描空領クールクーロンヌ

第11話 龍属種

 第三章 描空領びょうくうりょうクールクーロンヌ


 地上圏ちじょうけんには、各州政府によって一般巡回航路が設定されている。それは長く敷かれた州間鉄道線しゅうかんてつどうせんの上空のことであり、長距離飛行の際には多くの人々がこの道を選ぶ。惑星地球はまだまだ人類未踏の地に満ちており、方角を見失ったり野生生物に襲われたりする危険があるからだ。好んで未開の場所を突き進む探検家なんていうのもいるが、俺たちは定石通りに最も文明的で安全な空へ飛び立った。――はずだったのだが。


「シルダリア、もっと速度は出ないのか」

地界ちかい出身者くんがちょっと非力で無理ね」

「ヘンダーソンって呼んでって言ってるのに」


 先を行く神輿から期待の薄い返事を聞きながら、生暖かい緑の体液を被った服状翼ふくじょうよくを羽搏かせる。目に神経を集中させ、間合いまで追い縋ってきた扁平へんぺいな頭殻を急加速からの急制動による破壊的速度の蹴りで粉微塵に叩き割る。きぃいいと、耳障りな甲高い断末魔。血肉が弾けて散り、白銀色の俺の頬に熱と粘性を伴って触れる。もう目の前で五匹は落としているのに、歪な羽音は一○をゆうに超えて集まり続け、減る気配を見せない。


地界ちかいにいる間に随分と物騒になったな。龍属種りゅうぞくしゅが巡回航路に出るとは」

「いや、いままで一度もこんな大群が沸いたことなんてないわ……」


 シルダリアの声に耳を傾けながら、学生時代のことを思い出す。一人ではじめて踏み込んだ未開の地で、鬱蒼うっそうと茂った木々の合間から突如として大きな影が現れた。俺と同じくらいの体躯を誇り、細長く蠕動ぜんどうする胴に五対の翼を生やし、扁平な頭部から三本の鋭い牙を覗かせた怪物。それが龍属種りゅうぞくしゅと呼ばれる巨大生物群の有翅虫型ゆうしちゅうがたに分類されるのだと知ったのは、どうにか逃げ帰ってからの話だ。


 先を進む神輿の盾となるように陣取った俺の眼前に、あの日見た化け物が群れを成す。大天降帯だいてんこうたいの上層流が激しく吹き抜ける天空。重なる膨大な羽音。轟音を上げて揺れ動く土色の雲海にも似て、視界全てを覆いそうな勢いで迫る巨大な虫たち。かつてその集団に追い回されたときより数はずっと多い。


 有翅虫型ゆうしちゅうがたは仲間を呼び集団で獲物に襲い掛かるという。体力にはそれなりの自信があるが、俺は軍人でも運動競技選手でもない。ただの交通整理員こうつうせいりいんだ。いまは先頭の一体一体を相手にしているからどうにかなっているものの、このままの速度で囲まれれば取り返しがつかないかもしれない。


「アコウギ、もうすぐ描空領びょうくうりょうへの往路鈍行便にぶつかる。それには警備員が乗っているはずだから、助力をお願いしてきて」


 柔らかい言葉遣いに反して、覇気を含んで凛と通る声。頷いて、翼を唸らせ、大きく飛び上がる。目に映る茫漠とした蒼穹に息ができなくなってくる。音も風も置き去りにして、ただ大地の輪郭が淡く眼下に広がる天空。上層流臨界高度。呼吸が止まり、翼の熱が失われ、遮蔽もなく全身に照りつける陽の光さえおぞましく冷たいものに感じられる一瞬ののち、重力が糸を張ったように身体を捕まえた。


 翼を着込んで急降下。今度は焼け付くほどの大気の摩擦が全身を撫でる。風を断ち、衝撃波を撒き散らしながら、怪物の群れの中央を破砕音と共に縦断する。空を斬り下ろす銀色の軌跡。激しく乱れた気流のままに土色の雲海が吹き散らされる。骨が大きく軋み、飛行を助ける義翼板ぎよくばんも剥がれかけている。二度も三度もできる一撃ではないが、これで少しの時間稼ぎにはなったはずだ。翼腕には勢いのままに胴を貫いた何匹目かの有翅虫型ゆうしちゅうがたの死骸片が突き刺さったままにしてある。


 降下すること少し、淡く白飛びしていた地面が色付き迫って見えてくる。黒煙を上げる蒸気列車。墜落寸前で服状翼ふくじょうよくを拡げ、きりもみ状に身体を捻って第二文明期だいにぶんめいきのそれの五倍ほどの幅がある移動用具を抜き去る。あぜ道に巻き上がるとんでもない量の灰煙。蒸気を割るように機関室の天井部に乗せられた高い警備台から、二人の警備員がこちらをみやる。


 言葉はいらなかった。龍属種りゅうぞくしゅの死骸を見せて上を指さす。それだけで状況が動いた。体格のいい方の一人が警備台端に取り付けられた可動棒を引き、緊急事態を知らせる重い警笛を鳴らす。同時にもう一人が傍に設置された自立型の投光機を進行先の描空領びょうくうりょう方面に向けて爆発的な光量で複数回焚く。瞬時に一連の初期対応を終えると、体格のいい一人が空を駆けて聞いてくる。


「場所と数は」

標準塔ひょうじゅんとう七五〇基分上方、いまはもう三○匹は超えていると思う。俺たちは『空神様そらがみさま』を護衛している、助力を頼みたい」

「承知しました。描空領びょうくうりょうから緊急援護がくるまで時間を稼ぎましょう」


 結局、この戦いは列車が止まるべき駅に辿り着く少し前まで続いた。描空領びょうくうりょう方面からの空路駐屯兵くうろちゅうとんへいたちは一早く駆けつけてくれたが、怪物もまた加速度的に種類と数を増していった。


 有翅虫型ゆうしちゅうがただけでなく、俺の二倍程度の体躯にしなやかで強靭な筋肉を併せ持つ四足獣型しそくじゅうがたや、鋏角を掲げ全身が堅牢な装甲に覆われた三本足の甲殻型こうかくがたなどが、路線に沿った森や草原から波のように寄せ続けた。


 日が半分ほど暮れた地平の果てに、やがて見えた円柱状の描空領びょうくうりょうの市門。その天辺に備え付けられた防衛用の大銅鑼おおどらが駐屯兵数人の腕力で以て鳴らされると、ようやく怪物たちは散り散りに逃げ去った。龍属種りゅうぞくしゅが大きな音を嫌うことは知っていたが、総数一○○○を超える莫大な規模の群れを相手にするなら、標準塔ひょうじゅんとうほどの半径を持つこの巨大な打楽器でないと意味がなかっただろう。


 遠く沈む太陽を横目に描空領びょうくうりょうに入る蒸気列車。その警備台の上に置かれた神輿の隣に俺は立っていた。日が中天に座してから没するまで長引いた戦いのなかで、怪物たちの相手をしたのは最初だけだ。正規の警備員や軍人が助けにきてくれてからは、彼らに役目を譲り、列車に足をつけて空神様そらがみさまの護衛に専念することになった。


「アコウギ、あなたは交通整理員こうつうせいりいんの本分を全うして。空神様そらがみさまをよろしくね」


 実のところ、まだまだ動き続ける用意はあったのだが、空から神輿を抱えて降りてきたシルダリアにこう言われてしまっては仕方がない。


 ただ、一八六匹。笑顔で言葉を切ったバイコヌール政府参与の彼女が、桃色の軌跡を引きながら閃光のように空を駆けまわり、見て数えた限り本職を差し置いて最も多くの龍属種りゅうぞくしゅを始末していたのにはもう笑うしかない。生まれてはじめて目にするらしい怪物に勝負を挑む小柄のヘンダーソンが、何かのままごとをしているようにも思えたほどだ。


 もうすぐ夜だ。時間をかけ過ぎてしまった。激しく飛び続けたせいで痛んでしまった俺とヘンダーソンの義翼板ぎよくばんを修繕する必要もあって、俺たちは描空領びょうくうりょうクールクーロンヌで一泊することにした。

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