土の章 君が踏み込む殺戮世界 🪐

殺人

 どうして人が人を殺すのか、考えたことはあるか?

 質問するまでもなく、全員が首を縦に振るはずだ。


 人が人を殺す理由について、これから講釈やら持論やらを述べたりはしない。

 ここでの俺は事実のみを語る。

 人が人を殺す。これは否定しようのない事実。

 殺される人間がいて、殺す人間がいる。これも事実。

 そして俺は殺す人間だ。間違いなく。

 なぜなら、俺は生きていて、これまでに何人も殺しているのだから。

 殺した人数なんかを自慢するつもりはないし、その意味もない。

 1人だろうが、10人だろうが、それ以上だろうが、その数字に意味などない。

 たった1人でも人を殺した人間が、連続殺人犯や快楽殺人犯や猟奇殺人犯を見て


「自分はあんな奴らよりはましだ」


 なんて言っている光景ほど、愚かなものはない。

 逆に連続殺人犯や快楽殺人犯や猟奇殺人犯が、1人だけ殺した人を指して


「あの程度の奴と一緒にしてもらったら困る」


 と言うのも、滑稽としか映らないだろう。

 誰も殺したことのない人の目には。


 しかし、この殺人と言う言葉。

 多くの人間は、『人を殺す』という意味と捉えている。

 だが厳密に言うなら、『人が人を殺す』ことが殺人だ。

 『人が殺す』だけでも、『人が殺される』だけでも、殺人たりえない。

 何が言いたいかと言うと、例えば野生の熊を殺したとき、野生の熊に殺されたとき、それは狩りや事故死と呼んでも、殺人とは呼ばれない。

 さらに、俺に言わせれば、殺すという言葉自体が『人が人に』以外では使われるべきではない。

 ハエを叩きつぶしたり、ゴキブリを駆逐したり、アリを踏みつけたり。

 ああいう行為の1つ1つを論えて、殺しだのなんだの言う子供がいるが、非常に不愉快だ。

 殺したくなってくる。あんなものは殺しでも何でもない。

 と、こんな風に言えば、たかが殺人行為を美化しすぎだとか批判されるだろう。

 残念ながら、その批判は的外れだ。

 俺は殺人を醜いものと考えているし、殺しの美学なんてクソくらえだ。

 殺人者は悪魔で、非殺人者は神だとさえ考えている。

 俺のような一殺人者は、彼らを尊敬するばかりだ。

 これは皮肉でも何でもない。俺の本音だ。


 人を殺すことを我慢できるなんて、素晴らしい忍耐力だ。


 だってそうだろう?

 さっきの質問の続きだが、どうして誰もが、人が人を殺す理由を考えるのか?

 それは誰しも、人を殺したいと思ったことがあるからだ。これは本編でも言ったこと。

 講釈やら持論やらを述べないと前置きしながら、随分だらだらと話した。

 もしも、これまでの間に読むのをやめている奴がいれば、俺の勝ちだ。

 さて、俺に勝利したお前らに、ようやく結論を伝えよう。

 人生はがまん比べだ。

 がまん出来なくなった奴はゲームオーバー。そいつの人生は破綻はたんする。

 自殺なんかを考えれば、分かりやすいだろう?

 当然、自殺も殺人だ。これは他作品で別の誰かが言ったこと。


 これは俺が破綻する前の話。

 そして、先生と出会い破綻してしまう話。

 人生の終わりへと、踏み込んだときの物語だ。

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