれている」
影を操れない者たちがたまにいた。
それらは衛兵であったり、裏社会のならず者であったり、一般人とは異なり生命力が高く、魔法への抵抗力が高い者たちだった。
だが、ユーリーの話が正しければいずれ私の力は強くなり、全ての影を意のままに操れるようになる。
そうなればきっと、私は自分を守れる術を持ち、初めて人として生きていける。
希望がみえ、喜びをあらわにする私をみてユーリーは告げる。
「よかったな、お前には才能がある。これで、俺もようやく安心できるよ」
「え?」
――安心? それは、どういうこと?
「何を驚いてる。いつまでも一緒には暮らせないだろ。ここら辺が潮時だ」
言葉にすれば、それは何一つ間違っていない正論。
いつまでもユーリーと暮らしてはいけない。彼には彼の人生がある。
だけど、この半年間の生活があまりにも心地良くて、気付けなかった。
いや、違う。本当は気付いていたけど、気付かないふりをしていた。
このまま何事も変わらず暮らせれば、それが一番の幸せだと思ったから。
「な、なにもそんな急に……あの子たちだって、あんなにユーリーに懐いているのに! 私だって……私だって嫌よ。寂しくなるじゃない……」
「急ではないさ。少し前から考えていた。このままずっと俺といたら、お前らは俺に依存する。俺の言動に過敏になってきたし、最近は俺から離れようとしないだろ」
自覚はあった。
仲間の子たちがいつもユーリーの目線を追っていた。
彼がどこに行こうともついていき、最近では寝る時ですら抱き着いている。
それは私も例外ではない。
彼に抱いていた親愛の感情が、彼に捨てられないようにと打算を含んだものに変わってしまった。
「自立した生き方を望んで、この国に来たんだろ。俺に"本当"の名前を教えないのも、いずれ俺がお前たちの行方を探れないようにするため。それでいいんだ。楽に手に入れたものは簡単に奪われ、手放してしまう」
ユーリーは気付いていたんだ。
一緒に暮らし始めるとき、私たちは彼に本当の名前を教えなかった。
後になって恩を着せてきて搾取されることを恐れていたから。
愚かなことだ。
こんなにも私たちを思ってくれている彼に、恥ずべき行為だ。
「ち、ちがうの! そんなつもりじゃ……ほ、本当の名はマチ――
彼は私の口に指をあてて言葉を遮った。
「他人を信じすぎるな。お前には本当に信頼できる仲間がいる。そいつらだけを信じてやればいい。女だけで生きていくには、そういう
私は何も言えなかった。
彼を裏切っていた罪悪感で、言葉が出てこない。
その日の晩、ユーリーと私たちは最後の晩御飯を食べた。
別れを悲しみ、仲間の5人は涙を流していた。
最後の晩餐は、普段食べているものよりも高価なパンだった。
「そんなに泣くなよ。イイ女に成長したら、俺の女になるって約束しただろ。また会えるさ」
――本当の名前も知ろうとせず、どうやって会えるというの?
「せっかく奮発したんだ。このパン、上手いだろ? まあ、いつも食ってたパンがマズすぎるだけで、普通のパンなんだけどな」
――パンがしょっぱい。塩分が多いのだろうか
「……まあ、涙と共にパンを食べたことの無い者に人生の味は分からんらしい。昔の偉い人の言葉だ。お前らは、人生の味を知っただけ成長したってことだ」
――人生の味。そうか、これが人として生きるということか
最後の晩餐を終え、皆で眠る最後の夜を迎える。
明日の朝、ユーリーと別れることになる。
そう考えると"朝なんて一生来なければいい"と強く思った。
その晩、彼は眠れなかっただろう。
手足に一人ずつ、胸の左右に一人ずつ、彼の体に強くしがみつく私たちの泣き声で一睡もできていないはずだ。
だけど、彼は最後まで何も言ってはくれなかった。
朝、ユーリーとの別れは淡々としていた。
劇的な何かが起こるわけでもなく、街はいつも通りの朝の風景だった。
ユーリーが去り、残された私たちは決意した。
この街で生き残れるほど、強くなろう。
王都の輝かしい光の中に彼がいるなら、王都の深い闇の中に私たちがいればいい。
光に寄り添う影のように、私たちがユーリーの傍にいれるように。
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