第3話 元凶

 扉の向こうには、かなりの大きさの空間が広がっていた。



 天井は回廊同様に高く、3階建ての宿屋でも入ってしまうかと思える程の広さだ。


 扉から奥にかけて、通路を形成するように巨大な柱が等間隔で左右に連なっている。


 しかしその広大な部屋には、所狭しと置かれた机の上に実験器具や本等が散乱し、壁際にはずらりと円筒状の水槽のような物が並んでいる。


 まるで何かの研究所を思わせる光景で埋め尽くされていた。


「成程な。邪悪な魔術師殿の工房って訳だ」


 水槽の中は、得体のしれない緑色の液体で満たされている。


 その内のいくつかには、道々倒してきた異形に似た物が浮かんでいた。


「……まあ、今はどうでも良い。用があるのはお前だ」


 本や器具の山に隠れて見えにくいが、部屋の奥には確かに人影が佇んでいた。


 辺りは水槽が仄暗い緑の光を放っているだけで、そこまでは照明が届かない。

 その姿は輪郭までしか見て取れなかった。


「騒々しいな……実験の邪魔だ。出て行け」


 俺達にとってはガラクタに過ぎない物で溢れる机を蹴り飛ばしながら接近すると、人影がこちらを見もせずに声を上げた。


 妙にかすれた、聞き取りにくい男の声だ。


 趣味に没頭して、侵入者なんぞ眼中にも無かったって事か。


 それとも、余程自分の強さに自信が有るのか。


「そう言う訳にはいかねぇんだ。その実験とやらをやりたきゃやってろ。こっちも勝手に仕事を済ませるだけだ」


 そう返しながら近付くにつれ、声の主の姿が明るみに出る。


 擦り切れた赤茶色のローブを頭から被った後ろ姿があった。


 そこまで接近した時、ようやくにしてそいつはこちらを振り返る。


「全く……他者の領域へ断りも無く入り込むとは。鼠と変わらんぞ」


 頭を覆っているフードの中には、人の頭骸骨があった。


 その暗い眼窩には瞳のような赤い光を湛え、こちらを睨んでいるように感じる。


 それは常人ならば見ただけで身が竦むような、強烈な負の波動を放っていた。


「あんただって勝手にこの遺跡に間借りしてるだけなんじゃないの?」


 フェーレスがさりげなく横へ回り込みながら言い返すが、相手は黙殺した。


「リッチですわね。思った以上の大物がいたものですこと」


 その姿を見たセレネが、大袈裟に溜息を付いて見せる。


「筋肉どころか腱の一筋すら残っていない者など、存在する価値はないと言うのに。なんと無様な姿なのでしょう」


 リッチと言えば、不死の王ノーライフキングとも呼ばれる上位アンデッドだ。


 こうして遭遇する事は稀だが、危険度で言えばSランクに相当する。


 非常に高い魔力を備えており、魔術に対する抵抗力もかなりのものだ。


 魔術を主力とする者にとっては天敵とも言える存在である。


 そんな相手に挑発めいた言葉を投げ付ける事ができる魔術師は、セレネくらいだろう。


 俺や他の仲間も、別段驚きはしない。


 こんな暗闇の中で明かりも付けずにいる奴だ。人外だったとして何の不思議があるのか。


「……ふん。ここまで入り込むだけあって生意気な口を叩く。真理の探究には、肉の器など不要だと理解せぬ愚か者が」


 静かだが、怒気を孕んだ声が響く。


 同時に、周囲の空間が歪んで見える程のどす黒い魔力が、リッチの身体から立ち昇った。


「せっかく来たのだ。貴様等全員仲良く、意識の有るまま混ぜ合わせる実験にでも使ってやろう。光栄に思え」


 その言葉だけで呪文となり、渦巻く瘴気が押し寄せて来る。


 それに巻き込まれた木の机が、見る間にしおれて行く。


 触れるだけで生気を吸い取る暗黒の霧だった。


「──主よ。我等を守り給え」


 アンバーの簡素な祈りが聞こえた。


 すると、瘴気の渦は目に見えない壁に弾かれ、俺達の左右に別れて通り過ぎて行った。


 仕える神の力を借り、魔力を遮断する防壁を張ったのだ。


 リッチが持たざる舌打ちをするのが耳に届く。


「初手は譲りましたわ。今度はこちらの番ですが……これで終わってしまうでしょうか」


 その頃には既に魔術の組み立てを終えていたセレネが、艶然と微笑みながら宣告した。


「これより、貴方の魔術行使を禁じます」


 彼女の指先がリッチを捉えると、周辺に渦巻いていた魔力が瞬時に霧散して行った。


「何だと……!?」


 自分の魔術耐性が破られるとは思っていなかったのだろう。

 リッチの赤い双眸が大きく揺らめいている。


 この手の奴らは最初は威勢が良いが、劣勢と見れば即逃げに転じる事が多い。


 特に転移の魔術でも使われれば厄介である。先手を打って退路を断ったのだ。


「お前に恨みが有る訳じゃねぇが、俺らがこの地域にいたのを不運と思って諦めろ」


 リッチが狼狽える隙に、俺は一足でガラクタの山を飛び越えて、その身に肉薄していた。


「ぬおっ!?」


 俺の振り抜いた大剣が、リッチの左肩から先を切り裂いた。


 その勢いで、リッチの身体が回転しながら部屋の奥へ吹き飛んで行く。


 その軌道上のガラクタが派手に撒き散らされた。


「何やってんのよヴェリス~。一撃で仕留め損なうなんて、あんたらしくもない」


 別のルートから側面へ回っていたフェーレスが、不満げに洩らす。


 俺も内心軽い驚きを感じていた。


「意外と障壁が硬くてな。気ぃ抜くなよ、割と強敵かも知れねぇ」


 リッチの身体を捉える寸前で、奴が身に纏っていた魔力の壁が剣先を僅かに逸らしたのだ。


 魔術は封じたものの、障壁自体は奴自身に備わった能力で、無効化がされなかったのだろう。


「……先の魔術阻害に加えて、我が物理障壁までも容易く破るだと……貴様等、何者だ?」


 今更ながらに、俺達を警戒すべき敵と認めたようだ。


 机の残骸を押し退けながら立ち上がり、こちらを推し量るように睨み付けるリッチ。


「そりゃこっちの台詞だ」


 奴が作った道を通り抜けながら返す。


 俺が一撃で仕損じる相手など、ここ数年では記憶に無い。


 警戒度を一段上げ、近寄る間に、臨戦態勢を取り始めたリッチの身体を観察する。


 纏っていたローブは俺の攻撃で破れ、上半身がむき出しになっていた。


 骨のみで形成された胴の中心近く、生身なら心臓に当たる部位。


 そこには握り拳程の大きさの紅い宝石が浮かんでおり、まさに心臓の如く脈動しているのが見て取れる。


 それが奴の魂を宿した核なのだ。


 リッチ自体は何度か退治をした経験が有る。


 ゴーレム同様に、核となる部位を壊さない限り消滅する事は無い、不死の王を名乗るに相応しい化け物だ。


 先程の一撃はその核を狙った物だったが、障壁に邪魔をされた。


 それにしても、こいつの核は……


「……長じた者エルダー、ですわね……」


 セレネの声に、僅かな感嘆が混じる。


 これまでに見たリッチの核は、せいぜいが親指程度の大きさだった。


 今対面している相手の物とは、比べ物にならない。


 核、つまり魂の容器の大きさは、比例して魔力の強さを示す。


 つまり……


「──喜べお前ら! 久々のSSの獲物だぜ!!」


 それを認めた瞬間、俺の脳髄を歓喜が貫いた。

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