第36話 神の気まぐれ
一瞬前に俺が立っていた場所を、金色の烈風が駆け抜けた。
フェーレスの指がマントの裾を僅かに
俺は空中で一回転して両足から着地すると、すぐさま後方に大きく飛び退いた。
ザシュッ!
そこへ真上から降ってきたフェーレスが、地に足を着けた途端に土埃を巻き上げ眼前から姿を消す。
俺は勘を頼りにその場へしゃがみ込むと、背後の地面すれすれを蹴り払った。
回転する視界の中に一瞬金髪の揺らめきが見えたが、あっさりと蹴りを回避され再び姿を見失う。
死角を取られたままではまずい。
俺は宣言通り全力を出す事を決め、装備の魔力を解放する。
頭上から迫る気配を察知し、俺は屈んだ姿勢から前方へと身を蹴り出した。
ズダンッ!
先程までとは桁違いの推進力をもって、一気に距離を突き放す。
今履いているブーツに込められた魔力で、脚力を飛躍的に強化させたのだ。
俺は庭の境界線ぎりぎりまで突っ走ると急停止し、くるりと後ろへ振り返った。
そして。庭の中心に立ってにやにやとしているフェーレスへと叫ぶ。
「──てめぇ、やっぱり最初から飛ばしてきやがったな!」
「ふふふふ。いやー残念残念。3分丸ごと頂こうと思ったのに。アレ避けられるとは思わなかったわ~」
再び前傾した構えを取ると、前に掲げた両手の指をわきわきと蠢かせるフェーレス。
「さっさと終わらせてイチャイチャしようよー。たっぷりサービスしてあげるからさぁ。んふふふふふ……」
駄目だこいつ、もう訓練だって事を忘れてやがる。
しかしその速さは流石と言わざるを得ない。蓄積した経験と勘があるからこそなんとか躱せたが、果たしていつまで保つか。
やはり身体が判断に追いついていない。反応が僅かに遅れてしまう。
雑魚相手ならば誤魔化しが利いたが、格上を前にするとボロが出る。
ただ、それを確認できた事で目的の一つは達した。元々今の状態でフェーレスに敵うとは思っていない。後は手持ちの材料でどこまで足掻けるかが課題となる。
身体能力が伴わないのなら、相応の戦い方を模索する良い機会だ。
俺はへらへら笑っているフェーレスへ向けて、不意を打つべく猛然と走り出した。
受け身に回るのは得策ではないと判断した──ように見せかける為だ。
フェーレスは俺が戦法を変えた事を把握した様子で、舌なめずりをして迎え撃とうとしている。
あと一蹴りでフェーレスに飛び掛かれる距離まで接近し、俺は踏み込みのタイミングをずらした。
フェーレスはそのフェイントには惑わされずに、横へ跳んだ俺の姿を目で追っている。
その足が動き出す前に、俺は第二の装備を発動させた。
着地寸前で俺の姿は風景に溶け込み、目標を見失ったフェーレスは踏み出そうとしていた足を留めた。
羽織っているマントには、着用者を透明化する魔力が込められているのだ。
地に足が着いた瞬間は見られたらしく、軽く舞った埃目掛けてフェーレスが弾丸の如く飛んで来る。
しかしそれに合わせて俺は死角へ回り込むように跳躍し、距離を離した上でじっと息を潜めて気配を断った。
「……あーそう。そこまでやる訳ね。本気だってのはわかったわ」
俺の気配を探るように、庭をぐるりと見回したフェーレスが声を上げる。
「でもねー、美少年マイスターであるあたしを舐めて貰っちゃ困るってのよ」
フェーレスは軽くにっと歯を見せた後、鼻をすんすんと鳴らしながら歩き始める。
数秒もする頃には、真っ直ぐに俺の潜む方向へと足を進めて来たではないか。
……まさかこいつ、俺の匂いを……!?
その疑念によって、今いる場所には微かに後方から風が吹いている事に気付く。
なんという大失態だ。潜伏時において相手の風下を取るのは、狩人の基本中の基本である。俺は己の腕力に頼り過ぎたあまりに、こんな基礎すら忘れていたのだ。
「んっふっふ~。ヴァイスきゅんの匂いは、今朝たっぷり嗅いだばっかりだからね。近くにいれば丸分かりよ~?」
ほくそ笑むフェーレスが、俺の居場所を確信したように視線を送って来る。
神のクソ野郎が! 何でこんなド変態に超嗅覚を授けやがったんだ!
俺は信仰を微塵も捧げていない創造主へ心中で毒づくと、透明化を解除して猛ダッシュを開始した。
透明化の術式は、発動中常に集中を要する。展開させながらでは長い時間激しい運動はできない。居場所がばれるのならば、持続させるだけ精神力の無駄だ。
「そーそ。かくれんぼじゃなくて鬼ごっこをやらないとね。そろそろあったまってきたっしょ。お姉さんも本気出し始めちゃおうかな~?」
ある程度の距離を取り、後ろへ向き直った俺の目に、ショートパンツのポケットから髪留めを取り出して後ろ髪をまとめているフェーレスの姿が映った。
パチン。
と、髪留めの音が鳴ったと思った瞬間。
すぐ目の前にフェーレスの顔が出現していた。
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