第23話 大衆食堂 黒髭亭
カラカラと来訪の鐘を鳴らし、俺は両開きのドアを押し開けた。
途端にむわりとした熱気に乗って、料理とアルコールの匂いが混ざった喧噪が中から溢れ出してくる。
「──いらっしゃいませ~!」
入り口付近を通りかかった若い女性店員が、振り向き様に元気良く歓迎の意を示す。
「あら、可愛いお客さん! どうしたの? 僕一人?」
「……いいえ、拙僧が付いておりますぞ」
俺の目線へ合わせるように腰を曲げる店員に向けて、同じく屈んだ態勢で入り口を窮屈そうに潜り抜けたアンバーが応えた。
「あらまあ! アンバーさんのお連れ様? 初顔ですよね?」
「
アンバーが打ち合わせ通りの台詞を淀みなく並べた後、俺は店員へと告げる。
「こんにちは! 初めまして、お姉さん。ヴァイスと言います。これから度々お世話になるかもしれませんので、宜しくお願いしますね!」
はきはきと言いながら、極上の笑顔をお見舞いしてやった。
「ふわぁ、可愛い~……ヴェリスさんの甥っ子さんなんだ~。まだ小さいのに、礼儀正しいのねー。叔父さんとは大違い!」
前半の反応は予想通りだが、後半については「余計なお世話だ!」と怒鳴りそうになるのをぐっと堪えて笑顔を保つ。
「ヴァイス君ね。うん、覚えた! 私はミオ! よろしくね。あぁ、そうだ。丁度一つ席が空いたばかりだから、良かったら休んで行ってよ! 冒険者デビュー祝い? そんな感じでご馳走してあげるから!」
「良いんですか? ありがとうございます!」
そんな提案に対し、子供は無理に遠慮をしない方が良いだろうと判断し、俺は多少大げさに喜んで見せた。
「
「なんのなんの! アンバーさん達にはみんな助けられてますし、ヴェリスさんの甥っ子さんなら、きっとお父さんも大歓迎ですよ!」
言いながら先導するミオへ追随し、俺とアンバーは周囲の注目を浴びながら席へと着いた。
ここはギルドがある中心街、更にそのど真ん中の広場に面した食堂である。
美味い料理に加え、昼夜問わず酒を提供している事もあり、連日昼間から飲んだくれどもが集う人気店だ。
フェーレスとセレネにお仕置きを済ませた後、俺はアンバーを伴ってギルドへと赴き、ヴェリスの甥ヴァイスとして冒険者登録を申請した。
俺直筆の紹介状を見せ、ギルド長の承認の元、晴れてEランクからのスタートとなった。
俺は完全に別人となるべく言葉遣いから態度までを徹底して切り替え、ボロが出ないように努める事にした。
その結果が先程の馬鹿丁寧な挨拶だ。
俺一人では怪しかっただろうが、概要を顔の利くアンバーに語らせ、俺は自己紹介と最低限の受け答えだけに徹する事で、挨拶回りは今の所順調に進んでいる。
そしていくつか馴染みの店を回った所で、休憩がてら立ち寄ったのがここだった。
飲食店という枠で言えば、俺が最も贔屓にしている店である。
ここの店主は元冒険者で、名をヒューゴと言う。
歳は40過ぎと俺より一回り上だが、冒険者としては俺の方が先輩だ。
なんともややこしい関係ではあるが、不思議とウマが合い、昔は依頼を手伝ったり訓練に付き合ったりと、何くれと世話を焼いてやったものだ。
それなりに才能のある奴だったが、冒険者を始めたのは店の開業資金を得る為だったらしい。
Sランクに昇級してすぐに引退し、この店を開いたのだった。
冒険者時代のよしみで俺が店へ通ううちに、パーティの奴らも付いてくるようになり、今や全員常連客だ。
店主自身が腕利きなのに加え、俺達が懇意にしている事もあり、腹に一物抱える連中はまず寄り付かない。
この街の中では珍しくトラブルの少ない店となっている。
テーブル席から離れたカウンター奥の厨房をちらりと覗き見ると、筋骨隆々で立派な黒い
本来は別に店名があるのだが、店主の髭のイメージが先行し、いつしか「黒髭亭」という通称が定着してしまった。かく言う俺もそちらで呼んでいる。
先に挨拶を済ませたかったが、あの調子ではそんな余裕はあるまい。ご馳走になりながら手が空くのを待つとしよう。
「──はーい、お待たせしました! アンバーさんはいつものミルク! ヴァイス君にはオレンジジュースで良かったかな?」
厨房から戻ってきたミオが、おしぼりと共にストローの刺さったグラスをテーブルに置きながら尋ねてくる。
「はい。ありがとうございます。ちょうど喉が渇いてたので嬉しいです!」
俺は本心からの言葉で応えた。
春先とはいえ、体を動かすと少し暑いくらいの陽気である。ギルドを出てからこっち、ずっと歩き詰めで少々汗が滲んできた所だったのだ。
「えへへ、そう言われるとこっちも嬉しいな~。ちょっと待っててね、何かおつまみも出してあげるから」
舞い上がるように踵を返してカウンターへ去っていくミオは、ヒューゴの一人娘だ。
確か今年で二十歳になるのだったか。
母親を幼くして亡くしているが、それを感じさせない
ミオ目当てで来店する者も多く、今も通り過ぎたテーブルから、野郎どもの無遠慮な視線が彼女の形の良い尻へと向けられていた。
「……ふぅ。生き返った」
俺はジュースを嚥下し、言葉を選びながらも一息付く。
アンバーもフェイスガードを僅かに開き、器用に内側を晒さずにミルクを吸い上げている。
こいつはいかにも酒豪に見えて、実の所は下戸である。
店で頼むのは決まってミルクだ。
しかしそれを笑う者はいない。客の皆がその実力を知っているからだ。
「いやはや。流石に目立っているようですな」
ぽつりと呟くアンバーに、軽い頷きのみを返す。
突如現れた新顔へ興味津々と言った視線が、ざわめきと共に降り注ぐのをひしひしと感じる。
しかし俺は注目される事にはとっくに慣れっこだ。
そしてこんな見世物のような状況に全く動じない少年の態度が、殊更に奇異な物として周りの連中には見えているのだろう。
俺はアンバーへ目線で気にしないよう伝えると、おしぼりで顔を軽く拭った。
しばし会話もなく静かに休息を取る俺達だったが、不意にそれを遮る者が現れる。
「──よう、坊や。ちょいと邪魔するぜ。さっき聞こえちまったんだが、あのヴェリスの甥っ子なんだって?」
俺達の座る席に、ジョッキを手にした男二人がふらりと近寄り声をかけてきた。
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