第14話 策士の笑顔

翔也の恋人・江国佑月を自宅の最寄り駅まで送り届けた庄五郎は、浅草雷門近くの料亭・茶虎の奥座敷に案内されると、上座に腰を下ろして煙草を吸い始めました。

缶PEACE。

フィルターの付いていない煙草。

その煙をぼんやりと燻らしながら、庄五郎は自治会長を不憫に思いました。

隣に腰を据える区議会議員・米倉英雄の顔色を窺いながらも、柳ねこ町の大地主ー自分の事ではあるのだがー機嫌を損ねるわけにはいかない。

その戦々恐々とした、孤独に張り詰めた空気感。

実に人間らしくて滑稽で、価値のあるトーキー映画宛らの振る舞いは、庄五郎にとって娯楽そのもので御座いました。

媚び諂いながらの話しぶりと仕草。


自治会長は、喜劇役者に転生してはどうか?


今度提案してみようと、庄五郎は勧められた盃をくいっと飲み干しました。

米倉は、庄五郎よりもひと回り以上歳下で、まだ30代だというのに頭頂部が禿げています。

それを隠しもせずに笑っていられるのは、国政へうって出ようと決意した度量の持ち主だからでありましょうかー。


「私の様な若輩者が、こうして綾乃姫実篤先生と盃を交わせるのも、ひとえに会長のお心遣いのお陰でも御座いますから。さ、さ、どうぞ、会長もおひとつ」


「いやあ、たまにはね、世間の煩わしさなど忘れて、こうやって日本の未来を担う者同士!と言っても、私なんぞはいつお迎えが来てもおかしくはありませんけどな」


「そんな、ご冗談を。会長にも、まだまだ活躍していただかないと」


「おやおや、死ぬまで働けって言うのかい?」


「滅相もございません」


笑い合う二人を眺めながら、庄五郎は居心地の悪さに足を組みなおして煙草を消すと、太刀魚の刺身に箸をのばしました。

すかさず、米倉が酌を勧めますが。


「お心遣いありがとう。しかし、どうぞお構いなく、気楽に参りましょう」


と、礼を言って、再び煙草を取り出します。

米倉は、座を正して応えました。


「先生は・・・」


「ん?」


「かなりの愛煙家と伺っておりますが、このご時世、少々肩身が狭いのではありませんか?」


「いやいやあ、流れだからさ。それに私は家庭では一切やらないのだよ」


ここぞとばかりに、自治会長も話に加わりますが、その目線はきょろきょろと御様子伺いそのものであります。

庄五郎は、さっき思いついた提案を、生涯口にすることはないだろうとほくそ笑みました。

自治会長はコメディアンだ。

そう思えたからです。


「ご存知の通り、奥様はそりゃもう美しいロシアの方でね・・・そう言えば、あちらにもありましたな。大きな賭場が。夜毎夜毎にガラッポンガラッポン」


余りにもわざらしい自治会長の台詞に、庄五郎は煙草を仕舞って、米倉は箸を置いてしまいました。

虚しく響き渡る自治会長の笑い声の中、米倉は頭を下げながら言いました。


「先生。単刀直入に申し上げます。カジノがもたらす経済効果は長期で見ても7兆円は下らない。私は、日本のカジノはマカオを越えると確信しております。その為には、国政へ進出しなければなりません。どうかお力添えを頂きたい」


庄五郎は、別のことを考えていました。


ー30代だろう米倉君。君も私と同じなんだな・・・だけど君は勇敢だ。国政に出てもきっと成功するだろうさ。植毛はしないんだな。カツラの私とは大違いだ、立派だよー


「柳ねこ町一帯は、羽田からも近く、誘致が確定している湾岸エリアへのアクセスも良い。好条件が揃っているんです。将来的には地下鉄も延伸するでしょうし、多くの発展が見込める希望の土地です」


ー私は大丈夫なのか?カツラとバレてやしないか?米倉君が発する生命力は・・・このみなぎるセクシーなチカラは何だ!カツラである私を卑下しているのかな、米倉君・・・どうなんだい?教えておくれー


「こうして先生とお近付きになれたのも縁で御座います。ホテルリゾート誘致合戦に名乗りを上げるべく、私は、若輩者ながらご提案をお持ちしました」


ーその提案は何だい?植毛かな?だったら丁重にお断りするよ米倉君、痛そうじゃないか。ところで、君はカツラにしないのかいー


膝元に捧げられた風呂敷包みの感触に、庄五郎はやっと我に返りました。


「いや、困りますなあ、こんなことをされては困る。受け取れません」


すると、米倉の代わりに自治会長が。


「そんな固いことは言いっこ無しで、あっても困るもんじゃないでしょう。それに、米倉さんは、先生の組織票が欲しい。単純明快でしょう。ね!そうでしょう米倉さん!」


と、言いながら包みを押し返します。


「受け取れません!」


「何を頑固な!ただのご提案でしょうが!!」


「いや困る!」


「盃まで交わしておきながら、米倉さんに恥をかかすおつもりか!?」


「もう!会長さん!あなたはいったい何なんですか!」


怒り任せに立ち上がった庄五郎は「もう結構」と、捨て台詞をはいてきびすを返しました。

しかし、その反動でカツラは落下して、ゆで卵のようにつるっとした頭が露わになると、静寂は凍てつくほど冷たく、残酷なものとなって3人を包み込んでしまいました。

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