第36話 GAMEの行方 1

上野動物公園のほど近くにそのウイスキーバーはあって、擬人のなれの果てが言うところの恍惚のユートピア・ラ・カンパラは、老舗古書店の地下に店を構え、権力者として君臨する擬人達の社交場の役割も果たしてきました。

ネコジン、ウサギビト、キツネビト、タヌキビト、馬人、サル器、蜥蜴あや女や夜鷹に至るまで、この場所で擬人によって交わされた国際的な密約で、歴史は大きく動かされ現在に至るのです。

転換期を迎える時刻はいつも真夜中でした。

それはそれで、店主のフクロウ人にとっては有り難いことであり、名誉でもありました。

御年92。

綺麗に整えられた真っ白な顎髭としわくちゃの顔。

その血管の浮き上がった両の手は、いつもと変わりのない丁寧な仕事を淡々とこなしておりました。

深夜の1時。

擬人と生粋の人間の会話には耳も貸さず、店主はアイスピックを片手に南極から取り寄せた天然氷を、まん丸にこしらえていました。

その日その日を平穏に過ごせたなら人生は概ねハッピー。

そんな単純な仕組みにも気が付かない生粋の人間や、擬人のなれの果てを哀れに思いながら、仕入れたばかりのダルマをグラスに注ぐと、懐かしい香りが店主の鼻腔を擽りました。

日劇ウエスタンカーニバル・銀座4丁目のスナック蜥蜴・池袋のキャバレーハリウッド。あの頃の名だたる夜の世界は煌びやかでした。

同じ時代を生きた仲間は居なくなり、その下の団塊の世代はすっかりくたびれて、バブル世代は路頭に迷い、ロストジェネレーション世代は希望を棄てました。

壊れかけた映写機から流れ出る映像は、店主の脳裏で再生と停止を繰り返しています。それが生きているということー。


「私らだって空手形でこんな話を持ってきたわけではありません。前にもお伝えした通り、今度の選挙で私は必ず国政へ打って出る。その地盤は盤石です」


店主は、意地悪気に微笑む米倉なる人物を好きにはなれませんでした。

生粋の人間臭も、酒に赤らんだ顔も腫れ物みたいで、自分はフクロウ人で良かったと安堵しました。

自治会長は憮然としながら応えていました。


「我々としてはですが、この歴史ある柳ねこ町の再開発には、住民の多くが反対している以上、答えは出ている訳ですから・・・何とか、共存共栄の道を探ってはみたもののですな。話し合いと言っても埒があかないとなると・・・」


「決裂」


と、庄五郎が唐突に付け加えると、重苦しい空気の中で、店主は4人の前にそっとダルマを差し出してカウンターへ戻りました。

数ある歴史の中で、わびとさびが密談にも存在するのを店主は心得ておりました。

吉田茂とマッカーサー。

ケネディと72K銀河旅団首長。

中曽根康弘とロナルド・レーガン。

偉大な擬人達はユーモアのセンスもあって、卓越したディベート合戦はラブロマンス映画みたいで、ずっと聞き入っていられました。

かすかに汗ばんだ顔を、ハンカチーフでそっと拭いながら口火を切ったのは江国でした。

あえて感情を押し殺した声はシラケた店内に響き渡って、自治会長の。


「悪い、もう1回言ってくれんかね」


の、言葉の後でも、その品格は揺るぎませんでした。


「我々が先祖代々から受け継いだ決まり事・・・あるでしょう? 私にも、貴方にだってあるはずだ・・・門外不出と呼ばれる機密がね・・・公になれば世界がひっくり返る事案を、ハイウエストミラーマンは握っている。この世界には、生粋の人間と、人間になり損ねた擬人のなれの果てと、ヒトと化した擬人しかいない。その勢力争いの結果が現在なんです。まあ、私が言わなくとも、ここにおられる聡明な皆様は承知の通りでしょうがね・・・柳ねこ町・・・歴史ある町並みは区画を囲った柳の木々と猫目川だけです。まるで張りぼての城壁です。何を守っているのだか解りませんが、共存共栄ですよ。ヒトと擬人の共同事業! それがカジノ特区なんです。それでもなお、反対するおつもりか!?」


物怖じしない淡白な性格になれたなら、これまでの交渉ごとはどんなに楽だったろう・・・ハイウエストミラーマン然り、人口増加問題と擬人に関わる研究所然り。万事が上手くいかない世界で、器用に立ち振る舞う術をウサギビトは持ち合わせてはおらず、去来する多くの仲間のスタンピングの音だけが虚しく江国の脳裏にこだましていました。

だから演技をしたのです。

現在進行形の事象を、さばさばと唱えられる人間の演技を。

自治会長が、すうっと席を立って気がかりそうに言いました。


「脅迫するおつもりですかね?」


「いやいや、公開請求されたならの話ですよ。この国は有り難いことに民主主義国家ですから。民意には逆らえません」


「それが脅迫ってもんでしょう!」


「捉え方も自由ですから」


「体のいい民主主義ですな!!」


かあっとなった自治会長を宥める様にして、庄五郎の言葉が響きました。


「ま、いいじゃないですか自治会長。この国の生体種族割合は擬人が50パーセント、生粋の人間が35パーセント、残りは擬人のなれの果てです。事実は絵空事に捉えられるかも知れない。特にマスコミ関係に至っては、民放5社の取締役は全てが擬人です。しかもネコジンで占められている。公共放送だけが生粋の人間の情報源だと言っても過言ではない。自由にしてもらいましょう。我々は、己の生きる価値に向かって進むのみです。江国さん・・・私からは以上です」


目障りな存在があるとすれば、人間ではなくネコジンだ。ウサギビトとは生涯相容れる要素はないだろう。江国は、十二支に入れなかった猫という生物の忌々しさに腹が立っていた。

擬人達の感情を汲み取れない生粋の人間米倉は、あえて他人行儀に応えるわけでもなく、得意げに言って退けた。


「将来、人口増加問題によって必ず食糧危機は訪れます。解決策などありませんが、ひとつだけ方法があります。この世界はもはや擬人の世界です。彼らは元の姿に戻るべきだ。ここにねー」


米倉は、鞄の中から透明な薬剤を取り出して掲げました。


「これね。隣におられる江国さんとの共同開発のワクチン。此処にしかないオンリーワン。なんだと思います? 来年辺りに大流行しますよ。とりあえず今のところは煙にでも巻いておきますがね、私の友達、研究者たちの血の結晶。解ります? 人間の頭脳の塊。擬人なんかとは比べ物にならないくらいの脳みそ・・・それが人間なんです。厚労省や製薬会社にはね、まだ生粋の人間が汗水たらして働いてるんですよ。市井の人間なんてみんな生粋の人間だ。模造品とは違う! 貴方方とは違うんです! ウサギビトは友人ですがね。他の奴らは元の四つ足に戻るべきだ!そうすれば食糧危機だって解決出来るんですよ! 何にもわかっちゃいない! 四つ足は所詮は四つ足だ! 新型天然痘ウイルス。我々とウサギビトの抑止力だ。権威に触れ伏すことが出来ないのならば、ヒトの世界から消えてしまえ! ちなみにね、新型天然痘ウイルスは人にしか感染しないから」


アルコールの勢いも手伝って、米倉は大見えを切ってソファーにふんぞり返ると、そのまま鼾をかいて眠ってしまいました。

後に残された擬人達は、顔を見合わせながらも挨拶もそこそこに店を後にしたのでした。

敵対する者同士とはいえ、生粋の人間のふてぶてしさは不愉快極まりないものでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る