9.幼馴染は遭遇しまして。(後半)


 フィアナの幼馴染のマルスと、フィアナに絶賛アプローチ中の宰相エリアス。珍妙な組み合わせでカウンターに残されたふたりの間には、しばし沈黙が落ちていた。


「何か御用ですか?」


「っ!」


 先に口を開いたのは、エリアスのほうだった。本日の日替わりランチメニュー「オムライス」に舌鼓を売っていた彼だったが、ふとスプーンを置いて優雅に口を拭うと、びくりと表情を硬くするマルスに微笑みかける。


 ややあって、マルスは慎重に答えた。


「何って、何が?」


「いえ。先ほどからずっと、お食事の手も止めて私をご覧になっているので、何か言いたいことがあるんじゃないかと……。それも、今にも私を射殺さんばかりの目で」


「悪いけど、目つきが悪いのは生まれつきだ」


 おやまあ……とエリアスに同情され、マルスは若干いらっとした。


 とはいえ、言われて初めて、目の前に置かれたポークソテーの存在を思い出す。若干ばつの悪い思いをしつつ、手に握ったままになっていたフォークを敢えて置き、ぐいとエリアスに体を向けた。


「あんたこそ、はっきり言ったらどうだよ。よかったな、フィアナは気づいてないみたいだけど。……そんな、あからさまに『お前は邪魔だ』なんて笑顔を見せてるくせにさ」


「おや、驚きましたね。職業柄、感情を隠すのには慣れているはずですが」


 微笑みをたたえたまま、否定することなくエリアスはそのようなことをのたまう。――もっとも、フィアナが目の前にいたときとは異なり、その笑みは上辺だけのものだとはっきりとわかるようになっていた。


(フィアナの奴……いいお客とか言っていたけど、とんだ腹黒男じゃねえか)


 呑気な幼馴染に飽きれつつ、マルスははあと息を吐いた。


「あのさ、あんたが俺を牽制する理由はわかるけどさ、俺が聞きたいのはひとつだけだよ。……あんた、どういうつもりでフィアナに近づいてんだ」


 マルスとエリアス、ふたりの男の視線が交差する。


 だが、数秒後、エリアスはきゅるんと首を傾げた。


「どういうつもり、といいますと?」


「可愛く首傾げるんじゃねえ! 誰向けのサービスだ、それ!?」


「もちろんフィアナさんです。一瞬、こちらを見ましたから」


「見てねえし、仮にこっち見たとしても、そんなとこまで見えてねえから!」


「何をおっしゃいますか。いつ何時、どんな瞬間が想い人の記憶に残るかわからない以上、常に注意を怠るべきではないと私は胸に刻んでいます!」


「だったら、その言動をどうにかしろ!!」


 ぜえはあと息を吐き、疲れ果てた様子のマルス。初対面にもかかわらずここまでマルスを消耗させるとは、さすがはエリアスといったところだろう。


 そんなマルスに、エリアスは胸に手をあてて目を閉じた。


「先ほどの問いに戻りましょう。――どういうつもりかと、私に問いましたね。ならば答えはひとつ。私は真面目です。大真面目です」


「……は?」


「私は真剣に、フィアナさんに恋しています」


 先ほどまでとは異なり、どこまでも邪気のないまっすぐな笑みで、エリアスはそう答えた。


 だからマルスは、逆に言うべき言葉を見失ってしまった。


「は……? 待て、真剣に?」


「別におかしな話ではないでしょう。いつの世も、人は恋をし、惹かれあうものです。私はあの方に恋をし、ゆくゆくはお付き合いをしたいと考えています」


「いや……ダメだろ」


 真顔になって、マルスは首を振る。けれども、対するエリアスは涼しい表情だ。


「駄目とは、なぜですか。先ほどもお伝えしたように、私はいたって真剣です。フィアナさんを傷つけるつもりも、ましてや泣かせるつもりは毛頭ありません」


「だって、あんたは宰相で、フィアナは……!」


「ええ。私は宰相で、彼女は街のお嬢さんです。だからなんですか? 身分違いの恋はいけないと、誰が決めましたか。いつ、そんな法律ができましたか。誰がそんなことを禁じたのですか」


 静かだが確固たる意志の籠った声に、マルスは何も言えなくなる。すると、エリアスはふっと小さく笑みを漏らした。


「理解されづらい恋だというのは理解しています。しかし、諦めるための理由を100個ならべる暇があれば、願いをかなえるための方法を私は模索します。……ともあれ、今はとにかく、フィアナさんのことをもっと知り、私のこともたくさん知っていただきたい。それが楽しくて、仕方ありませんから」


 言葉をなくしたマルスはしばし呆然とし、それから手元の皿に視線を落とした。


 小さい頃から店を手伝い、たくさんの客を見てきたからわかる。エリアスはうそをついていない。本気でフィアナに惚れ、関係を築こうとしている。


(だったら、俺が口出す問題じゃないのか……?)


 混乱する頭で、マルスは考えた。


 大切な幼馴染を軽んじ、傷つけようとするような男だったら許さない。そう思っていた。


 だが、そうじゃないのなら。純粋にフィアナに恋をし、想いを告げるのなら。それを受け取るかどうかは、フィアナの自由だ。結果がどうなろうと、そこに正しいも間違いもない。ましてや、第三者に過ぎないマルスが判決を下せるようなことでは、断じてない。


 第三者は第三者らしく、外から傍観するのが関の山。そうやって、フィアナが誰かに奪われていくのを横目で見ていることしか――。


 ガチャリと激しく音を立て、マルスはナイフとフォークを取り上げる。いくらか冷めつつあるポークソテーと付け合わせのパンをガツガツと食べきると、ガタンと勢いよく立ち上がった。


「あんたの覚悟はわかった」


ぐいと口を拭ったナプキンをテーブルに落とし、マルスは挑戦的にエリアスを見下ろす。


「……けれど、あんたがフィアナにふさわしいって、信用できたわけじゃない。俺はまだ、あんたを認めないからな!!」


 そう宣言すると、マルスは肩を怒らせて、くるりと身を翻す。そのまま、「おばさん、ごちそうさま!」という声と共に彼は遠ざかり、ばたんと店の扉が閉ざされた。





(自覚はなし、ですか)


 ゆっくりと食事を終えたエリアスは、丁寧に口元をナプキンで拭いながら、そのように冷静に分析をする。


 たしかに、彼にとってエリアスは間違いなく得体の知れない男だ。そんな男が付き纏っていると知れば、幼馴染の身を案じ、相手の男を警戒するのは当然のことだ。


 だが、先ほどの態度――エリアスが真剣だということには理解を示しつつも、尚も、いや、さらに増した明確な敵意。その根底にあるのが、単なる幼馴染への親愛の情ではないことは明白だろう。


 しかしながら、肝心なその想いに、マルス本人が気づいていない。エリアスの見立てが正しければ、おそらく彼は本気で、「胡散臭いから」という理由だけでエリアスを嫌っているつもりなのだろう。


(現状では敵とは言えない……そう、考えても良いでしょう)


フィアナの母を呼び止め、笑顔で追加のデザートを頼む。その裏側で、エリアスはそう判断した。


 想いが強かろうが、本人に自覚がなければ意味がない。警戒しておくに越したことはないが、今のペースを崩してまで、慌てて対処をしなければならない相手ではないだろう。


 そう、思うのに。


(なーんか。面倒なことになる予感が、するんですよねぇ)


「はーい。レモンケーキお持ちしましたー……。って、どうしたんですか? なにか悩み事です?」


 ことりと目の前に皿が置かれ、エリアスはつられて顔を上げる。そこに、大好きで愛らしい、癒しの天使の姿をみつけて、にこりと笑み崩れた。


「いえいえ。ちょっと考え事をしていたんですが、フィアナさんの顔を見たら吹っ飛んでいっちゃいました」


「えぇ……。それ大丈夫なんですか? 私責任とれませんよ?」


「大丈夫ですよ。最後に私のお嫁さんになってくだされば」


「めちゃくちゃ責任取らせるじゃないですか! どこに大丈夫な要素がありますか、それ!」


「えー」


 声を上げて笑いながら、エリアスは平穏の時に酔いしれ、思う。


 まあ、いいでしょう。この愛しい少女は、誰にも渡さない。


 この決意に、変わりはないのだから。


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