第11話 ポロリもあるよ
目の前に広がるのは川幅二十メートルくらいの流れるプール。そこにはすでに何人もの家族連れやカップル達がゆらゆらと浮かんでいる。
いつも身につけている腕時計で時刻を確認すると、まだお昼前。お昼ご飯に備えて軽く運動するにはちょうど良い時間帯だ。
「さあ、私達も行くわよ!」
「初めて泳ぐのに随分と元気そうだな。ちゃんと準備運動してから入ろうな。あと、プールサイドで走るのは危ないからやめような。良い子が真似するぞ」
「ちょっと、子供扱いしないでよ!」
ロイはすぐに私をそうやって子供扱いする。私だってもう十八歳の大人なのだ。確かにプールサイドは走ったし、今も準備運動なしにプールに入ろうとしていたけども、子供じゃない。
私は口を尖らせたままロイと一緒に入念に準備運動をした。
「よしよし、浮き輪はしっかり身につけているな。それがあれば大丈夫だろう」
私の今の姿を見てロイが言った。だがしかし。
「ロイ、他にも言うことがあるんじゃないのかしら?」
ロイが「そんなものあったか?」とでも言ったように首を傾げた。こいつ、分かってやってるわね!
「そうよ。私のこの水着姿を見て、何とも思わないの?」
ロイが上から下までじっくりと見てきた。あんなことを言った手前ではあるが、何だか段々と恥ずかしくなってきた。私はロイに褒めてもらいたかっただけなのに。
「良く似合ってるよ。その胴回りにつけている浮き輪がなければね」
「これは私の命綱なんだから。絶対に離さないんだからね」
ポムポムとドーナツ型の浮き輪を叩いた。ロイはそれを何だか眩しそうな目で見ていた。何だろう、なぜだかもの凄く恥ずかしくなってきた。こんなときはプールに入って火照ってきた体を冷やそう。
「さあ、入りましょうよ。いざいかん、七つの海を股に掛け、怖い物知らずの海賊だー! ヒャッホー!」
うひゃあ! 冷たくて気持ちいい! と、私のすぐ後ろでバシャンという水しぶきの音が聞こえた。
「ユイ!」
飛び込んできたロイが私にしがみついた。おいおい、まさか、まさかなのかな?
「もしかして、ロイも本当は泳げないのかな~?」
ニヨニヨしながらロイの顔を見ると、その顔は何故か青ざめていた。え? まさか? と思っていると、ロイはグイと私の体をロイの方に向けた。
「ユイ、水着がズレてる」
「え? うひゃあ!」
私は両手で隠そうとしたがここは水の中。バランスを崩した私はロイにしがみついた。
「どうしよう」
私はうつむいた。不幸中の幸いと言うべきか、装着していた浮き輪が良い具合に私の胸を隠しているような気がする。しかし、かなり微妙なバランスでそれは保たれており、油断すればその均衡はすぐにでも崩れ去ることだろう。
「俺がユイをしっかりと支えておく。そうすれば安心して両手が使えるだろう? その間に水着を戻すように」
私がコクコクと頷くと、ロイのガッシリとした両腕が私の体を支えた。何という安定感。水の中とは思えない。間に挟まっている浮き輪もそれに一役買っているようだ。
頷いたのを確認したロイは、目を瞑って明後日の方向に顔を向けた。その間に何とか水着を元の状態に戻すことに成功した。
「……見た?」
「……ちょっとだけ」
ロイは未だに顔を背けたままであったがその顔は少し赤い。きっとそのときの光景を思い出したのだろう。変なこと聞くんじゃなかった。
「不可抗力だぞ」
「分かってるわ。でも……貸し一つだからね?」
「何でだよ」
そう言いながらも、ロイは私の体を支え続けていた。
二人で流れるプールに身を任せて漂っていると、遠くで水しぶきが上がるのが見えた。以前にホテルの窓から見えたものと同じ物なのだろう。空に虹が架かった。
近くにいた家族連れが向こうの湖に水が吹き出る穴があるらしいと言うようなことを話している。
「湖にロイが言ったように間欠泉があるみたいね。湖にも行ってみましょうよ」
「そうだな。行ってみるとしよう。急ぐ旅ではなくなったからな」
「そうなの?」
ロイは無言で頷いた。曰く、こちらの情報が一部流出しているので、これまで以上に情報を集めて慎重に行動する必要があるとのこと。情報が流れて来るまでには時間が掛かるので、焦って行動を起こすと、見えない敵の思う壺だろう、とのことであった。
****
ダナイは通信を切ると、大きく息を吐いた。
この任務はロイがドライアド宇宙ステーションから姫君を連れ出すことさえできれば、何一つ問題なく終わるはずであった。なにせ、ロイが設計したあの宇宙船にはオーバードライブ航行が備わっている。それを使ってしまえば、その行方は誰にも知ることはできない。あとは帝国へ向かう適当なマジックブースターレーンに乗って、あっという間に、と言っても数日はかかるのだが、依頼者の元に姫君を送り届けられるはずだった。
「一体誰が裏にいるんだ? まさか皇帝陛下ではあるまいし」
ダナイは腕を組んだ。王妃が相談できる相手は限られている。その中の誰かから今回のことがバレたのだろう。ロイが上手く逃げ切ってくれればいいのだが。
そう思いながら、ダナイはロイと出会ったときのことを思い出していた。
当時ダナイは帝国の科学アカデミーでも名の知れた科学者であった。しかし、その頭文字には「マッド」という文字がついていた。彼は未知の科学に取り憑かれていたのだ。それを探求することができるのなら、いかなる犠牲が出ても構わないとさえ思っていた。
そんなダナイは禁忌とされる研究を進めようとしていた。それは人工的に人間を作り出すこと、すなわち「人造人間」の研究である。
この銀河では遺伝子操作はすでに多くの生き物で行われていたが、その根底には「人の手で人間を作り出してはいけない」という暗黙のルールがあった。もちろん帝国でもそれは看過されることはなく、重大な罪となる行為だった。見つかれば死刑は免れない。
それを分かっていてなお、ダナイは飽くなき研究心から自分を止めることができなかった。
ダナイは長い年月をかけて電子の渦の中に埋もれていった情報を徹底的に拾い上げた。
人類が宇宙に進出してから数千年の月日が流れている。自分と同じ考えを持った人物はかなりの数いることだろう。その全ては失われてしまっているだろうが、痕跡くらいは残っているはずだ。自らの研究の成果を後の世に残そうとした者がいるはずだ。
自らが研究者であろうという立場を利用して、ダナイは情報を集めた。上辺は現在生産されている家畜の遺伝子改良である。そしてその裏で、人類の遺伝子改良についての情報を集めていた。
そしてダナイはある事実を発見した。今から二百年ほど前に、とある研究用宇宙ステーションが何らかの事故により爆発四散したと言う。
その研究用宇宙ステーションは「ベルガロット社」という企業が所有していた。当時のベルガロット社はそれほど大きくはない企業だったが、動植物の遺伝子操作によって作られた新製品を次々と開発していた。
そのときの技術は素晴らしく、現在においてもなお、その一部が残っていた。
そのベルガロット社の研究施設がその宇宙ステーションであった。どんな事故が起こったのかは不明なままであったが、主力の研究施設を失ったベルガロット社は歴史からその名を消した。
原因の究明は徹底的に行われたそうだが、宇宙ステーションの損傷が激しく、ほとんど何も分からないまま調査は終わっていた。
ダナイはこのことに大いに興味をそそられた。そして自分もその場所に行って、自分の目でその痕跡を見たいと思った。そう決断した彼の行動は素早く、積み上げられた有給休暇をまとめて取ると、自らの宇宙船に乗り込み、ただ一人その場所へと向かった。同僚達は今まで一度も休みなど取らなかったダナイの奇行をいぶかしんだ。
ダナイはそこで脱出ポットの中で冷凍保存されたロイを発見したのだった。
二百年間もの間冷凍保存されていたロイは、天才科学者ダナイの手によって現代に何の後遺症もなく蘇ることに成功した。
そしてロイから話を聞いたダナイは、研究者をやめた。
我々人類は、人造人間に劣る。何よりも、慈愛の心において。
ベルガロット社の研究用宇宙ステーションを自爆させたのはロイの兄達だろう。彼らは自分達の情報が外部に流出し、争いの引き金となることを誰よりも恐れた。そして完全体である末弟のNo.61に未来を託した。いや、違う。彼らは自らを犠牲にすることはできても、一番年下の弟を殺すことができなかったのだ。
それに引き換え、研究者達はどうだろうか? おそらく研究に成功したことを喜び、さらなる研究を重ねていたのではないだろうか? 例えば、人造人間が人間を裏切ることがないように反逆できないようなプログラミングを仕込んでおくなど造作もないことだろう。
そこに人造人間の人権は存在しない。
「フフフ、ロイを姫君の救出に向かわせて良かった。あれほどまで表情が豊かになって戻ってくるとは思わなかった」
思わず顔が緩んだ。何年もの間、ほとんど表情の変化が見られなかったロイがあれほどの変化を見せたのだ。他の人にとってはほとんど分からない変化だったのかも知れない。しかし、親のつもりで接してきたダナイにとってはその変化がとても嬉しかった。
「随分と心配していたが、お前は立派な人間だよ、ロイ」
ダナイは一人、ポロリと呟いた。
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