4.幼馴染は忠告しまして。


「え? 誰と誰の結婚式が近いって?」


 とある昼下がり。なにやら聞き捨てならないことを言われた気がして、フィアナは顔をしかめて問い返す。けれども、聞き間違いであって欲しいという願いもむなしく、相手の少年はもう一度同じセリフを繰り返した。


「だから。フィアナとそのエリアスって奴の、結婚式だって」


「待って、待って! どこでどうして、そんな話になっているのぉー!?」


 頭を両手で抱えて、フィアナは大空に向かってそのように叫んだのであった。






 グレダの酒場は、フィアナの両親、ベクターとカーラが中心街の近くで営む、中規模くらいの酒場だ。大通りに面した店に比べれば店の規模も、客の入りも落ちてしまうが、贔屓にしてくれる常連客がしっかり付いていて、毎夜そこそこの賑わいを見せている。


 店が売りにしているのは、親戚伝手で仕入れている旨くて種類豊富なエールと、店主ベクターが作る北部の田舎料理。そして、店主同士の仲が良いため特別に仕入れさせてもらっている、大通りの人気店ココルベーカリーのパンだ。


 そのココルベーカリーの店主の息子が、フィアナの幼馴染のマルスであり、「フィアナとエリアスの結婚式はいつなんだ」などという爆弾発言をかました張本人だ。


「わかった、わかった。お前がその、宰相だか何だかと結婚するっていうのは、間違いなんだな」


 フィアナの取り乱しように驚いたのだろう。どうどうと彼女を宥め、マルスが言う。そんな幼馴染を、ぜえぜえと息をしながらフィアナは睨んだ。


「間違っているうえに、まかり間違ってそんな誤情報がエリアスさんの耳に入ったら、本当に教会を予約してから迎えに来そうだからいますぐに忘れてほしい」


「そんなに!? ていうか、大丈夫かソイツ?」


「大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら、確実に大丈夫じゃないタイプのひとだけど、もう毎日会っているから慣れた」


「いや、それ、大丈夫じゃないだろ……」


 恐れおののいた様子で、マルスが呟く。だが、本当のことなのだから仕方がない。


 さて、ひょんなきっかけからエリアス・ルーヴェルトがグレダの酒場に通うようになってから、はや二週間。一国の宰相がこうも毎日街の酒場に入り浸っていて、そろそろ「この国大丈夫か」と心配になる頃合いだが、幸いにしてメイス国は今日も平和である。


 そんなこんなで、エリアスはますますグレダの酒場に馴染んでいた。両親はすっかり彼を気に入っているし、常連であるマルスの父や仕立て屋のキュリオに至っては、「そろそろ、あの人が到着する頃じゃないか」などと言い出す始末だ。


(あんなのがいる毎日が普通になるなんて、末恐ろしい……!)


 マルスが持ってきてくれたパン数本を胸に抱き、フィアナはよよよと泣き崩れる。だからと言っては何だが、マルスが少々険しい顔をして考え込んでいることに、フィアナは気が付けなった。


「なあ、そのエリアスって奴。どんな男なんだ?」


「そっか。マルスは夜うちの店こないから、会ったことないもんね」


 聞かれて初めて、そのことに思い至る。


 ここメイス国では、お酒が許されるのは16歳からだ。だから年齢で言えば、フィアナもマルスもお酒を飲むことは問題ない。


 けれども、マルスは体質的に酒を受け付けないのだ。父のニースは大層な酒飲みであるのだが、母親が一切酒を飲むことができない。おそらく、その血を受け継いでしまったのだろう。


 そんなわけで、ニースがほぼ毎晩グレダの酒場に顔を出すのに対して、マルスが一緒にくることはない。店に顔を出すとしたら、こうしてパンを持ってきてくれたときか、たまにランチを食べに来たときくらいだ。


 しかし、エリアスがどんな男か、か。改めて問われると、悩ましい質問だ。……考え込んですぐ、今までのあんなことやこんなことが次々に瞼の裏に蘇ってくる。それに盛大に顔をしかめながら、フィアナは慎重に答えた。


「まずね、すごくポジティブ? どれくらいかっていうと、文句や嫌味が通じないくらい。あとは思い込みが激しい? いまだにひとのこと天使だの女神だのいってくるもんね。それから……、褒めるなら顔かな。うん、顔は褒められる。顔だけは」


「なあ、本当にソイツ大丈夫!? なんでおじさんもおばさんも、そいつのことを出入り禁止にしないんだよ!?」


「でも、いいお客さんなんだよ? 安定してお金払ってくれるし、ほかのお客さんともうまくやっているし。そりゃ、ちょっと言動が残念だったり、気持ち悪かったりするけれど、それを差し引いても来てくれたほうが嬉しいくらいだもの」


「……ふーん。お前、ソイツにあれこれ言い寄られたりしているみたいだけど、そこはそんなに嫌じゃないんだ」


「え? 嫌だけど、普通に」


「即答かよ! 可哀そうだな!? って、そうじゃなくて。……そいつのこと、根本的に嫌いってわけじゃないんだなってこと」


 微かに目を泳がせながら言われたその一言に、フィアナはきょとんと瞬きをした。


 言われてみれば、「気持ち悪い」だの「面倒くさい」だの、これまで散々な反応を返してきたフィアナであるが、それはあくまでエリアスの言動に対して。エリアス本人に対して、嫌悪感を抱いたことは不思議となかった。


 なにせ、悪い人間ではないのだ。斜め上の角度から好き好きアピールを惜しみなくしてくる以外は、エリアスは紳士だ。いわゆるイヤラシイ目を向けてくることもないし、無理やり触れて、なんてことも絶対にしない。


 この間だって、不注意で転びそうになっていたところを受け止めてくれて――。


 そこまで考えたところで、フィアナの顔はぽんと赤くなった。あの夜、月夜の下で後ろから引き寄せられ、熱の籠った大人の男の声で囁かれたことを思い出してしまったのである。


(あああああ、あれはなし!! ただの事故、事故だから!!)


 ぶんぶんと首を振り、耳にこびりついた声を振り払おうとするフィアナ。そんな彼女に、幼馴染は険しい顔を向ける。


「なんだよ、その反応。まさかお前、そいつのことが好きになったなんてことは……」


「ない!! それだけは、私の全誇りにかけて!!!!」


 勢いこんで、フィアナは否定した。そりゃ、外見は格好いいと思う。だが、外見以外があんなにも残念なエリアスのことを好きになるなんて、そんなのはありえない。断じてない!


 顔を真っ赤にして否定するフィアナのことを、尚も疑わしげな表情でマルスが見つめる。ややあって彼は、「まあ、いいや」と肩を竦めた。


「わかってると思うけど、そいつの言うこと、話半分に聞いとけよ。俺はそいつがどんなやつかってのは知らないけど、お貴族さまが庶民の女を遊びでひっかけて、捨てて、なんてのはザラにある話だからな」


「わかってるよ。でも、エリアスさん、あんまりそういうタイプには見えないけどなあ」


「そんなこと言って、店に来てるとき以外にそいつがどんな人となりかは知らないわけだろ。俺の店だって、さすがに宰相のことに詳しい客なんていないし」


 いや、でも衛兵あたりだったら、ちょっとは知ってるかな、と。前髪をくしゃりとかきながら、マルスはそう呟いた。どうやら彼は、本気でフィアナの身を案じてくれているらしい。


「ありがとう、マルス。でも、大丈夫。あのエリアスさんを好きになるなんて、天と地がひっくり返ってもあり得ないから」


 そんな風に、フィアナはけらけらと笑い飛ばしたのだった。

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