第33話 野獣達が夢の跡

「──っぷしゅん!!」


 情けなくも可愛らしい自分のくしゃみによって目が覚めた。


 酷い頭痛がする。耳元でガンガンと鐘を打ち鳴らされているようだ。なかなか焦点が定まらない。


 未だ眠気が抜けない俺の背筋へぞくぞくと寒気が走り、再び口からくしゃみが飛び出した。


「っくしゅっ!」


 我が事ながら、なんとまあ愛らしい声になってしまったのか。


 とにかくも、くしゃみの反動で半身を起こす。

 すると目に入ったのは、全裸のままでベッドに乗っている自分の身体と、至る所に残る大量のキスマークだった。


「……ああ……あんのクソビッチども……!!」


 それを見て、ようやく昨夜の記憶が蘇ってきた。


 フェーレスとセレネへ手料理を振る舞い、自分も混ざって食事を始めた時、昼間に溜まったストレスを解消するべくワインを一本空けたのだ。


 常の俺ならその程度で酔う事は無かったが、流石にこの年齢ではまだアルコールへの耐性が弱かったようで、一杯目にして強烈な眠気に襲われてしまった。


 その時点で俺は切り上げようとしたが、同席した二人が熱心に酌をしてきたので、ついつい調子に乗ってしまったのだ。


 奴らは中身こそアレだが、見た目だけなら極上の美女には違いない。

 そんな二人におだてられながら酒を勧められて、断れる男がいるだろうか? いや、いまい。


 代わる代わる注がれるワインをあおっては、口元に運ばれるつまみを頬張るうちに、敢え無く轟沈した結果がこれだった。


 やけに甲斐甲斐しく世話をしてきたのは、酔い潰して襲うのが目的だったという訳だ。


 しかも自分達だけ散々楽しんだ挙句に、俺へのアフターケアもなしだ。素っ裸のまま放置しやがった。

 春とは言え夜はまだ冷える日も多い。風邪でも引いたらどうしてくれるのか。


 ……「アンバーに治して貰えばー?」とのたまうフェーレスの軽薄な顔が目に浮かぶようだ。


 どうやら昨日の仕置ではまだ生ぬるかったらしい。次はどうしてくれようか……


 などと考えている内にも、全身へ鳥肌が立っていく。


「……いつまでも裸で呆けててもしょうがねぇ……まずは頭をしゃっきりさせねぇとな……」


 俺は呟きながらのろのろとベッドを降り、金庫から酔い覚ましを取り出して一気に飲み干した。


 そして効果が出るのも待たずに着替えを手にすると、ふらつきながら風呂場を目指すのだった。




 熱い湯を浴びて汗と暗い気分を洗い流し、服を着終えた頃には薬が効いてきた。ようやく頭の重さから解放される。


 髪をタオルで拭きながら、その足でダイニングへと向かうと、丁度朝食を終えたらしいフェーレスがテーブルへ長い足を投げ出して新聞を広げている所だった。


「おっはよーヴァイスきゅん」


 紙面から顔を上げると、にたにたと憎たらしい笑みを浮かべてそんな言葉をはなって来た。その肌は妙につやつやとしている。


「……なんだそのキモい呼び名は」

「えー? 可愛いと思ったんだけど」


 俺の問いにきょとんとするも、すぐににんまりとした表情に戻すフェーレス。


「そんな事より少年や。良い夢見れたかい?」

「……ああ、最高の目覚めだった、ぜ!」


 おどけて言ってくるフェーレスに向け、俺は返事と同時に手にしたタオルを丸めて振りかぶると、思い切りその面に向けて投げ付けてやった。


「おっとー。どう致しまして~」


 しかし皮肉も通じない上にあっさりと受け止められてしまった。更には、


「いぇ~い! 美少年エキスたっぷりのタオルゲッツ! うへへへへへ」


 濡れた部分に鼻を押し付け、はすはすと荒い呼吸を始めたではないか。


 その有様に、俺の背筋をぞわりと怖気おぞけが這う。


「てめぇも匂いでイケる口かよ……! よくもまあ、そうポンポンといくつも性癖が出て来やがるもんだな!」

「えへへ~それ程でも~」

「褒めてねぇんだよ!!」


 これ以上何を言っても無駄だろう。

 恍惚とした表情でタオルに顔を埋めるフェーレスの相手はやめ、俺はキッチンへ向かった。


 普段ならこの時間にはアンバーがいるはずなのだが、その姿は見当たらない。

 まさかまだ昨日の場所でぶっ倒れているのだろうか。後で確認に行かねばなるまい。


 ひとまず奴の事は棚上げして、俺は手早くサンドイッチを作って席へと着いた。


「おー、美味しそうじゃん。一つちょうだいよ」


 昨日の手料理が余程お気に召したらしい。目聡く皿の上を確認したフェーレスが案の定ねだってくる。


「……タオルと交換だ」

「むぐぅ……」


 俺の出した条件に、葛藤のうめきを漏らすフェーレス。


「くっ……なんて残酷な選択させんのよ……! 美少年スメルと手作りサンドイッチ、どっちか一つとか……」

「受付時間は俺が食い終わるまでな」


 それを他所に、俺は遠慮なしに食事を開始する。


「あ、ちょ! あんた食べるの早すぎ! わかった、わかったって! ほら、これでいいっしょ?」


 フェーレスは最後に大きく深呼吸してからタオルを顔から離すと、名残惜しそうに差し出した。


「最初からそうすりゃ良いんだよ。ほれ」


 俺はタオルを受け取ると、ハムサンドを一つほうってやった。


「ひゃっほい! うまうま!」


 お預けを解かれた犬の如く、フェーレスは口でキャッチするとそのままがっつき始める。


 こいつ、どんどん馬鹿になっていってないか……?


 お調子者に見えて、計算高くマイペースを崩さない。

 そんな俺の中の人物像が、ガラガラと崩れて行くのを感じる。


 逆に考えれば、そこまで態度を豹変させる程、今の俺の姿に魅了されているという事だろうか。


 そんな思いを巡らせながらサンドイッチへ食い付く俺へ、早くも食べ終えたフェーレスが新聞を見せて来る。


「そうそう、昨日は随分派手にやらかしたのね。早速ニュースになってるよ」


 言いつつ指される紙面には、「期待の新星現る!」という見出しと共に、昨日の黒髭亭での顛末が記されていた。


 記事を読む内に、ふと俺の脳裏に閃きが走る。


「……ああ、一つやる事思い付いた。後でちょっと付き合え」


 俺の言葉に、フェーレスが目を丸くした後、舞い上がらん勢いでテーブルの上へ身を乗り出して来る。


「え、なになに!? デートのお誘い? いーよいーよ、どこ行くの? 逢引宿ラブホテル?」

「何で出先の第一候補がラブホなんだよ! 頭に媚薬でも詰まってんのか!」

「えー? デートって言ったら結局ラブホ行くっしょ。なら最初から行っちゃっても良くない?」

「情緒もへったくれもねぇな!」


 なんと言う連れ出し甲斐の無い女だ。


「……まあ、何をするかは後のお楽しみだ」


 俺はそれだけを返すと、食事に戻る。


「焦らすねこの~。まあそういうのも嫌いじゃないけど?」


 フェーレスは上機嫌で椅子に座り直すと、俺が食べ終わるまでにこにこと見守っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る