第41話 りりと学校とぼっち
柳ねこ町の名門私立女子中学校に通うりりは、入学した日の高揚感と緊張感を、今でもはっきりと覚えていました。
重たいランドセルから解放されて、大人びた黒のスクールバックを肩にかけた朝は、目に映る全ての景色が新鮮でした。
赤いラインが入ったベージュのジャケットと、首元で揺れる大きめのリボン。チェック柄のボックススカートの学生服はりりの憧れでした。
それにやっと袖を通すことが出来たのです。
登校時間よりも早く起きて、マルグリーデに髪を整えてもらいながら嗅いだ教科書の匂いも格別で。
「私も好き」
と、マルグリーデも一緒になって、クンクンと匂いを嗅いで笑い合いました。
りりはこれまでとは違う通学路を歩きながら、自己紹介で何を話そうか考えましたが、結局思いつきませんでした。
通勤通学のみんなの足音もどこかカッコよくて、車の排気ガスの匂いや4月の中途半端なそよ風、民家のコンクリートブロックに生えたちいさなコケが、りりの心をめいっぱいにくすぐって邪魔したからです。
それらは希望に満ちた爽やかな味がしました。
初めての友達は恵子ちゃんという丸眼鏡の子でした。
長い黒髪を三つ編みにした恵子ちゃんは、眼鏡を外すととても大人っぽく見えて。
「コンタクトにしないの?」
と、りりが提案しても。
「私、先端恐怖症なんだ」
と、困った顔をするだけでした。
ふたりは、運動場の隅にある池のほとりで、好きなアイドルやアニメの話をしたり、塀の先に見える都立病院の都市伝説にドギマギしたり、時には恋の話で盛り上がりました。
イロハモミジの花が咲いて、カタツムリがのそのそと過ぎて、入道雲が高く高くお日様に輝く頃まで、ふたりは紛れもない友達でした。
りりは幼い頃から集団生活が苦手で、率先してクラスメイトに話しかけるタイプではありませんでした。
内気でおとなしい女の子の思いを知る大人は少なくて、成績優秀なりりの評価は、綾野姫実篤家の才女として教育現場の人間に知れ渡り、回りまわって父母から同級生へと広まってしまいました。
中学生になってもそれは同じで、地域の実力者の娘として大人達には過保護に扱われ、同級生からは好奇な目で見られました。
そんな中、恵子ちゃんだけが休み時間に話しかけてくれたのでした。
異なる瞳の色をしたりりの顔を覗き込んで。
「綺麗な瞳の色なんですね・・・」
「え?」
「いいなって思って・・・」
「そっかな・・・」
「私、こんなんだから・・・」
「こんなのって?」
「地味子だし、羨ましいです・・・」
「あのさ」
「はい?」
「敬語はやめようよ、同い年なんだし」
「あ、はい」
「それに・・・」
「はい・・・」
「その長くてキレイな髪の毛、私羨ましいよ・・・」
りりの瞳の色は、左がグリーンで右がブラウンでした。
人間として産まれたネコジン2世特有の病・先天性ねこっかぶり症を打ち明けられないジレンマ。それを魅力的だと言われたりりはとても嬉しかったのです。
夏休みに入る前、恵子ちゃんは眼鏡を外して度入りの控えめなカラコンをして登校しました。廊下でりりを見つけると直ぐに駆け寄って。
「見て下さい。私も」
と言いながら、照れくさそうに三つ編みを弄る恵子ちゃんに。
「わあ、可愛いけど大丈夫かな?」
「え?」
「先生に怒られない? 校則違反にならないかなあ」
「・・・どうして?」
返答に困ったりりは。
「だけどすごくかわいい、似合ってるよ」
と答えて、それ以上は何も言いませんでした。
放課後、恵子ちゃんは職員室に呼び出されて担任の先生に怒られてしまいました。
この日の夜、ラインのやり取りを最後に、ふたりは友達ではなくなったのです。
りり 既読20:00 恵子ちゃん、大丈夫?
恵子 ママにも怒られた
りり 既読20:03 気にしちゃだめだよ
恵子 うん
りり 既読20:05 明日はいっしょに帰ろうよ
恵子 なんか・・・
りり 既読20:06 どうしたの?
恵子 やっぱり違うなって
りり 既読20:25 なに? どうしたの?
りり 既読20:27 恵子ちゃん、大丈夫?
りり 既読20;45 気にしちゃだめだよ
恵子 どうしてりりちゃんだけ良いのかなって・・・それってズルいよ
りり 私コンタクトじゃないよ、恵子ちゃん、誤解しないでよ
りり 生まれつきなんだよ、誤解しないでよ
りり 恵子ちゃん!
りり もう遅いから明日学校で会おうね
りり おやすみ
それ以来、恵子ちゃんは露骨にりりを避けるようになりました。
「綾野姫実篤家は教育界でも特別な存在」と云った根拠のない俗話も、SNSを通じて拡散されて、噂を真に受けたクラスメイト達はりりを無視するようになりました。
りりに対するいじめはグループ同士の繋がりを緊密にさせて、観衆や傍観者も増える一方でした。ひとりぼっちのりりは、学校が終わると直ぐに家に帰りました。
YANAGIねこ7の動画を観ていると、現実を忘れられたからです。
中学2年生になっても、友達は誰もいませんでした。
息苦しい世界で群れる快感に浸るくらいなら、ぼっちでも孤独に生きた方が幸せと思い込ませてみても、淋しいという本質は変わらずに時間だけが過ぎて行きました。
校内で見かける恵子ちゃんは、長い髪を切り落としてボーイッシュになっていました。
面影を失くした後ろ姿に声をかける勇気など、りりは持ち合わせてはいませんでした。
「ズルをしたところでほんとの幸せなんて掴めやしないんです。ネコだってねずみだって、人間だってそれは同じお天道様の下で生きているんですもの。変わりっこありゃしませんよ・・・」
りりはねず華の言葉を胸に刻むと、不思議と肩の力が抜けていくのを感じました。
蔵の中では喧々諤々の捜査会議が進んでいます。みたらしは一生懸命に通訳してくれていますが、その真面目な顔つきが可笑しくて、りりはふっと笑ってしまいました。
奇妙な仲間たちの存在が、折れそうな心の拠り所となっていることに、りりは気が付き始めていたのでした。
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