ロイ・ベルガロットは分かってない
えながゆうき
第1話 脱出
剣と魔法の時代が終わり、科学と魔法の時代が訪れてから数千年の時が流れた。かつては決戦兵器とまで言われた魔法は、今では悠久の時の中に静かに忘れ去られようとしていた。
ほんの少しの魔力で誰でも使うことが可能な科学技術。それは多くの人種に受け入れられ、それこそ銀河の隅から隅まで余すことなく使われるようになっていた。
部屋の窓から見える小さな星々を見ながら、一つため息をついた。
セルガレオス帝国の情勢は一体どうなっているのだろうか? 生憎このドライアド宇宙ステーションにはその手の情報は全く伝わってこなかったし、かと言って情報を収集することもできなかった。欲しい情報が規制されていることは間違いなかったが、私にはどうすることもできなかった。
今の私にできることは何事もない日々が続くことを祈ることだけだった。
祖国、セルガレオスがら少しばかり離れた、共和国の管轄下にある大使館の個室の中でただ一人。
柄にもなく私が心象に浸っていると、不意に足下から、カンカン、と小さく金属を叩くような音が聞こえた。
天井から床まで無機質なグレイの金属板で囲まれているこの部屋では、そのどこかを叩けばそのような音がしそうな気がする。
よくよくその音を聞いてみると、どうやらセルガレオス帝国で使われている暗号通信と同じリズムを刻んでいるようであった。
オウトウセヨ
それがこの暗号通信の内容だった。私は急いで足のつま先で床を、トントン、と蹴り返した。
イジョウナイシ
ゴクリと生唾を飲み込んで音のする方を見ていると、五センチほどの厚さのある床の金属板の一枚がゆっくりと持ち上がり、横へとスライドした。
あの重そうな金属板が音もなく動くのを、悲鳴をあげそうになるのをこらえながら見ていると、人一人がギリギリ通れるくらいまでスライドした金属板の隙間から、一人の男が這い出てきた。
無言でヌッと静かに近づいた男は漆黒の髪に黄金に輝く瞳をもっており、まるでどこかの物語から出てきた人を惑わす魔王のように見えた。
「姫君、お迎えに参上しました」
本気なのか、おどけているのか分からない口ぶりではあったが、私を連れ出しに来たことだけは理解した。
等間隔に配置された非常灯が照らす薄暗い床下は、少しかがむだけで歩けるほどの高さであった。きっとメンテナンスがやりやすいようになっているのだろう。頭上付近にある配管に頭をぶつけないように気をつけておけば、通り抜けるのは造作もないことだった。
足下には色とりどりの配線が蛇のように徘徊しており、ずぼらな工員が忘れていったのか抜け殻のように工具が落ちている。
「ねえ、私の部屋には監視カメラがいくつも設置してあったはずよ。私が居なくなれば、すぐに分かるわ」
まるで何度も来たことがあるかのようにスイスイと配管をよけて先を急ぐ黒髪の男に、先ほど思いついた疑問をぶつけた。
何も言われず、何も語らず、ただついて行くだけの状況を何とか打開したかった。
「姫君が窓辺で宇宙を眺めている状態を録画して、それをループさせて監視カメラに流している。しばらくの間は気づかれないだろう」
「もし私の部屋に誰か来たらどうするのよ」
「その可能性があるのか?」
「……ないわ」
いーだ! どうせ友達なんかいませんよーだ! 何よコイツ、失礼な奴ね。何だか段々腹が立ってきたわ。きっと下調べの段階で私がボッチであることを知っているんだわ。やな奴!
いい加減にイライラしてきたころで突如広い通路に出た。どうやらここは関係者以外立ち入りが禁止されているエリアのようだ。周囲に人の気配は全くなかった。
いや、人は居た。通路の曲がり角にグッタリとした人が横たわっている。多分、気持ちよさそうに寝ているだけだろう。
「これ、あなたがやったの?」
「ああ、邪魔なんで排除させてもらった」
「……生きてるわよね?」
「……」
「答えなさいよ!」
「寝ているだけだ。死んではいない」
黒髪の男は面倒くさそうに答えた。だったら早く言いなさいよ! 私は口をとがらせてそいつを睨んだ。
「あなたの名前は?」
「ロイだ」
「そう。知っているともうけど、私の名前はユイよ。それで、ロイ、これからどうするの?」
「このドライアド宇宙ステーションから脱出する」
「……それだけ状況は良くないということなの?」
「そういうことだ」
ロイに改めて急かされるまでもなく、私は急いだ。どうやら知らない間に状況は最悪の方向に進んでいるようだ。
私にできることは? セルガレオス帝国の第十六王女として、何かできることはないの?
カンカンと金属製の床を靴で蹴りながら、ようやく非常用通路を抜けた。そのまま私達は大使館のある建物の裏手から都市内部へと入っていった。裏手の扉は今は使われていないのか、都合良く人の気配はなかった。
ここまで来れば人の往来が多くなってくる。それによって私達の存在は目立たなくなるはずだ。それがたとえ夜の帳が下りるころの時間帯であってもだ。
いくつか通りを進んだところで、横道に逸れた。その先に見えるのは駐車場。どうやらここで乗り物に乗るようだ。
用意されていたのはこのステーション内でよく見かけるタイプのタクシーだった。どこでどうやって手に入れたのかは知らないが、ロイは用意していた車に乗り込んだ。
慌てて隣の助手席へと滑り込むと、すぐに車は発進し、貨物港に向かって一直線に走って行った。
****
一方の大使館では、大切な客人がいなくなっていることに気がつき、大騒ぎになっていた。
まず始めにそれに気がついたのはモニタールームにいる監視官だった。
すでに寝る時間になっているのに全く動かない客人を不審に思い大使館の職員を向かわせると、すでにそこには誰もいなかった。
すぐに警備員が呼ばれ部屋をくまなく捜索したが怪しい箇所は見つからなかった。誰一人として床の重い金属板を持ち上げて侵入するものがいるとは思わなかったのだ。
その後、館内をくまなく捜索しているところに、スヤスヤと眠る設備点検員が発見され、大慌てとなった。
異国の姫君は逃げ出したのだ。大事な人質がまんまと逃げ出したことに、ドライアド宇宙ステーションはにわかに騒がしくなった。
「くそう、一体いつ逃げ出したんだ! 逃げ出してからどのくらいの時間が経っているか分からん。宇宙港は全て封鎖しろ。ステーションから外に出るのを阻止するんだ」
突然の出来事に管制塔は慌ただしく動き出した。広大な宇宙にポツンとあるドライアド宇宙ステーションから脱出するには宇宙船に乗るしかない。船が発着する宇宙港さえ封鎖してしまえば捕まるのも時間の問題だ。管制塔の指揮官はそう思っていた。
「た、大変です!」
「どうした、一体何があった!?」
それほど時間もかからずに姫君を拘束できると楽観視していた矢先の出来事だった。
「それが、脱出ポットが大量に射出されています!」
「なんだと!? 一体どのくらいの数だ?」
「全体の約三分の一が射出されている模様です」
「くそっ! 逃げるのに脱出ポットを使うとは考えたな」
だが、待てよ。ふと、指揮官は考えた。姫君一人で複数の脱出ポットを射出することが出来るだろうか? 事前に小細工をするにしても、常に我々の監視下にあったはずだ。さすがにそんな隙はなかったはずだ。それならば……手引きをした者がいるな。
「おい、脱出ポットから発進される救難信号の数と、射出された脱出ポットの数を急いで照合してもらえないか?」
「え? り、了解です!」
その男がすぐに入れた通りに照合を開始すると、すぐに気がついた。
「あ! 救難信号と射出された脱出ポットの数が合いません!」
「やはりか。救難信号が出ている脱出ポットは囮で、本命はそっちか。おい、救難信号の出ていない脱出ポットの数はいくつだ?」
「は、はい! 全部で六つです」
「六つか。用意周到というわけだな。急いでそれらを回収するように指示を出せ。最優先事項だ。他の作業は中断して構わない」
「はっ!」
敬礼一つ。その場にいた全員が再び慌ただしく動き出した。
「そう簡単に逃げ出せるとは思うなよ」
指揮官はほくそ笑んだ。
****
ロイが一直線に向かった先は貨物港だった。
「貨物港に船を隠しているのね。見つかるんじゃないの?」
「大丈夫だ。ほら、あれが俺の船だ」
……何よこの船、ただのオンボロ貨物船じゃない!
四角い不格好な船体には「○○運送」と書かれている。この運送屋は銀河全土に支店をもつとても大きな運送会社の一つである。
「ねえ、ロイ。私の聞き間違いよね?」
「いや、あれで合っている」
「どう見てもただのオンボロ船じゃない!」
ブーブー言いながらタラップを駆け上り、オンボロ船に乗り込んだ。
「あれ? 中は思ったほど汚くはないわね」
驚くべきことに、その中身は広々としていた。おそらく五人くらいは一緒に生活できそうな広さがあった。明るいグレーの色で統一されており、陰湿な感じは全くなかった。
「当たり前だ。目立たないように偽装しているだけだからな。ほら、姫君はこっちだ。こちらにお入り下さい」
グイっと思いっきり手を引っ張られた。暴力反対!
「痛っ! ちょっと、私のことはユイって呼んでよね! 姫君は止めて。それ、嫌いだから」
私はその呼ばれ方が嫌いだった。私とみんなが距離を置く一番の原因となるそれが。
「悪かったな。それじゃ、ユイ、少し狭いがこの中に入っていてくれ」
「ここは?」
そこは通路の下にある小さな物置のようなスペースだった。中は不気味なほど真っ暗で、明かりは何一つなかった。
「このスペースは出入港するときのセンサーを掻い潜ることができる場所だ」
「なるほど。密輸品を運ぶのに便利なスペースってわけね」
「その通り」
ロイの口元がニヤリとした。
「……私は密輸品と言うわけね」
私はじっとりとした目でロイを見た。
「そういうことだ。しばらくそこで大人しくしておいてくれ」
嫌な奴! レディに対して失礼だわ。もっと他の言い方があってもいいじゃない。
暗い物置に押し込められるとすぐに船が揺れた。どうやら動き出したようである。真っ暗で何も見えないが、視覚が無くなった分、船内に響く微かな物音に集中した。
船は少し進んだところでストップした。どうやら、出港許可待ちのようだ。周りにも同じく出港待ちの船があるのか、船内に雑談をする声が聞こえている。どうやらロイが飛び交う通信を傍受しているようである。
「おいおい、聞いたか? 何でも脱出ポットが誤作動を起こして、大量の脱出ポットが外に出ちまったみたいだぜ。こりゃけっさくだ」
「そうなのか? 全て回収するのに金がかかりそうだな」
「確かにな! このステーションで商売するときの税金が上がったりしてな」
「そうなったら、取引先を考え直すよ」
「違いない。ここはそれほど美味くもないしな」
「その通りだな。さっさとここを出て、別の場所に一儲けしに行きたいよ」
「ハッハッハ、そうだな。お、ようやく動き出したみたいだぜ」
周りの声が聞こえなくなると、船は動きだした。
「お待たせ致しました。ドライアド宇宙ステーションからの出港ですね。ライセンスの提示をお願いします」
女性管制官の声が聞こえる。それに対してロイが答えた。
「ちらっと耳に挟んだんだが、飛行ルートの安全は確保されているのか?」
「ああ、先ほどの脱出ポットの件ですね。誤作動も収まり、ポットの回収も始まりましたので問題はありません」
どうやら宇宙ステーションの脱出ポットの誤作動は本当だったようだ。そんなことってあるのかしら? 脱出ポットは人々の命を守る大事な最後の砦なのに、それが誤作動を起こすだなんて。きっとこのドライアド宇宙ステーションの住民は怒るわね。
「ライセンスが確認できました。またのご利用をお待ちしております」
管制官側の通信が終わると同時に、私達が乗っている船は星の大海原へと飛び出した。
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