火の章 君が焼き尽くす灼熱世界 🔥

戦火

 自己について語るほど、不得手なことはない。

 なぜなら、自己を探すのが、これまでの人生だからだ。

 10年前、自己を失い、それからずっと自己を探し続けた。

 自己の証明、それは妹。

 あの妹を守る兄であることだけが、『自分』の証明だった。

 だから、妹を失ってしえば、同時に『自分』という存在も消える。

 この話は10年前。

 自己を失い、妹を失う前。

 『自分』のことを俺と呼んでいた、そのときから始まる。


            ◆


 画竜がりょう家はとても普通の家族だった。

 親2人、子2人。

 何事もなく、時折喧嘩しながらも、平和に暮らしていた。

 ある夕食の席で、家族4人、いつも通り話していた。

 一家 団欒だんらん


天睛てんせい、お前は強く立派な男になるんだぞ。そして、火菜ひなを守ってやるんだ」


 父は言った。

 当時、7歳の息子に向けての言葉。

 意味もよく解さぬままに、力いっぱい返事をしたことを覚えている。


「うん、父さん。俺、強くなって火菜を守るよ! そして大人になったら、火菜とけっこんするんだ」


 『結婚』なんて漢字を書けもしないときの話。

 両親は笑って、息子の言葉を話半分に受け取った。

 当然だ。この場面で、『兄妹だから結婚はできない』なんて真面目に話す親もいないだろう。

 どこの家でもあるような、普通の会話。

 何年か後に笑い話の種になるような、そんな会話だ。


「それはいいわね。だけど天睛。結婚するには、火菜の意見も聞かないといけないわよ。ねえ、火菜?」


 母は言った。

 5歳だった火菜は夕食の品を口いっぱいに入れていた。

 もごもごと少しずつ喉へとやりながら、なんとかしゃべることができるスペ―スをつくり、舌足らずな口調で言った。


「わたしはね。おにいちゃんがすきだけどね。けっこんするなら、つよいひとがいいの」

「強い人? どのくらい?」


 と聞き返すと、火菜は


「うんとつよいひと」


 と言った。

 それを聞くと、父は豪快に笑い、母は慎ましやかに笑う。


「はっはっは。うんと強い人か。これは大変だな、天睛」

「ふふ、そうね。ちょっとやそっとじゃ、火菜とは結婚できないわよ」


 俺はねたように顔を逸らした。


「ふんだ。じゃあ、俺はうんと強くなるからな。そしたらけっこんしよう、火菜」

「うん」


 と、火菜がその言葉に合わせてあごを下げ始めた、瞬間!!

 目に映るすべてのものが、一気に燃え上った。

 机も椅子も食器も料理もその他の家具も父も母も、一瞬で燃え上った。


「火菜っ!!」


 俺は火菜の手を握った。

 理解が追いつかないまま、ただただ言葉を発する。


「火菜は俺が守るからな。だから大丈夫だ」


 火菜も明らかに現状を理解し切れてはいなかった。

 必要以上に取り乱すこともなく、外面だけ見れば冷静だった。

 火菜の手を引いて、炎の中、出口を目指した。

 頭の中はパニックで、何も考えられなかった。

 しかし、家から出るのに何かを考える必要もない。

 7年間住んできた家だ。

 目をつぶったって動けるし、家が燃えていたってそれは変わらない。

 体が覚えているままに、出口へ向かった。

 だが、そうは簡単にはいかない。

 燃えている家とそうでない家には、やはり違いがあったのだ。

 いつも通りの通路が、燃え盛る木材でふさがっているのを見て、俺たちは立ち止まった。


「どうするの?」

「どうしよう……」


 思いの外、俺たちは落ち着いていた。

 よく見れば、わずかに隙間がある。

 大人にとっては隙間と呼ぶこともできない穴だったが、子供にとっては隙間と認識できるくらいの大きさがあった。

 それでも、まだ通り抜けることはできない。


「火菜。俺があの木を持ち上げるから、その間に火菜は俺の下をくぐって行け」

「でも、そしたらおにいちゃん、しんじゃうよ」


 振り返るなら、別に即死するほどでもなかったから、このときの火菜のセリフは変だ。

 しかし、子供の目にはそう映っていておかしくない火勢だった。

 もっと単純に、火菜の生死観が未熟だったからかもしれないが。


「大丈夫。俺は死なないから」

「でも……」


 指を噛みながらぐずる火菜。

 俺はその頭の後ろに手を回して、髪止めを取った。

 火菜の長髪がぶわっと広がる。


「この髪止め、俺が預かるから。必ず後で返すから。な?」

「かならずかえしてね。それないと、わたし、かみきらなきゃ」


 火菜は泣きそうになりながら言った。

 ついさっき親が目の前で死んで、今も命からがら逃げようとしている最中に、あろうことか、髪止めを取られただけで泣きそうになるなんて。

 そもそも、別にこの髪止めがなくても髪なんていくらでも伸ばせるだろうに。

 だからやっぱり、まだ子供だったんだ。

 火菜も、俺も。


「返すよ。約束する」


 それが、火菜への最後の言葉だった。

 言った通りに、俺は火傷覚悟で木を持ち上げ、火菜はその下をくぐって行った。

 一目散に、こちらを振り返りもしなかった。

 客観的に見れば、赤の他人としてみれば、その行動は褒められたものじゃないが、主観的に見れば、兄が妹として見れば、それは褒めちぎりたいくらいの行動だった。

 それでいい、火菜。俺のことなんて気にせずに、生きてくれ。

 そのとき!!

 頭上の木材が崩れ始めた。いや、そうじゃない。

 この家全体が倒壊し始めたんだ。

 そのまま落ちてきたはりと下にあった木材に挟み撃ちにされた。

 身動き一つとれない。


「う……うぅぅ」


 突然、恐怖がこみ上げてきた。

 両親の死の実感が、ここにきて湧き上がる。

 そして、今まさに目の前に迫る火に、目前まで押し寄せる死に、恐怖し、泣いた。


「うわぁ――――ん!! うわぁ――――ん!!」


 誰か、誰か助けて。

 お父さん、お母さん、火菜……誰もいない。

 もう死ぬ。しんじゃうんだ。

 嫌だ。嫌だ! 嫌だよ!!


 火に包まれて、視界が赤に染まった。

 すると、いきなり火は消えた。

 燃え上ったときと同様、唐突に。

 いや、一瞬で燃え上るなら分かるが、一瞬で鎮火する筈はない。

 何が起こったのか分からないまま、きょとんとした顔で周りを見る。


 気が付くと、奥に人影があった。

 さっきまでの煙のせいで、目はよく見えなかった。

 でも、その人が白いという、そのことだけは分かった。

 その人はこちらに近づき、物珍しそうに俺を見てくる。


「この火事で生き残るとは。随分と火に愛されているようですね」


 言っていることは分からなかったけど、この人が助けてくれたのかと思った。


「おじさんが俺を助けてくれたの?」

「いいえ。あなたを助けたのはアイラですよ。感謝するんですね。フフフフフ」


 そう笑ったと思うと、木材に挟まれた俺を置き去りにしたまま、その人は去って行った。


 しばらくして、俺は村の人たちに見つけられ、そのまま避難した。

 火事の原因は、無差別な爆撃だった。

 そう。この日、隣国がこの国に攻め入ったのだ。

 後に『神々の邂逅かいこう』と呼ばれる大戦争の幕開けだった。

 火菜の姿はどこにもなく、誰もその姿を見ていなかった。


 この日はこの国にとっても、俺個人にとっても忘れられない日となった。

 俺は父を失い、母を失い、妹を見失い、そして俺を捨てた。

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