第18話 喧嘩

 さっきからロイの様子がおかしい。こんなに余裕のないロイは初めてだ。いつもなら、私が何を言っても、何をしても何食わぬ顔をして表情をほとんど変えないのに、今は焦っているのが手に取るように分かった。

 目の前のコンソールを指でトントン叩いたり、腕を組んで考え込んだり。食事の時間になってもコックピットから出てこなかった。

 こんなことは賊に襲撃されたときも、敵艦に突っ込んだときもないことだった。

 どうやら不測の事態が起きたようだ。話しかけても大丈夫だろうか?


「ロイ、どうしたの? 何かあったの?」


 ロイはジッと睨みつけていたモニターから目を離しこちらに顔を向けた。そのまましばらく逡巡したのち、私の目を見つめて言った。


「依頼主と連絡が取れない」

「それって、お母様に何かあったってこと!?」

「それさえ分からない。何かあったのかも知れないし、そうでないかも知れない」


 私は愕然としてロイの座っている椅子の背もたれにしがみついた。全身から血の気が引いて、無重力下とはいえ体を支えきれなかった。

 短い会話だったとは言え、お母様と話をしたのはつい先日のことである。まさかそんなことになるなんて。


「気分が盛り下がっているところ悪いが、第三皇子に指定された場所に行くのは止めておいた方がいい」


 ロイはいつにも増して真剣な表情で私に言った。それは私に懇願するかのようであった。私には何故そのような結論に至ったのか分からなかった。

 

「……どうして?」

「罠の可能性があるからだ。依頼主に確認が取れない以上、止めておいた方がいい」


 ロイの答えに思わずカッとなった。自分でも頭に血が上ったのが分かる。背もたれを掴み直して体勢を整えた。

 

「そんなはずはないわ! そうだわ、お母様は私を迎えに来るために船でアゴス宇宙ステーションに向かっているのよ。だから連絡が取れないのよ」

「依頼主が迎えに来るという話は一切なかった。その可能性はない」

「何でこれが罠だなんて言えるのよ! マクシムお兄様はとても素晴らしい方よ!」


 なんて奴だ。私の危険を察知して迎えに来てくれると言うお兄様にそんなこと言うだなんて。ロイはどうかしてるわ。ロイはマクシムお兄様のことを分かってない。私を窮屈なところから外に連れ出してくれたのはお兄様なのに。私に自由の素晴らしさを教えてくれたのはお兄様なのに!


「第三皇子が戦争をやりたがっているのをユイは知っているのか?」


 ロイの問いに、私は声が詰まった。戦争をやりたがっているだなんて、そんな話を聞いたことなど当然なかった。そんな素振りもなかった。

 

「え? そ、そんなわけないじゃない。お兄様は平和主義者よ。お兄様だけじゃないわ。皇族のみんなが平和主義者よ」

「その平和主義者が戦争についてのことを学んでいたとしてもか?」


 ロイは相変わらず私を真剣な表情で見ている。そこには先ほどまでの焦りは見られず、何だか覚悟を決めたような眼差しをしていた。

 

「戦争のやり方を学校の講義で学んでいたとしても、それが本当に戦争を始めることとは同じじゃないわ」


 皇族として、万が一に事態に備えて軍事の勉強くらいはするだろう。それが戦争をすることと同義であるとは思えない。

 私はロイから目を逸らしながら答えた。私の心の中で何かが揺らいでいる気配を感じた。

 

「ひょっとして、ユイにドライアド宇宙ステーションへの留学を勧めたのは第三皇子なんじゃないのか?」

「……」

「そうなんだな?」


 ロイは確信を得たとばかりに私に詰め寄ってきた。私の心の中はすでにグチャグチャだった。誰を、何を信じればいいのか。幼い頃から私のことを本当の妹のように扱ってくれた兄を信じるべきか、それとも、出会って二ヶ月ほどしか経っていない、自称私立探偵を信じるべきか。

 

「何よ! 何も知らないくせに!」


 私はダイニングルームを飛び出すと、自室へと戻った。確かにそうだ。私にドライアド宇宙ステーションへの留学を勧めたのはマクシムお兄様だ。

 私が皇室の窮屈な生活が嫌で、もっと自由に暮らしたいと言ったときに、その夢を叶えてくれたのは確かにマクシムお兄様だ。

 でもそんなはずはない。たまたま運悪く共和国に利用されそうになっただけだ。現に今だって、戦争が勃発してはいないではないか。

 私は無重力空間に浮かぶ自分の体をギュッと抱きしめ、左腕に納まっているロイが私にくれた腕時計をそっと撫でた。

 きっとロイは私のことを心配して言ってくれているのだ。それなのに、あんなことを言ってしまった。何であんなことを言ってしまったのだろうか。お兄様を否定されたから? それとも私の意見がロイに受け入れてもらえなかったから?

 しばらくの間考えたが、その答えは出そうになかった。そして、アゴス宇宙ステーションに到着する日がやって来た。



 アゴス宇宙ステーションに降り立ったのは予定よりも何時間も早かった。

 入港した場所も指定された傭兵専用の宇宙港ではなく、多くの人が出入りする民間用の場所だった。しかもご丁寧に、偽の身分証明書で入港した。そう、私とロイが夫婦という設定になっているあれだ。


「ねえ、ロイの船ってこんな形だったっけ?」

「武装を収納しているだけだ。あんなものがついてたら、民間用の宇宙港に入れないだろう?」


 武器を格納したにしても変だ。明らかに形がトゲトゲしたものから丸い形に変化している。どうやらロイの船にはまだまだ秘密がありそうだ。

 その秘密を全部知ることはもうできそうにないのだが。そう思うと、何だか心が痛んだ。

 あれからロイとは普通に話をしている。お互いにあのことについてはもう話さなかった。そしていつの間にか二人の間ではタブーになっていた。

 だが、この念の入り用を見ると、ロイが未だに疑っていることは明らかだった。

 指定された時間になるまで、私は船で待機することになった。私の顔は割れている。下調べには連れて行けないということだろう。ちょっとムッとしたが、もうロイの好きにさせることにした。

 ロイと一緒にいられる時間もあと少し。それまではお互いに笑い合えなくても、普通の表情で過ごしたい。



 間もなく約束の時間がやって来た。時間ギリギリのタイミングで戻ってきたロイは、どこからか借りてきた車に私を乗せた。そしてそのまま慣れた手つきで私を指定された場所まで連れて行った。

 到着した場所はアゴス宇宙ステーションにある皇族専用の屋敷ではなく、まるで要塞のような堅牢な建物だった。貴族達の屋敷は昔存在したというヨーロッパの田舎の風景を再現している区画にあると聞いていたのでちょっと期待外れだ。

 高い塀に囲まれた内部に入るには目の前の重そうな扉をくぐらなければならないようだ。しかし、私達が近くまで行くと、どこで見ていたのか門が音もなく開き、一人の男が出てきた。

 その男は恭しくこちらにお辞儀をすると、私達が乗る車を中に引き入れようとした。そのとき、ロイは車を止めた。

 

「俺の仕事はここまでだ」


 ロイはその男にそう言った。言われた男は一瞬動きが止まった。ロイの反応は予想外の出来事だったのだろう。どうするべきかと迷っていた。そしてややあって、男は言った。

 

「左様ですが。それではあとはこちらで……」

「まて。報酬の支払いが済んでいない。報酬が入金されるまで渡すわけには行かない」


 ここまで来て、ロイがお金のことで渋った。そんなに金が好きなのか。迎えの人は予想の出来事に「承諾を得てきます」と言い奥に戻るとすぐにもう一人の人物を連れてやって来た。その手には携帯端末が握られている。


「お待たせ致しました。主が成果報酬を上乗せして報酬を出したいとのことです。金額はあなたの好きなようにしてもらって良いそうです」


 二人の男は丁寧に頭を下げた。その顔には笑顔が張り付いているように見えた。

 

「二千万Gだ」


 途端に、男の顔が凍りついた。

 

「え?」

「二千万Gだ」


 もう一度ロイは言った。

 二千万G、とんでもない額をふっかけたものだ。それだけのお金があれば、貴族でも十年は遊んで暮らせる額である。ゴクリと対応している二人が唾を飲み込んだのが分かった。


「あんたのところのお姫様の値段がそれよりも安いと?」

「い、いえ、そんなことはありません。支払わせて頂きます」


 その後、何やら端末を震える手で操作し続けるとようやく支払いが済んだようである。端末を見ながらロイがにニヤリと笑う。実に悪そうな顔である。

 言われた通りに私を車から降ろすと「確認した。それじゃ、俺はこれで」と言って、誰の返事も待たずに颯爽と車を出発させた。

 ロイの乗る車はあっという間に街中へと消えて行った。

 もちろん私にも何の言葉もなかった。私は呆気に取られ、そのまましばらくロイが去って行った方角を見つめていた。

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