第2話 逃避行
コンコンと扉を叩く音がする。その音にコンコンと叩き返すと、目の前に船内の暖かな光が差し込んだ。真っ暗なコンテナ内に入っていたので、その光が眩しくて手で顔を覆った。
「大丈夫か? 気分は悪くなっていないか?」
そう言うと、ロイは手を差し伸べた。私がその手を掴むと、ロイはゆっくりと私の体を引きあげた。そんなに長い時間入っていたわけでもないのに、体はすっかりと凝り固まっていた。
狭いところに入っていたからだけではない。きっとドライアド宇宙ステーションから逃げ出すという非日常的な行動が、私の心と体の平衡を失わせたのだろう。
今でも信じられない。まるでスパイ映画のよう。いや、それ以上の緊張感だった。
「大丈夫よ。ちょっと運動不足になってしまったみたいだけどね」
「そうか。この船にはトレーニングルームも完備している。後で使い方を教えよう」
そんな私の心境を知ってか、知らずか、ロイが同じ口調で話しかけてくる。何だかちょっとモヤッとする。感情の抑揚があまり感じられない。
それにしてもトレーニングルームがついているだなんて、本当にただのオンボロ貨物船ではないようだ。そのままロイに促されてコックピットまでやってきた。
眼下に広がる景色には、先ほど誰かが話していたように、赤い救難信号の光がそこかしこで点滅を繰り返していた。それも、かなりの数だ。これは全部回収するだけでも大損害だろう。一体誰がこんなイタズラをしたのだろうか? 捕まったらただでは済まないだろうな。
「マジックブースターレーンに乗るまではそこで大人しくしておいてもらうと助かる」
ロイが指さしたのは、本来ならオペレーターが座る席だった。目の前に広がっているコンソールパネルには色々な文字や記号が浮かんでは消えていたが、私にはさっぱり分からなかった。
私はいつも船には乗るだけ。運転をしたこともなければ、操作しているところも見たことはなかった。これでも箱入り娘なのだ。
「マジックブースターレーンで逃げるのね。このままここに座っていてたら見つかるんじゃないの? それとも、またあの中に入るの?」
窓からはすでにマジックブースターレーンに乗り込もうとする貨物船が列をなしているのが見えた。エネルギーをほとんど使わずに遠くの星まで移動できるマジックブースターレーンは、商売人にとってはなくてはならない、大変ありがたい交通網だった。
そんなありがたい交通網は何千年も前から地道に伸ばされたものであり、要所にある増幅器によって常にエネルギーが供給されるようになっている。
エネルギーと投入することで魔力を増幅させることができることを発見した科学者は、本当に偉大な発明をしたと私は思っているし、多くの人が同じ考えを持っているだろう。
一部にはそのせいで高貴な魔法文明が崩壊したという人たちもいるが、そんな批判をする人たちも、結局のところは私達と同じ恩恵を受けているのであって、文句を言う筋合いはないのではないかと思っている。
「その必要はないさ。一人乗りの貨物船に二人乗っていたところで、この辺りでそんなことは日常茶飯事さ」
「日常茶飯事って……」
そこまで言って気がついた。一人乗りの船に二人乗っていると言うことは、つまりはそういうことだ。女を連れ込んで広大な宇宙を航海するものは多いということだ。特に○○運送などの運送業者は。
「ロイ、まさか、私に変なことしたりしないわよね?」
ロイは私の頭からつま先までをしげしげと眺めた。そして、静かに首を振った。
な! コイツ、ためらいもなく首を振ったな! 気にしてるのに!
「そう頬を膨らませるな。大切なお客様に手を出すわけないだろう? そんなことをしたら、報酬金が満額もらえなくなるからな」
「なっ!」
ロイはさも当然とばかりに両手を挙げた。お手上げのポーズだ。
なんて奴だ。お金か。お金が大事なのか。お金のために私を誘拐して、依頼人のところまで届けようとしているのか。
平和のためでもなくて、お金のため。金、金、金、人として恥ずかしくないのかしら?
ロイを睨みつけたが全く効果がなかったようであり、チラリとこちらを見るとすぐに前方に目をやった。
ははーん、そういう態度を取るわけね。私のことなんて眼中にないと、そういうことなのね。なら分からせてやろうじゃない。私を無視しようだなんて、お天道様が許さないわよ。
「ねえ、ロイ。私ってそんなに魅力がないかしら?」
ロイの座っている操縦席にフワフワと飛んで行き、その座席の背もたれを掴んだ。
うん、宇宙遊泳は何度体験しても慣れないな。浮かび上がると言うことを聞かない体。どこに体の中心があるのか分からなくなる感覚は、重力下に慣れ親しんだ私にはあまり心地の良いものではなかった。
「悪いが、子供に興味はないんでね」
「何ですって!? ちょっとロイ、聞き捨てならないわね。これでも私は十八歳の乙女ですー!」
ほんとに何なんだ、コイツは! 邪魔してやる! 座席をガンガン揺すって邪魔してやる!
「おい、やめろ。船が揺れるだろうが」
「知りませんー」
「分かった、分かったから。可愛い、可愛いから、な?」
コイツ全然分かってない。許すまじ!
****
「おいおい、前の貨物船を見てみろよ」
「おうおう、もうすぐマジックブースターレーンに入るっていうのに、お盛んなことで」
「くー、おれも一人乗りの貨物船に女を連れ込んで商売したかったよ」
「お前についてくる女なんかいねぇよ」
ハハハと笑い合う男達の声が船内に響いていた。
「それにしても、マジックブースターレーンに乗るまでそんなに時間はないぜ? そんなに早く済ませられるのかよ」
「この段階で始めたんだから、きっと男の方には自信があるんだろうぜ。だが、相手の女はきっと欲求不満が溜まるだろうな。男とは感じ方が違うらしいからな」
「全く、若い奴らはいいなぁ」
前方の貨物船では実際にはそのようなことが行われているわけではなかったが、女性の方に欲求不満が溜まりつつあるのは確かであった。
****
前方に並んでいた貨物船の数はどんどんと減っていった。どうやら貨物船のマジックブースターレーンへの入場許可はすぐに下りるようである。
それほど待たずに私達が乗る船の番がやって来た。ロイは先ほどのライセンスを提示し、何の問題もなくマジックブースターレーンへと進んで行った。
「ほら、席についてシートベルトをつけろ。下手すりゃ鞭打ちどころでは済まないぞ」
「分かってるわよ」
先ほど示された席に戻ると、シートベルトで体をしっかりと固定した。
マジックブースターレーンに入ると船体は一気に急加速する。入り方が下手くそな人だともの凄い重力がかかり、最悪、椅子から投げ出され船内の壁に激突することになるのだ。このロイの腕前が分からない以上、しっかりと体をシートベルトで固定しておくべきだろう。
目の前にほのかに輝く光の川が見えた。これがマジックブースターレーンの正体であり、この光の流れに乗ることで、遠くの星系まで短期間で移動することができた。この光には加速の魔法が込められているらしく、川の中心部に行くほど光が強くなっていた。そのため、中心部に行くほど速度が速くなる。
ゆっくりと、着実に近づいて来る光の川が眼前にまで迫ったとき、私はもうすぐにでも来る衝撃に備えて、思わず目をつぶった。
あれ? 何も起こらない? 不思議に思って薄目を開けると、もの凄い早さで大きな雨粒のような光が瞬きながら後ろに流れて行っていた。光の正体は、遠くに見えていた恒星や銀河だった。
すでにこの船はマジックブースターレーンの急加速によって星々の間を滑るように進んでいた。このロイという男は加速による慣性を感じさせることなくマジックブースターレーンに乗って見せたのだった。
あまりの衝撃に後ろを振り向くと、すでに自動運転に切り替えた後なのかシートベルトを外し、よっこらせと立ち上がるロイの姿があった。
「最初の目的地まで二日はかかる。船内を案内しよう」
そう言うと、私をエスコートすべくこちらへとやって来た。
「最初の目的地はどこなの?」
「カトレアだ」
「ふーん」
カトレアは商業惑星として有名であり、商人達が多く集まる惑星だ。
そこでは盛んに物資の取り引きが行われ、それらの商品を各々の星系や宇宙ステーションへと売りに行くのだ。
そこには七つの星系を股にかける大商人達の拠点が集まっており、一切の税金がかからない特別自由都市として、帝国と共和国の両陣営から承認されていた。
「思ったんだけどさ、カトレアなんか無視して先に進んだ方がいいんじゃないの?」
「そう簡単に行くのが一番良いが、このマジックブースターレーンがいつ封鎖されるか分からない以上、慎重に進むしかないな」
確かにその通りかも知れない。乗り降りする場所がある程度限られているマジックブースターレーンで居場所が発覚すれば、待ち伏せにあってアッサリと捕まることになるだろう。
私がそんなことを考えている間にも、船内の案内は進んでいた。
「ここがユイの部屋だ。必要な物はある程度そろっているはずが、もし足らない物があったらカトレアまで我慢してくれ。そこで追加購入する」
案内された部屋は客室のようであり、それほど広くはなかったが小型宇宙船の中にしては十分過ぎるほどの広さだった。
こっちがダイニングルーム、こっちがトレーニングルーム、こっちがシャワールームと次々に案内されていく。
小型宇宙船にしては設備が良すぎるのではないだろうか。貨物船にカモフラージュしていると言っていたが、船のカモフラージュ代金とこれだけの設備を乗せていたら、かなりの金額になっているはずだ。
「ロイ、あなた、一体何者なの?」
先を行くロイが振り返った。彼の黄金の瞳が瞬き、口角が少し上がった。
「ロイ・ベルガロット。探偵さ」
「はあ? あんたのどこが探偵なのよ。特殊工作員の間違いでしょ」
ロイはその後、しばらく口を利いてくれなかった。どうやら怒らせてしまったらしい。
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