第13話 りりの部屋
大富豪、綾野姫実篤邸宅内には、至る箇所に猫扉なる専用通用門が設けられてあります。
此処で暮らす猫達は、先祖代々好きな時に好きな場所へと行ける特権が与えられて御座います。
寝室、個室、風呂場や客間、シアタールームにダンスホール、極めつけはトイレ。
プライベート重視の人間様にとって、そんな彼らは厄介者かも知れませんが、それが猫が猫たる証。
愛する翔也と、江国佑月との「LOVE」を目の当たりにした雪之丞は、憔悴しきった傷心の面持ちで、りりの部屋の猫扉をくぐり抜けて、ふかふかのベットにダイブしたのでありました。
お値段以上のホームセンターであしらえたこの部屋は、シックで落ち着いた大人の空間。
しかしそれは、両親や、家庭訪問に訪れる担任教師の目を欺く仮の姿なのです。
成績優秀、スポーツ万能、異なる瞳の色をした内気な女の子は、クラスの変わり者などではなくて、柳ねこ町を拠点に活動する地下アイドルグループ・YANAGIねこ7、とりわけ、おちゃめなムードメーカー・星奈アキラ推しの熱烈サポーターでもありました。
夜な夜な勉学に勤しむ傍ら、学校から帰ると部屋に引きこもって、ユーチューブで定期的に配信されるアキラチャンネルに没頭する毎日。
壁掛けの世界地図をひっくり返すとアキラくん。
ラッセンのタペストリーを裏返すとアキラくん。
電子辞書の裏にもアキラくん。
スマホの待ち受けアキラくん。
定期の裏にもアキラくん。
愛読書・嵐が丘の裏表紙にもアキラくん。
りりの世界はアキラくんでいっぱいなのでした。
机に向かって、前のめりにスマホを眺めるりりは、背後のベットでふて寝する雪之丞なぞ全く視界に入らない。
鈴の音さえも聞こえない。
イヤフォンから聞こえるアキラくんの声と、あどけない笑みがこぼれる表情に萌えまくりですから、致し方ないので御座いましょう。
「今日も楽しんでもらえたかな? 君に癒しを。君に愛と、ちょこっとだけの恋する勇気を。ニューシングル・かわいいニャンコを踏んづけちゃったら、桃色のにくきゅうでお仕置きされたぞ、よろしくお願いしますにゃ。YANAGIねこ7・おっちょこちょいの心のどろぼうねこ、星奈アキラでした!また来てにゃ!ばいなら」
舌っ足らずのアキラの声は、りりの脳内に潜む快感トリガーを擽り続けています。
感情を自制できなくなったりりは、ひとりで喋り始めました。
「ニューシングル・かわいいニャンコを踏んづけちゃったら、桃色のにくきゅうでお仕置きされたぞ。マジ洒落おつなんですけどぉぉぉぉぉぉお!良きですにゃ、アキラ王子とにゃんにゃんしたいにゃ。でへへへへへへへへへへへへへへ」
立ち上がってくるくる踊るりりを見ながら、雪之丞は思いました。
「人間て愚かね・・・だけど、そんな未完成の部分があるから生きていけるのかしら・・・私は・・・私は・・・どうしたいの?」
その時です。
みたらしが忍び足で部屋に入って参りました。
冴えない表情の雪之丞に、やさしく語りかけます。
「気にすることなんてないよ。気になるだろうけど・・・」
「気にしてなんかいないわよ」
「雪之丞は、いつでも翔くんといれるじゃないか。いっしょにまんまるになって寝れるじゃないか・・・それって、ものすごく仕合わせなことだと思うんだ」
「・・・ありがと、いつになく優しいのね」
「ほら、見てごらんよ」
カーテンの隙間から見えるまんまるお月様。
昨日まで欠けていた場所は完全に塞がっていて、とても見事な満月で御座います。
かぐや姫も、同じ夜空を見ていたのかなあ・・・。
みたらしがそう言いかけた瞬間、ベットにどすんと衝撃がありました。
2匹は楽譜の音符みたいに弾け飛んで、ソソラシソソラシドドレミレ♪
「あ、いたの?」
りりに持ち上げられながら、みたらしと雪之丞の尻尾はプロペラみたいにぐうるぐる。
手足が宙ぶらりんなのが、どうにも居心地が悪いのであります。
それでも、膝の上で交互に頭を撫でられると、ゴロゴロゴロゴロ喉が鳴って、嫌な気持ちとはさようなら。
雪之丞は考えました。
人間と猫と、どちらが仕合せなのでしょう。
みたらしの声が聞こえます。
「ふわふわだね。気持ち良いね」
今度はりりの声。
「あなた達猫は良いよね。いつも楽しそう・・・悩みなんかないんだろうなあ・・・」
「そんなことないよ、ぼくたちだってさ」
「あ~あ、人間なんかにならなきゃよかった・・・今度は猫に生まれ変わりたいなあ」
「猫は猫で大変だよ。付き合いもあるし、縄張りだって」
「ちょっとみたらし、くすぐったいよ。スリスリしすぎ」
「わかってよ・・・猫って退屈なんだから!」
「もうわかったわよ。甘えん坊なんだからみたらしは!お腹空いたの?さっき食べてたじゃない?」
「違うよ、わっかってよ、お腹なんか空いてないよ」
「それに比べると、雪之丞はお利口ね」
解り合えない猫語とヒト語。
よくよく考えたみたら、人間同士でも通じないのが言葉でありますから、便利なんだか不便なんだか・・・。
みたらしは、ベットの隅でねこタンクのまま、ふてくされてしまいました。
りりは、雪之丞をナデナデしながら独り言。
「雪之丞は賢いよ・・・りりたちをちゃんと理解しているみたい・・・」
「・・・分かり合えっこないもの・・・はじめから・・・お終い」
「ほんとイイ子だなお前は」
「そうやって頭を撫でれば、猫が喜ぶと思っているのが哀れね・・・」
「猫がいいなあ・・・人間はイヤだなあ・・・」
「変わってあげてもよろしくてよ、お嬢様」
「高校なんか行きたくないなあ」
「行かなきゃいいじゃない」
雪之丞は、ツンと顔をあげました。
それを見たりりは、その狭すぎるおでこに何度もスリスリで御座います。
「・・・死にたい・・・」
「・・・」
「ウソだよ・・・」
「結構毛だらけ、猫灰だらけ・・・」
ふてくされていたみたらしも、いつの間にかりりの傍へと近付いて丸くなっておりました。
早すぎる鼓動と、遅すぎる鼓動がいっしょになって、満月の夜はとても心地良く穏やかです。
「りりだって・・・ぼっちはイヤだよ・・・」
自動車のエンジン音が聞こえます。
りりはすっくと立ちあがり、カーテンを開けて庭を見ました。
庄五郎の愛車・リューギに乗り込む江国佑月。
見送る翔也とマルグリーデ。
ライトアップされた庭園は、まるでおとぎの世界のようでした。
「あの女・・・お兄ちゃんも随分な人がお好みね」
りりの言葉に、雪之丞は賛同しました。
みたらしはというと、そんな異生物コミュニケーションの傍観者であります。
「あんなクソまずいハヤシライス。ふざけんなつぅ~の!」
と、りり。
「男は胃袋でだなんて、古臭いんじゃない・・・だけど引っかかる男も男・・・」
と、雪之丞も負けてはいません。
「お兄ちゃんも、見る目がないなあ・・・」
「ほんとほんと」
「財産目当てだっちゅーの」
「正解!」
「もうキスとかしたのかなあ?」
「KISS!?」
「それとも・・・もっと?やだあ!」
「☆〇▲▽□!!!♪!!ギャ!!!◎◎!ギャギャ!!□!!~!」
想像力が猫一倍逞しい雪之丞は、バッタバッタともんどりうって、そのまんまピタリと動かなくなりました。
りりは言います。
「わあ!どうしたの雪之丞、かわいいねえ~」
言葉はまやかし。
間もなく子の刻で御座います。
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