第83話 最後通牒
遺跡でエルニアに削られた仮面の傷は、ちょうど鼻の真下に細く弧を描いていた。
薄笑いにも似た歪んだ線は、今の俺の心情をずばり表している。
嘲りを含んだ警告に、群衆は一斉に息を呑んで黙り込んだ。
『もしもーし、レグナードさーん? 聞こえていますよねー? 今出て来れば、荒事にはしませんよー』
猫撫で声で応答を待つ俺の前へ、人垣を強引に割って3人の男が躍り出る。
「──おいおい、小僧! 黙って聞いてりゃ、調子に乗ってくれるじゃねぇか!」
まず声を上げたのは、サングラスをかけ、白いスーツを窮屈そうに着た大男だった。
開いた胸元からは、黒Yシャツに赤ネクタイが締められていた。
これ以上無いチンピラの見本である。
脇の二人も、色違いの似たような恰好だった。
3人とも20台そこそこと若く、俺の記憶にない面だ。幹部ではあるまい。
奴らは始めこそ掴みかからん勢いだったが、アンバーとの体格差を実感したのか、間合いの外で踏みとどまった。大柄と言えども、アンバーの前では等しく子供のようなものだ。
白スーツは尻込みしたのをごまかすように、俺を見上げて勢いよくがなり立てた。
「ここは
「兄貴の言う通りだ! こんなところで騒がれちゃ、堅気の皆さんに迷惑ってもんだぜ!」
「そうだそうだ! 若頭も忙しいからな! きちんとアポを取ってからにしな!!」
口ぶりから、レグラスではなく息子のレグナードの取り巻きだと知れる。
威勢は良いが、教育がまるでなっていない。
それを見やる周囲の人々の反応も冷たいものだ。
ひそひそと後ろ指を指されている事に、当の3人は気付いていないらしい。
組の名を持ち出して喚き散らすとは、まさに虎の威を借るなんとやら……おっと、今の俺が言えた義理じゃないか。
レグラスとは俺も古くから懇意にしており、レグナードともガキの頃から面識がある。何しろ出産にも立ち会ってやったくらいだ。
しかし親父が甘やかしたせいで、10代までに一通りの犯罪に手を染め、二十歳になる頃にはやりたい放題。すっかり絵に書いたようなドラ息子になってしまった。
商売はやり手のレグラスだが、親馬鹿という欠点だけは修正できなかったのだ。
そしてある時レグナードは、御法度の奴隷市場を派手に公開するという無作法をやらかした。
その際俺が直々に出張り、警告として会場を丸ごと更地に変えた上で、本人と取り巻きを半殺しにする事で手打ちにしてやった。
以降、表面上は大人しくなったのだが。
つまり奴は、俺が隙を見せれば真っ先に食い付くだろうと踏んでいた、獲物の一人だった。
「おいコラ、聞いてんのかクソ坊主が!! ああ!?」
「兄貴がお喋りモードの内に聞いといた方が身のためだぜ!」
「この街じゃガキだろうが公平に扱うからなぁ!」
グラサン達の能書きが続く。
アンバーが微動だにしないせいで調子に乗っているようだ。
次世代の連中がこれとは。まったく、レグラスに同情するぜ。
「──うるさいなぁ」
ぐだぐだと叫び続ける男達を前に、俺は一度拡声機能を解いて溜め息をついた。
「てめ……!! なんだその態度はゴルァ!!」
「坊主、兄貴を誰だか分かってんのか!? 若頭直属の……」
『──誰が発言を許可したってんだ!! この三下どもがぁぁぁああああっ!!』
音量を最大に開放した俺の怒声が、ビリビリと街中を振動させた。
周囲の皆が一様に耳を塞いでへたり込み、あるいは崩れ落ちていく。
吹き抜ける音波で路上の看板が倒れ、店先の棚がガタゴトと揺れる。
更には俺の甲高い声は音割れを起こし、窓ガラスや脆い外壁へぱりぱりと細かいひびを入れて行った。
それらが落ち着いた頃、ようやく場に静寂が戻る。
『……なーんちゃって。叔父さんなら、こう言っていたでしょうね』
俺は澄まして腕を組み、腰を抜かした3人組を悠然と見下ろした。
割れてフレームだけが残ったサングラス越しに、怯えの混じった目が見返してくる。
『こっちも子供のお使いじゃないんですよ。捕らえた襲撃者から、誰の差し金か吐かせたので。とっくにネタはあがってるんです』
俺は一転穏やかな口調に戻し、慈悲を込めた視線でグラサンどもを見詰めた。
『それでもこうして、自首する機会をあげようと思ったんですけどね』
肩を竦めながらの言葉は、嘘と本音が半々だ。
まず親交のあるレグラスへの義理が半分。
もしも現時点でレグナードが投降していれば、奴に免じて被害を最小限にしてやろう、とも考えていた。
しかし、俺の知るレグナードの気性では、絶対に従わないだろうとの読みが残り半分だった。
そしてその予想は的中し、俺の呼びかけに未だ反応はない。
これで心置きなく、作戦を次の段階へ進められるというものだ。
視界の外で聞いているであろう標的に向けて、告げる。
『さて、レグナードさん。僕達もこれで忙しいので、いつまでもこうしてはいられません。今から10分後、こちらからお迎えに行こうと思います。それまでにお出かけ準備を整えて下さいね』
俺は勿体ぶって一拍置くと、次は眼下の聴衆へと手を差し伸べた。
『そして、現在北区に滞在している全ての皆さんへ残念なお知らせです。只今をもって、北区全域に避難勧告を発令します。今すぐ付近の建物へ入るなり、正門から中央区へと退避して下さい。10分後、屋外にいる人はもれなく粛清対象と見なし、一切の安全は保障できません』
俺の言葉を理解するのに、数秒を費やし……
群衆が、蜘蛛の子を散らすように退散を始めた。
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