第五章 文化祭の隕石 2
「…ううう」
僕は思わず目の前の劇に魅入ってしまって、号泣していた。
目の前で繰り広げられていた、渡木会長のクラスの劇のおやゆび姫。
それはそれはとても素晴らしい劇だった。
おやゆび姫を中心とする、さまざまなキャラクターにドラマがあり、そして人生があった。
…おやゆび姫ってこんなに深い話だっけ?
あの短いシナリオをここまで深い物にしたのか。
それに渡木会長の演技も凄まじい物だった。
なんであの人、演劇部じゃないんだ?
『そして、おやゆび姫は花の国の王子と結婚したのでした』
「…おおおおんんんん!」
遂におやゆび姫が幸せになった…。
なってこった、これは原作を買わなきゃ!
そんな馬鹿みたいな事を考えていると、僕の方に近づいてくる影が。
「どうも、土井さん」
「…あ、下野先輩。見てました?渡木会長の演技!」
「しー!」
「あ、す、すいません」
僕が感極まって、大きな声で下野先輩に声をかけると、縄田先生に静かにしろと行動で言われる。
今、ビデオを撮っているのだから当たり前だろう。
僕がハンカチで涙を拭っていると、下野先輩は小さな声で言ってくる。
「ええ、見ていましたよ。…と言っても、仕事がひと段落してからの途中からでしたけど」
「なるほど。…そういえば、下野先輩のクラスは何の劇ですか?」
「こっちは完全オリジナルです。楓と夜銀も同じクラスなので、やりやすかったですね」
三人とも同じクラスだったのか。
「という事は、こっちも下野先輩が脚本を?」
「ええまあ」
下野先輩は少し恥ずかしそうな態度を取った。
「それはいいですね。時間があれば観に来ますね」
「ありがとうございます」
下野先輩は嬉しそうに笑った。
この会話が終わると同時に、こちらへ向かってくる、足音がなる。
ドレスを着たままやってきた渡木会長だ。
「土井君ー!あ、梓もいる!」
「大声で叫んじゃ…」
僕は横目で縄田先生を見たが、先生は録画を中断していた。
流石です先生。
「どうだった?土井君」
渡木会長に感想を聞かれて、僕は素直に答える。
「最高でした。やっぱり、渡木会長は凄いですね」
本当にそう思う。
渡木会長はいろんな意味で本当におやゆび姫みたいだった。
「えへへ、やったねー!梓はどう?」
渡木会長は僕の言葉に照れた後、下野先輩にも同じ質問をする。
「まあ、よかったんじゃないですか。といっても、私のクラスの方が凄いでしょうけど」
下野先輩が少し味悪そうに言うと、渡木会長が挑発するように言った。
「ううー、言ってくれるじゃないか梓!私も梓の演技を見てあげるよ!」
「私は裏方なんですが…」
まあ確かに。
古屋先輩と菊川先輩がいたら、他の人の出番なんて殆どないだろう。
裏方、頑張って下さい。
「それで、渡木会長はこれからどうするんですか?」
僕が渡木会長に尋ねると渡木会長は少し考えながら言う。
「そうだね…。私の仕事までまだ時間はあるからね…。土井君は?」
「あと一つの劇が終わるまで、ここで待機ですね」
そして、渡木会長の目線が僕から下野先輩に移る。
「梓は?」
「私はまあ、劇も後半ですから今は校内の見回りぐらいですけど…」
すると、渡木会長はパアッと顔を輝かせて言った。
「それだったら、一緒に周ろうか!待ってて、すぐ着替えてくる!」
「ちょ…!」
渡木会長は風のようにこの場から消えてしまった。
僕は下野先輩に言う。
「いい機会じゃないですか。それに、逃げる事は多分できないですよ」
「ううう…。なんでこんな急なんですか…」
それは、あの人が渡木花奏だからですよ。
その後、下野先輩は渡木会長に腕を掴まれて、校内に消えていった。
下野先輩は少し顔が赤くなっていたような気がした。
・・・
二つ目の劇が終わり、僕のここでの当番は終わる。
後は、交代の人を待つだけなのだが…
「土井さん。次の人は誰ですか?」
隣の縄田先生が僕に尋ねてきた。
「えっと、火ノ元先輩です。さっきまで本部待機のはずなんで、まあ遅れるのは仕方ないですね」
「そうですか。土井さんは予定は大丈夫なんですか?」
「ええ。この後少し時間が空いてから、クラスの手伝いですね」
「なるほど。ならまあ、大丈夫ですね」
そして、会話が終わる。
周りからは、次の劇を観ようとするお客さんの雑談の声だけが聞こえていた。
「あの、土井さん」
「はい?」
突然、縄田先生が口を開く。
てっきり、さっきので話は終わったものだと思っていた。
「…今、何か悩んでいますか?」
「え、いや、まあ、少し」
「そうですか。先程の劇の間は、何かずっと考え事をしているような感じでしたから」
「そ、そうですか」
僕が悩んでいるところをしっかり見られていたみたいだ。
少し恥ずかしい。
「まあ、悩む事はいいことです。悩んだら悩んだ分だけ、しっかりと未来に繋がるのは確かです」
「…そう、ですかね」
「ええ。それでもし、悩んだ結果が間違っていたのなら、それを指摘するのが大人や私達教師の務めです」
今回の事は指摘されても困るような気がするのだが。
それでも、伝えたい事はハッキリ分かる。
「だから、しっかり悩んで答えを見つけてくださいね」
「わかりました。ありがとうございます」
僕がそう感謝の言葉を述べると遠くから火ノ元先輩が近づいてくるのが見えた。
僕は縄田先生に別れを告げる。
「では、僕はこれで」
「ええ。文化祭、楽しんで下さいね」
「はい」
僕は立ち上がって、火ノ元先輩の方を向いて軽く手を振る。
僕を見た火ノ元先輩は小走りに僕の方にやってきた。
「遅くなってごめんなさい!待たせてごめんね土井君」
少し息を切らしながら、僕に謝ってくる火ノ元先輩。
「全然大丈夫ですよ。本部の方は大丈夫でしたか?」
「ええ。少し忙しくなったけど、今は落ち着いています」
「そうですか」
少し忙しくなったのか。
大丈夫だろうか。
「それで、今の当番が氷彗なんだけど、心配で…。少し見ておいてもらえる?」
「それは心配ですね」
あの人はかなり無口だ。
本部に誰かが来て、しっかりと対応できるだろうか?
こうなったら、急いで戻ろう。
「では、よろしくお願いしますね」
「わかりました。では」
僕はその場を離れようとした。
「あの、土井君」
後ろから、火ノ元先輩に声をかけられる。
「今日のどこか、時間空いてたりしませんか?」
僕はいきなりのことで何を言われたのかすぐには理解できなかったが、なんとか答える。
「そうですね…。あんまりもう空いてないですね。強いて言うなら、後夜祭ぐらいですかね」
「…そうですか。そうですよね…」
少し火ノ元先輩がしょんぼりする。
後夜祭。
生徒会ではなく、有志の団体がPTAと共に行う文化祭のイベントだ。
それでも多少なりとも生徒会も手伝うことにはなっているが。
「だ、大丈夫ですか?何かあったんですか?」
「いやいや、大丈夫ですよ!さ、早く氷彗の所に行ってください」
火ノ元先輩は焦ったように答えた。
「は、はあ」
僕も火ノ元先輩の対応に気の抜けた返事をした。
一体何の用だったのだろうか。
結局、答えが出ることもなく、僕は体育館を後にしたのだった。
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