10.お仕事中に会いまして。



(んー。すっかり長居しちゃった)


 くぅと両手を突き出し伸びをしながら、フィアナは晴れた昼下がりの大通りを歩いていた。


 フィアナはいま、『マダム・キュリオの洋服店』からの帰りだ。昨晩、キュリオが店に上着を忘れていってしまったためだ。どうせ今夜も来るだろうからそのまま預かっていてもよかったのだが、ちょうど店が空いていたこともあり、散歩かわりに届けにいってやったのである。


 フィアナの顔を見ると、キュリオは喜んで歓迎してくれた。ドレスを仕立てる手を止めて、弟子に紅茶と焼き菓子を用意させ、遠慮するフィアナに振舞ってくれた。


 だが、そこからが長かったのだ。


〝いやーん。そんなの、完全に恋のトライアングルじゃなーい!〟


 どこから聞きつけたのか、エリアスとマルスがグレダの酒場で鉢合わせた話をキュリオが持ち出してきたので、事の顛末を色々と話してやったのだ。すると彼は、このように黄色い声(は、でないのだが)をあげて喜んだ。


〝そんなんじゃないですよ。キュリオさんは大袈裟です〟


〝もう、フィアナちゃんったら鈍感っ。私にはエリアスちゃんとマルスちゃんが、恋の火花を散らしているさまが目に浮かぶわー〟


(本当に、そんなんじゃないんだけどなぁ)


 はしゃぐキュリオの姿を思い出し、フィアナはうーんと唸った。エリアスはともかくとして、マルスは昔から仲間思いで、近所のこどもたちの兄貴分だった。今回だって、兄妹同然に育ったフィアナのことが心配で、エリアスを敵対視しているに違いない。


 幸いエリアスがいつものあの調子だったので、喧嘩に発展せず助かったと。フィアナはそんな風に呑気に考えていた。ほかの客の対応をしながら盗み見ていた彼女の目には、マイペースなエリアスにマルスが突っ込みを入れているようにしか見えなかったのである。


 と、そんなことを思いながら、街一番の大きさの大聖堂のまえに差し掛かったときだった。


(あれ? なんだか、この馬車見覚えがあるような……)


 聖堂の前に止められた馬車に、フィアナは首をかしげる。黒い車体に、金の装飾。一般庶民が乗るような乗合馬車とは全く異なる、洗練されたデザイン。


 壁の縁に立って、ひょこりと大聖堂の敷地を覗き込む。そして、心の中で叫んだ。


(やっぱりエリアスさんだったーーー!)


 仕事中なのだろう。なんどか見かけたことのある宰相服に身を包んだエリアスが、聖堂の正面入り口前で、警備兵と何やら話し込んでいる。


(エリアスさん、普段はあんな感じなんだ)


 珍しい光景に、フィアナはしげしげとエリアスを観察した。


 仕事をしている姿は初めてみたが、まるで別人のようだ。お店にいるときの彼はほわほわと柔らかな雰囲気で、口を開けば本気とも冗談ともつかぬ発言ばかり繰り出す気さくな人間だ。しかし、『宰相』として目の前にいる彼は、ぴりりと張りつめた空気を身に纏い、迂闊に話しかけられないような印象を与える。


 氷の宰相。エリアスがそのように呼ばれていることを、フィアナは今更のように思い出した。


 ところで。


(エリアスさん、警備隊のひとと何を話しているんだろう……?)


 警備隊は街の治安を守るのが仕事で、街中でもたびたび制服を見かける。しかし、エリアスと話している男は、普通の警備兵とは少し制服のデザインが異なる。おそらく偉い立場の人間なのだろう。


 そんな人間が、宰相であるエリアスと話し込んでいる。もしかして、何かしら大きな事件が起きている最中なのだろうか。真剣な表情で警備兵の話に耳を傾けているエリアスの姿に、嫌な予感ばかりがむくむくと膨らんでいく。


(ていうか、荒ごとならプロに任せればいいのに……。エリアスさん、絶対に剣の腕とか強くないでしょ……)


 やきもきして、自然と壁を掴む手に力が篭る。


 あのエリアスが、襲ってきた暴漢を撃退できるだろうか。答えは否! 剣を手に立ち向かう姿など、とても思い浮かばない。それどころか、下手にフィアナを庇おうとして「あーれー」と斬られている様ばかり容易に想像できてしまう。


 何があったのかは知らないが、弱いなら弱いなりに、もう少し身を隠せる場所に移動して欲しい。勝手にエリアスを武術オンチと決めつけたフィアナが、そのように念じた時だった。


「ならば、ここは……」


 警備兵と話し込んでいるはずのエリアスが、ふと顔を上げた。ばちりと視線が合いそうになって、フィアナはばっと壁にはりついて身を隠した。


 気付かれてはいないはずだ。完全にこちらを見るより先に隠れたし、そもそもほんのちょっぴりしか顔を出していない。これでフィアナに気づいたのだとしたら、もはや野生の勘の域に入っている。


(……エリアスさんなら、やりかねないかも)


 ごくりと息をのみ、フィアナはそろりと退却の一歩を踏み出す。なにはともあれ、相手は仕事中だ。第六感を頼りにエリアスがこちらを探しに来る前に、ここは早く立ち去るのが正しい選択だ――。


「フィーアナさんっ」


「ミギャア!?」


 背後から響いた声に、フィアナは文字通りその場で飛び上がる。すると、フィアナを驚かせた張本人であるエリアスは、毛を逆立てて警戒するフィアナをほのぼのと見下ろした。


「フィアナさんは驚き方もネコさんみたいで可愛いですねえ……。今度から声を掛けるときは、背後から突然にしましょうね」


「いやですよ、そんな心臓に悪い話しかけ方! よ、よく私に気が付きましたね」


「もちろん! 私がフィアナさんに気づかないことなどありえません。たとえ視界に入ったのが髪の毛一本だとしても、貴女に気づいて追いかけてみせます!」


「こわっ! その宣言こわっ!!」


 本当にやりかねないのが、エリアスの恐いところである。


「というか、こんなところで油を売っている場合なんですか? いま、警備兵のひとと話していましたよね。早く戻って襲撃に備えたほうがいいんじゃないですか?」


「はい? 襲撃??」


 きょとんと首を傾げるエリアス。だが、フィアナは真剣だ。


 いや。エリアスが武術オンチ(仮)である以上、ここは逆に、引き留めて戻らせないほうがいいのだろうか。しかし、それでは警備兵のひとたちが困るのかもしれない。最悪、宰相エリアス・ルーヴェルトの失踪として、余計な騒ぎになる可能性も……。


 そんなことを考えていると、ふいにエリアスがぽんと手を打った。


「そうだ。フィアナさんも、中に入ってみませんか? 私がご案内します」


「え、いや、ダメでは!?」


 なにせ、警備兵と宰相とが共に警戒に当たらなければならないような何かが、ここでは起きているのだ。街の小娘なんぞ呑気に案内している場合ではないだろうし、そもそも危険に巻き込まれるのはごめんこうむりたい。


 そう思って首を振ったフィアナだが、エリアスはほわほわと笑うだけだ。


「大丈夫ですよ。心配しなくても、私、結構偉いんです。宰相が堂々とご案内しているお客人に、文句をつける者などここにはいません」


「うわぁい、潔い職権乱用! じゃなくて! いまはそんなことをしている場合じゃないですよね!?」


「大丈夫、大丈夫っ」


 鼻歌でも歌いだしそうなエリアスに腕を引かれ、フィアナは引きずられるようにして敷地内に足を踏み入れたのだった。

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