探偵は語らない
くるとん
第一章 密室
密室の謎(前編)
「皆さん、ごきげんよう。探偵です。」
玄関で恭しくお辞儀をする男性がいる。彼は、本名・年齢・経歴全て不詳の探偵である。探偵の後ろに隠れるかたちとなっている女性が挨拶をする。
「こんにちは。えっと、助手です。」
助手の名前は響野あずきというが、この探偵事務所のルールとして本名は名乗らない。出迎えに出てきたA氏が怪訝そうな顔を浮かべつつ、屋内に招き入れる。
玄関を入って右手にはお風呂場があった。探偵は何の躊躇もなく、ドアを開ける。脱衣所には洗濯乾燥機が鎮座しており、床には水色と黄色のマットがしかれている。あずきが止めようとするが、全く意に解さない様子で、そのまま浴室のドアも開ける。しばらく使われていないようで、床は乾いていた。シャワーヘッドが真新しいため、やや異質な感じを受ける。床には、必要最低限のせっけん類が置かれているのみである。
「探偵さん?」
A氏が探偵を訝しむ。あずきが適当な言葉でごまかしていると、玄関左手のリビングルームから警部が登場した。あずきが会うのは2回目である。
「おぉー。探偵殿、来ていただけましたか。今回もよろしくお願いしますよ。」
探偵は謎の人脈を誇る。警察その他あらゆる機関に顔がきく。探偵が軽く会釈をすると、警部は探偵とあずきを事件現場に通した。
事件現場となったのは、玄関から左奥の位置にある書斎である。今回の事件は殺人未遂事件である。この家の家主であり、有名作曲家であるY氏が顔面に大けがを負った。
書斎のドアは無残にもぶち破られていた。部屋の中には被害者のものと思われる赤いしぶきが飛び散っており、ドアの内側にも付着している。被害者が顔面を打ち付けられたとみられるガラス製のテーブルからは、まだ赤い液体が滴っていた。
テーブルは入ってすぐの位置、目の前に設置されている。入口からテーブルまで1メートルほどだろうか。このスペースに被害者は横たわっていた。左手の壁には本棚がずらりと並んでおり、地震が起きれば危険な状態であった。床はフローリングで、丁寧にワックスがかけられている。テーブルを迂回するように部屋の奥へ進むと、Y氏が使っている机と椅子のセットがある。
「探偵殿、この部屋は電話でもお話した通り、完全な密室です。」
探偵は警部の報告などお構いなしに検証を進めている。警部も長い付き合いのようで、そのまま話を続けた。
「ご覧の通り窓は二重鍵で施錠されており、外された形跡もありません。第一発見者たちによってぶち破られたドアも、室内から鍵がかけられていました。」
「外側から施錠することは?」
探偵が口を挟んだ。やはり話はしっかり聞いているようである。警部が淀みなく答える。
「鍵はありますが、被害者が持っていたようです。ほら、そこの机の引き出しに入っているやつです。」
探偵が引き出しの中を確認すると、確かに鍵が入っている。第一発見者はA氏を含めたお弟子さん3人である。目を盗んで戻せるような場所ではない。鍵の横にはメガネケースが置いてあり、中には老眼鏡が入っている。他の引き出しには大量の懐中時計がコレクションされていた。
「実はドアの下に2センチ程度の隙間がありまして、そこから施錠できないかと試してはみたんですが、内側の鍵がかなり固く、無理でした。」
「なんで隙間があるんですか?」
あずきが質問すると、A氏が答えてくれた。
「この部屋、密閉が結構すごいんですよ。昔は防音室だったみたいで。なので、これくらい隙間がないと、圧の関係でドアが開きにくくなってしまうんです。」
被害者は作曲家である。ピアノは机の横にあるが、ほこりがかぶっている。どうやらそこまで使うわけではないようだ。
「というわけで、完全な密室だ。被害者はかなり強い力でテーブルに顔を叩きつけられたらしい。医者殿の話だと、顔の骨もかなり折れてるみたいだ。ひどいことしやがる。」
警部が事件のあらましを話し終えると、探偵が質問を投げかけた。
「不注意で転んでしまった事故という可能性、いえ、ないですね。」
探偵が質問をしかけたが、自分で答える。そのまま探偵は窓の鍵や本棚を丁寧に観察する。本棚の角には、場違いな工具のメジャーが置かれている。
「助手殿、第一発見者の方たちのお話を聞いてきていただけますか。」
探偵からの初指令である。あずきは書斎を出ると、警部とともに、2階の弟子部屋へ向かった。
「皆さんが第一発見者ですか。」
第一発見者は、この家に住み込みで働いているY氏の弟子3人である。あずきは、それぞれの特徴や話を手帳にメモしていく。
『A氏
細身で長身の男性。弟子歴は一番短いが、Y氏に一番才能があると言われている。
弟子3人は皆、地下スタジオで新曲の収録を行っていた。Y氏から内線電話で呼び出され、Y氏の書斎を訪れた。楽譜のことで10分ほど話をされて、そのまま地下スタジオへ戻った。』
「そのとき、Y氏の様子はどうでしたか。」
あずきが聞くと、A氏はやや呆れたような表情で答えた。
「どうもなにも、いつもと何も変わらない。いつものようにノックをして、先生に中から鍵を開けてもらう。それで書斎の中で話し合いをする。先生は楽譜に指示を書いてみえたよ。
ほら、これがその楽譜さ。細かい字だろ。先生老眼のわりに字が小さいんだよな。今日も老眼鏡はかけてみえたんだけど、そういえば先生を発見した時はかけてみえなかったね。」
あずきと警部が楽譜を確認する。確かに字がかなり小さい。
「Y氏の部屋を見て、何か気づいたことはありませんか。」
今度は警部が質問をした。
「うーん…。特に変わったところはなかったと思うよ。まあ、先生はよく部屋の模様替えをなさるんだ。気分転換で。だからなくなってるものとか、普段と違うところがあっても、あんまりわからないね。」
最後に発見時の様子を聞いてみる。
「あぁ、あの時は、確かCさんがトイレから戻ってきたときだった。収録の片づけも終わったし、先生にご報告をと思ってね。弟子3人で部屋に向かったんだ。ノックをしたんだけど、反応がなくて。まあ、反応がないことはよくあるんだ。先生、自分の世界に入っちゃうとまわりが見えなくなるタイプだから。
それでも取材の予定が入っていたから、内線電話をかけてみたんだ。先生、電話は出てくださるんだ。怒られるけどね、いいところだったのに、って。
でも結局電話はつながらなくて、少し心配になってきたんだ。それで失礼かと思ったけど、ドアの隙間から部屋の中を覗いてみたんだ。そしたら先生が倒れてるのがわかったんだ。それでドアをぶち破ろうと思ったんだけど、先生の体がドアを押すかたちになってしまっていたから、ノブと鍵を壊したんだ。あ、壊したのはBさんだよ。一番腕っぷしが強いからね。
それですぐに救急車を呼んだってわけさ。」
次はB氏に話を聞いてみる。
『B氏
かなり力がありそう。大学時代ラグビーで鍛えたとのこと。弟子歴は長く、Cさんとほぼ同じ。収録途中、A氏と同じく内線電話でY氏に呼び出される。Y氏の部屋に向かうが、ノックしても応答がなかった。いつものことと思い、いったん収録スタジオへ戻った。時間は3分程度だったとのこと(本人談)。』
「なんの用で呼び出されたんですか。」
あずきの質問に、B氏は困惑の表情を浮かべる。
「俺もよくわからないんです。とにかく来てくれ、それだけでした。何か重たいものでも動かすから手伝え、ってことだと思いました。よくあるので。
あ、そうだ警部さん。先生の持ち物に懐中時計はありましたか。」
突然の質問に、警部が戸惑う。
「なぜそんな質問を。」
警部は鑑識資料を見ながら尋ねる。おそらく聞き込みテクニックの一つなのだろう。
「いえ、先生がお持ちの懐中時計、かなり高価なんです。場合によっては高級車並みの値段がつく代物のようで。これまでにもあの時計を狙った泥棒が何度も侵入しているんです。
それで、もしかすると懐中時計を狙われたのではないかと。」
警部は特に反応せず、鑑識資料を確認している。
「警部さん。」
B氏がしびれを切らしたように声をかけたところで、警部は質問に答える。
「懐中時計はまだ見つかっていないようです。確かにご指摘の可能性も考えられますね。」
警部の答えを受けて、A氏が話をはさむ。
「あぁ、そういえばカーペットも無くなってたような…いや、先生がどこかに片づけられたんだろう。失礼。」
確かにカーペットにもかなり高価なものがある。ただ、泥棒が殺人未遂の犯人だとして、カーペットなんか持って逃げるだろうか。
「では、Cさんにお伺いしましょう。」
警部がC氏に話を振る。
『C氏
もの静かな女性。弟子歴は長く、弟子というよりも、Y氏のよき話し相手とのこと。作曲活動はしているものの、鳴かず飛ばず。B氏がY氏に会うことができずスタジオに返ってきたとき、いれ違うかたちでトイレに向かった。数分でスタジオに戻る。』
警部が質問そのまま質問を続ける。
「トイレに立たれた際、Y氏の部屋から物音などはしませんでしたか。」
トイレはY氏の部屋の目の前にある。玄関から見れば突き当りに位置している。もし何かが起きていた場合、音が聞こえた可能性はある。
「いえ…。」
少し顔色が悪い。
「Cさん、大丈夫ですか。こちらで少し休みましょう。」
あずきが促すと、C氏は近くのイスに座った。
「ありがとうございます…。」
やはり体調が優れないようだ。あずきが警部に視線を送ると、警部も気が付いたようで、聞き取りは後ほど、ということになった。あずきは、その後聞き取った話を手帳にまとめ、探偵に差し出した。
『C氏
部屋の様子で気づいたことは特になし。ただ、Y氏は、リビングにあった置時計を自室に運び入れたり、自室の花瓶を玄関に置いてみたりと、模様替えに凝っていたそう。もしなくなっているものがあっても、別の部屋にあったりY氏の別宅にあるかもしれないとのこと。
Y氏の老眼鏡は、C氏がトイレの中に置き忘れられているのを発見したとのこと。老眼鏡はリビングにある老眼鏡入れに戻したとのこと。』
「…ということでした。探偵さん、どうですか。」
初仕事ということもあり、やや緊張したが、大切な情報はしっかりとメモしたつもりだ。
「大変参考になりました。
ええ、犯人がわかりました。皆さんのところへ向かいましょう。」
探偵は言葉のトーンを変えることもなくつぶやくと、弟子らが待機しているリビングへ向かった。途中、警部に何かを話していたようだが、あずきの位置からは聞き取れなかった。
―――探偵です。読者諸賢の皆さま、探偵は真相に到達しました。証拠もすでに確認済みです。ヒントはすべてこのお話のなか。ぜひ、ピースを見つけてみてください。
―――では、ごきげんよう。
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