第44話 柳署・特定失踪人監督課・通称トクシツ
階段を降りながら小早川刑事は、一昨日に発生したひき逃げ死亡事故の資料に目を通していました。
被害者女性の年の頃は20歳くらいで、大学生の愛娘とどことなく服のセンスが似ている気もしましたが、現場写真に横たわる彼女の服装は真っ赤な血で染まっていたのでした。
妻と娘と官舎で質素に暮らしながらも、それなりの幸福感は持ち合わせていた小早川も、特定失踪人が遺体で発見される不運な事故(ここで云う特定失踪人とは、人間ではなく、擬人、又は擬人のなれの果てを表し、すべての案件において事件ではなく事故扱いとする)に遭遇すると、流石に気が滅入ってしまうのでした。
例えるなら、殺人事件の被疑者が人間で、被害者が擬人の場合も事故として扱わなければならず、そこに人権というモノは存在しません。
人権というのは、人間だけに与えられる特別な優遇措置だからです。擬人はあくまで獣、人間にはなれないまがいものでした。
小早川自身はれっきとした人間です。
そして、トクシツの刑事達も同じでした。
2階の踊り場には、缶コーヒーを手にした山口みゆき刑事が立っていて。
「コバさん、ながら歩きは危ないですよ!」
と、小早川をたしなめました。
今年、交通課からトクシツに配属されたみゆきは、三鷹の実家にいる母親を残して、独身寮で新たな生活を始めました。というのも、フィアンセからのプロポーズを断ったのがきっかけで、独り立ちして気分を一新したい。そんな遅めの親離れに、母親は淋しげな表情を浮かべました。
みゆきのプライベートを知ってか知らずか小早川は。
「お、みゆきちゃんも当直?」
「ええ、はい、コーヒー」
「悪いねえ、夜勤なんか理由つけてさ、断れば良かったのに」
「それが出来たら毎回やってますって!」
「そりゃそうだ、彼氏怒んないの?」
「もぉ~ちょっとぉ~」
「ん?」
「セクハラあ!」
「今のが? 今のがセクハラ? 今のが?」
「ちゃんと研修受けましたよね。コンプライアンス研修!」
「・・・さ、行きましょうか」
ふたりは、地下にある霊安室へと歩き始めました。
ひき逃げされて死亡した女性の行動報告書は、みゆきも目を通していました。
違法ペットホテルから東京へ連れられて、柳ねこ町3丁目のあぶらたに夫婦に引き取られた7つの子のうちの1匹。
名前はミキ。
テンシキの司祭を誘拐・脅迫した罪は重くても、どうしても人間になりたかった兄妹達の想いは死をもって償う程のものではありません。
みゆきは、擬人のなれの果てという理由で、ひき逃げ犯が不起訴となるのは許せませんでした。
「コバさん・・・」
「ん?」
「何か間違ってませんか?」
「なにが?」
「犯人は不起訴なんですよね」
「そだろうなあ」
「それでいいんですか・・・?」
「まあ・・・さ、被害者は・・・あ、いや、死んだ奴は人間のかっこしてるから、俺達だって同情しちゃうけどさ、元はだ、猫なんだよ。そりゃあね、道路に猫が死んでたら可哀そうだと思うけどさ、それ以上はあるかい? 犯人を逮捕して、法律で裁きたいと思うか? 思う人間もいる。だけどそういうことなんだよ」
「・・・」
「特に日本は少子化が進んで、擬人や擬人のなれの果てってのはさ、貴重な労働力なんだよ。違う国もあるんだろうけどね、国際問題は俺には解らん」
「使い捨てですか・・・」
「ンなこと言ったらさ、みゆきちゃん、好きな食べ物は?」
「え? ハンバーグですけど」
「因みに俺は卵焼き。だけど牛や鶏の死体を食べてるなんて誰も思わないだろう。よく命を残さず大切に頂くってあるが、奴らからしたらとんでもない話だよ。使い捨てと変わらん。だからさ、俺たち人間ってのは、死んだら地獄にいくのさ。そう思って生きて行かなきゃ・・・ね」
「・・・はい」
「そしたらメシだって美味いって訳さ!」
と云うなり足早に階段を降りると、小早川は霊安室の前で佇む庄五郎に一礼して、みゆきを紹介しました。
庄五郎はつくり笑顔を浮かべただけで、ちらっと腕時計に目を通すと。
「連絡は取れましたか?」
「ええ、うちの連中が身柄を確保しました」
「ご苦労様です」
「いや、わりかし直ぐでしたよ。北北東の島、違法ペットホテルの代表も、ICチップはしっかりペットたちに埋め込んでいた。摘発されるのが恐かったんでしょうねえ。何せ年間1000万の利益をあげてたって言うんですから。まあ、預ける人間が悪いんですがね・・・」
みゆきはふたりの話を聞きながら、この後に遺体と対面する兄妹達の心労を考えた。そして、人間になりたいと願う、多くの擬人予備軍にこう言いたかった。
「人間だけはやめなさい」
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