60.にちじょう


花壇のお世話が終わって響君と並んで校舎に入ると、たくさんの人がこっちを見た。


『ねえ、あれって?』

『えっ!?うそ!?別れたんじゃ?』


そんな声が、意識せずとも耳に入ってくる。


響君と私の2人を見る目は、夏休み前の事もあって驚きや戸惑いの目が多い。けれども‥‥


『より戻したのかな?』

『そうだったら嬉しいなー』

『何か、あの二人見てるとほんわかするよね』

『あ!分かる分かる!』


温かな目も少なからずあった。


そんな声を聞きながら上履きに履き替えて階段へと歩いていると、響君は「別れた‥‥」と呟いて少し元気を失くしてしまっている。


一度、別れてしまった。

というよりも‥‥約束を守れなかった。

それを、響君はすごく気にしている。


今でも謝られるし、私のお父さんとお母さんの前では『大切にすると言っておきながら、すみませんでした』と、土下座までした程だ。



「けど、記憶が無かった間に、美麗に他に好きな人が出来たりしなくて本当に良かった—————ん?え、美麗?」



だけど、響君は分かっていない。

私が、どれだけ、響君が好きかを。

諦める事も、忘れる事もできないくらいに、響君が好きかを。


前に早苗さんに聞いた、プロポーズの後の話を思い出す。今なら早苗さんの気持ちが少し分かる気がした。


きっと、響君はお父さん似だ。


気付かれないようにほんの少しだけ頬を膨らませた私を、響君はすぐに変化に気が付いて焦ったように見る。


そんな響君を見上げる。


ねえ、‥‥響君は違うのかな?

私の事、‥‥諦めちゃうの‥‥かな。


「‥あのね、‥‥もし、‥‥出来てたら、‥‥響君はどうしたの?」


思わず口をついた言葉に、


「え?それは‥‥」


響君は「んー‥‥」と言いながら右目を少し細めている。


これは、響君が何か真剣に考え事をしている時の癖だ。


「‥‥‥もちろん美麗が嫌がるなら、俺は美麗が本気で嫌がる事は絶対にしない。だから、美麗が俺以外の奴を本当に好きになったのなら、唇千切れるくらいに噛みながら俺は諦めるしかないのかもしれないけど‥‥」


「でも」と響君は続ける。


「ほんの少しでも俺にまだ可能性があるなら、そいつよりいい男になれるように死ぬ気で頑張って———」


響君の視線が私に向いて、


「———それで、もう一回振り向かせる。絶対に諦めない。一生かけてでも美麗を惚れ直させてみせるよ」


そう言って笑う響君。



やっぱり響君は、本当に‥‥本当に分かっていない。

その笑顔で、その言葉で、私にどれだけ好きを重ねさせれば気が済むのだろう。



‥‥花壇ではだめだと言ったけれど、私も少しくっつきたくなってしまった。学校なのに。



半歩近づいて、響君の顔をまた見上げてみると、まだ響君は元気がなさそう。


「でもさ‥‥俺が、誰よりも美麗を幸せにしたいと思ってるっていう自信はあるんだ。だけど、実際に幸せかどうかを決めるのは美麗だし、俺じゃない誰かと幸せになりたいと美麗が思ったんなら、俺は‥‥‥俺、不安なんだ。約束も守れなかった俺に、美麗がいつか愛想を尽かすんじゃないかって‥‥」


私は、そっと響君のシャツを摘んで階段の途中で足を止めた。


何かを信じる。信じ続ける。

それは、すごく難しい事。

私だって、私よりも可愛い女の子なんて沢山いる中で響君にずっと好きでいてもらえるのか、いつだって不安に思っている。


だけど、私が不安に思う時はいつだって響君が安心をくれた。可愛いって言葉をくれた。


そんな響君が今、不安を感じている。

それなら私は‥‥


「‥響君。響君は、私と手を繋ぐの、いや?」


「は?えっ、嫌なわけないだろ」


「‥私が作ったお弁当食べるの、いや?」


「いやいや!俺は、美麗の料理が食べ物の中で一番好きだっ!」


「ふふっ、ありがとう。‥‥私の幸せ。私はね、響君と手を繋いで学校に行くだけで、幸せなの。響君が私の作ったお弁当を『美味しいよ』って言って笑ってくれるだけで、幸せなの。響君が‥‥私の名前を呼んでくれる。それだけで幸せなんだよ?」


「美麗‥‥」


トンと、階段を一段登って響君の耳に口を寄せる。


「‥ねえ、響君。‥‥昨日の私は、響君が大好き。今日の私も、響君が大好き。明日の私だって、響君が大好き。この先も、ずっと響君が好き。私をもっと信じて。不安になる事なんて何もないよ。私にとって一番のいい男は響君‥‥です」


そう小さな声で耳打ちしてから、二段、三段、と階段を登って響君の前に出る。


とても恥ずかしい事を言ってしまった自覚はある。その照れ隠しに、足早に階段を登り切って踊り場までくると、後ろからふいに誰かに‥‥響君に、抱きしめらた。


「ひゃわっ!‥もう‥‥ここじゃだめって言ったのに‥‥」


「今のはずるいっ!マジでずるいっ!我慢するにも限度があるっ!俺、そろそろ美麗から離れたら死ぬ病気にかかるぞ!」


「ひ、響君っ。声が大きいよ」


「誰かに聞かれたっていい!むしろ聞いてほしいね!俺の彼女が死ぬほど可愛いって」


響君だって、ずるい。


少し力を入れれば簡単に抜け出せる、私が苦しくないようにちゃんと力を抜いてくれているこの優しい拘束を、私は自分から解く事なんてできないのだから。


そうして階段の踊り場で騒いでいると、




「ねえ‥‥何してるの?」




愛ちゃんの声がした。

声の方を向くと、階段を登っている途中の愛ちゃんが白い目で私の頭の上‥‥響君を見ている。


「‥ぁ。愛ちゃん、おはよう」

「うげっ、白百合」


響君が愛ちゃんを見て、悲鳴じみた声をあげた。


これには‥‥理由がある。


響君の記憶が戻った次の日に、愛ちゃん、静香ちゃん、沢渡君を呼んで、公園に集まった。

そして、皆の前で響君は


『今まで迷惑をかけてごめん』


と、頭を下げたんだけど‥‥


顔を上げた瞬間に、愛ちゃんは前に話した宣言通りに‥‥響君にビンタをした。


思い切り。振りかぶって。


沢渡君曰く、愛ちゃんのビンタはトルネード投法というフォームから繰り出されたらしい。


響君の頬には、丸一日消えない紅葉が残った。


それ以来、響君は愛ちゃんを見ると冗談半分にこんな反応をする。




‥‥響君、手が震えているけど‥‥冗談半分だよね‥‥?




愛ちゃんと合流して廊下を歩いていると、響君と愛ちゃんのクラスの教室の前で沢渡君と話をしている静香ちゃんが見えた。


「浩二と宇佐美?おはよう。何してんだ?」


「んにゃ?響、おはよう。白百合ちゃんと相沢ちゃんもおはよー!今、いいんちょーからケーキ作りの本借りてるんよー」


「あー、弥生ちゃんが作るのか」



弥生ちゃんというのは沢渡君の妹さんで、何でも毎年お母さんにケーキを作っていたのだけれど、去年は高校受験に専念するように言われて作れなかったから、今年は凝ったケーキを作ろうと張り切っているらしい。


お母さんにケーキ作り‥‥少し懐かしい事を思い出しつつ、いい妹さんだなと思った。


「‥そろそろ教室に行くね」


沢渡君の妹さんのお話で盛り上がり、話のきりの良いところで予鈴は鳴り終わっているので、そろそろHRが始まるからと、そう声をかけると。


「こっそり美麗の教室に潜んだらバレないかな?」


「響、記憶が戻る代わりに一般常識が欠如したん?」


響君の言葉にすかさず沢渡君がツッコミを入れて、


「前からこんな感じじゃなかったかしら」


「確かにこんな感じでしたね」


愛ちゃん、静香ちゃんと続いて、


「まだ美麗成分が足りない‥‥充電していいか?」


「‥ここじゃだめ」


響君が笑顔で、


「久しぶりに、このメンバーで帰りどこか寄ってかない?」


「ええ、いいわよ」


「はい、いいですよ」


「ああ、いいぞ」


「‥うん、楽しみ」


皆んなが笑顔で、



そんな日常が戻ってきたのだと、改めて実感した。




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