第43話 恥辱の代償は人間である証拠
捜査会議にすっかり疲れ果てた翔也は、こんなくだらない夜は熱いシャワーを浴びて、お気に入りの動画を眺めながら眠ってしまおうか、それとも、なんにもしないで野菜みたいにベットに転がろうか悩んでいました。
未だ終わりの見えないちゅうちゅうにゃあにゃあの捜査会議の席上、必死になって通訳をしているみたらしを不憫に思いながら、愛用のスニーカーが踏み鳴らす砂利の音がどうにも美味しそうで。
「こんな考え方になるのも人間だからなんだろうな、無駄な思考は人生のどれくらいを占めているのだろう。おっと、こんな考え方も人間だからかな」
と、考えると途端にお腹が空いて、マルグリーデお手製のレモンケーキがまだ残っていたのを思い出すと、自然と早足になっていたのでした。
邸宅の庭を照らす石灯篭は、しっかりと整えられた花壇や庭木を映し出して、ラベンダーやブルーベリーの匂いが漂っています。
しばらく歩いていると、そよ風が運んでくれた真夜中の罵詈雑言が、翔也の心拍数をグッと引き上げました。
「この泥棒うさぎ!」
そう叫ぶ声が、雪之丞だと判るまでに時間はかかりませんでした。
恐る恐る小庭に足を踏み入れると、生まれたまんまの姿で池の中から叫んでいる雪之丞の背中と、ボンデージスーツを身に纏って、仁王立ちで声高らかに笑う佑月の姿がありました。
その手に光るスマホは、雪之丞に向けられていたのでした。
「さあ、出られるモンなら出てらっしゃい! 大股開きの可愛い子ねこちゃん。さっきの姿、たまんなかったわよ。アンタの大好きな翔也君にも見てほしかったわあ~、あ、なんなら動画送っちゃおうかしら」
「☆♪~♪( ;∀;)!!☾!!卑怯もの!」
さっきまで、裸でいれた自由を満喫していたのに、状況次第で一変する心の変化に対応できないまま、雪之丞は池から出ることが出来ませんでした。大事なところを見られたのがとても恥ずかしかったのです。
それは不思議でした。
ネコ時代には尻尾をぴんと立てて、お尻を見られるのも見るのも平気だったのに・・・。
声にならない声をあげ、恥辱まみれに紅潮した頬は火が出るほど熱く、穴があったら直ぐに入るプレーリードックの気持ちも理解出来ました。
「何をしてるんですか! 佑月さん!」
背後から聞こえる愛する翔也の声に、雪之丞の身体はポッポポッポとますます火照って、池から顔だけを覗かせて。
「見ないで ・・・ください!」
「どうして!?」
「は、恥ずかしいから・・・」
と言うなり、再び池の中に顔の半分を沈めてしまいました。
翔也はじりじりと佑月に近付きつつ、池を少しばかり通り過ぎた後で雪之丞にそっと手を差し伸べて言いました。
「ほら、掴まれ。絶対見ないしオレが壁になるからスマホにも映らない」
「え?」
「早く掴まれ、風邪引くぞ」
不機嫌に聞こえる言い方も、差し出された手の温もりを感じると、それは初夏のお日様みたいにやわらかくて甘酸っぱい響きに変わりました。
雪之丞の鎖骨のくぼみに出来た水の中では、ちいさなメダカが頬を赤らめてモジモジしています。
池の中では仲間達がダンスをしていました。
メダカはぴょんと跳ねてその輪に加わると、月明りに照らされた身体は水面を鮮やかな虹色へと変えていきました。
翔也は着ていたカーディガンを雪之丞へ渡すと。
「佑月さん、あなたも結局財産目当てだったんですか!? オレに近付いたのも好きだからじゃなくて、お金が欲しかった。ただそれだけの理由だったんですか!? これまでふたりで過ごした時間も、笑ってくれたこととか、昔話をしてくれたこととか・・・全部演技だったんですか!!」
「そうよ」
「みんなと同じだ。佑月さんも今までの連中と同じだったんですね。くだらない、くだらないよ。オレは人間として、人として産まれたんだ。それでいいじゃないですか、卑怯だよ・・・心を弄ぶなんて卑怯だよ」
「ベラベラベラベラよく喋るのね、大人にならなきゃダメよ翔くん。私が欲しいのはね。綾野姫実篤家の家系図よ! お金や通帳や金銀財宝なんかじゃありませ~ん!どこにあるの!? 教えないと彼女の恥ずかし~い動画を全世界にばら撒いてやるんだから!! さ、よこしなさい。家系図はどこにあるの!」
「家系図?」
「そうよ!」
「家系図でいいんですか?」
「そうよったらそうよ!」
「お金じゃなくて?」
「そうよ!!」
「家系図?」
「そうよって言ってんだろがああああああ!!!!!!」
怒り心頭の佑月のスタンピングは、庭の木々を揺さぶる程激しく、ドタバタする毎に木の実や果実を落とし、その恩恵に与ろうと飛び出した、モグラやプレーリードックやシマリス達を歓喜させたのでした。鬼の形相の佑月の周りには、いつの間にか小動物たちのダンスの輪が広がって、もっとちょうだい! それちょうだい! あれもちょうだい! の大合唱です。
「うっせえわああああああああああああああああああ!」
佑月の怒号で、小動物たちは蜘蛛の子を蹴散らすようにいなくなりました。
一方で、翔也の背後でふたりの会話を聞いていた雪之丞は、しょんぼりとうな垂れていました。
この期に及んでも尚、翔也は佑月を信じようとしていたからです。
「どうぞ、持ってってください!」
宙を舞うペンダントはキラキラと輝いて、そのまますっぽりと佑月の手元に納まりました。
佑月は怪訝な顔をしながら不機嫌そうに。
「なによこれ?」
「いいからペンダントを屋敷に向けて、真ん中の白猫の絵柄を撫でて下さい」
「なんで?」
「いいから!」
言われるがままにペンダントを擦ると、先端の極小レンズから眩い光が放たれました。綾野姫実篤邸宅本館は、家系図を映し出す巨大なキャンパスとなったのです。
感嘆の声をあげながら、佑月はうさぎらしくぴょんぴょんと飛び跳ねて、無防備に背中を向けています。
勇気を出して雪之丞は翔也に。
「あの・・・今なら狩れますよ・・・」
「・・・狩らないよ」
「あの・・・どうしてですか?」
「くだらないから・・・」
「なにが・・・ですか?」
「オレが・・・」
「そんな・・・」
「結構毛だらけ・・・」
「・・・猫灰だらけ・・・」
その時でした。
ひらひらのスカートとパンプキンパイの残り香が、佑月目がけて飛んで行ったのです。
白くて長い足が後頭部に振り降ろされた瞬間に、佑月はギャッと声をあげて、目を回しながら気を失ってしまいました。
くるりと振り返ったマルグリーデは。
「パンプキンパイも焼いたわよ。熱いうちに召し上がれ」
と、にっこり微笑んで、佑月の身体を抱きかかえて歩き始めました。
翔也と雪之丞は、目の当たりにした弱肉強食の光景に、立ち尽くすことしか出来ませんでした。
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