59.かえりみち


星降りの丘からの帰り道。


手を繋いで響君と並んで帰る、帰り道。


ザク、ザク、と砂利がこすれる足音が、行きは一人分だったけど‥‥今は、二人分。





『帰ろうか』


数分前にそう言って響君が私の方に差し伸べた手を、私は少しの間ただ見つめていた。


さっきまで手を繋ぐどころか、抱きしめたり、キスをしたりしてたのに。

だけど、この手をまた私が握る事ができるのが、泣いてしまいそうなくらいに嬉しくて‥‥


ゆっくりと手を重ねて、少しづつ握る。

少し手が震えていたかもしれない。


指と指との間に自分の指を絡ませて握る恋人繋ぎに、止まっていた時間が動き出したような錯覚を覚えて、私は無意識にさっきまで我慢していた筈の涙を零した。


この日、この時、この瞬間の気持ちを、私は生涯忘れる事はないだろうなと、そう思った。





頬を撫でて髪を揺らす自然公園の木々の隙間から抜けてくる風は、行きとは違って涼しげというよりは、どこか包み込まれるような温かさがあって心地がいい。


チラッと隣を見ると響君がいて、繋いだ手に少しだけギュッと力を入れると響君もギュッと返してくれる。


そんな何でもない事がどうしようもなく嬉しくて、何度もチラチラと隣を見ながら繋いだ手にギュッギュッと力を入れる。


「‥響君」


「ん?どうした、美麗」


響君が私の名前を呼ぶ。


名前の最後が『い』だから、笑ったように見える響君の優しい顔。

もう私に向けられる事はないのかもしれないと思っていた、私の好きな響君の表情の一つ。


「‥ううん、何でもない」


『呼んでみただけ』なんて可愛い事を言えないかわりに、響君の腕に少し頭を擦り付けた。




そうして歩いていると、暫くして響君が少し上擦るように口を開いた。


「あ、あのさ。お弁当‥‥ずっと作ってくれてたのって、美麗だよな?」


横目で響君を見ると、頬を掻いて視線は少し上を向いている。気付いてくれた事が嬉しくて、繋いだ手をにぎにぎとしながら響君に顔を向けた。


「‥うん。分かった?」


「ああ。記憶が無い時は、何故か母さんが急に料理の腕上げたってビックリしてたけど‥‥どう考えても美麗の味だよな。俺の好きな‥‥母さんじゃ出せない味だ」


響君の好きな味。

そう言ってくれただけで、この4ヶ月近くの間、感想をほとんど直接聞けなかったお弁当が報われた気がした。

美味しいと思ってくれて良かった。

頑張って良かった。


「ふふっ、‥早苗さんに言っちゃうよ?」


そう言って悪戯っぽく笑いかけると、突然響君は立ち止まって、繋いでいない方の手で顔を覆った。


その仕草に首を傾げる。


「‥どうしたの?」


「えーっと‥‥いや、その、元々の美麗を好きな気持ちと、記憶が無かった時の美麗を好きな気持ちが合わさって、ちょっと頭の中が大変な事になっていると言うか‥」


「‥え?」


「さっきからチラッと見てきたり、手をギュッってしたりさ、可愛い過ぎるんだよッ!母さんに言っちゃうって言った時の笑顔なんて‥‥もうっ‥‥あぁーッ!!!‥‥美麗を好き過ぎて頭おかしくなりそう」


少し顔を赤くして、照れたように顔を覆った手で頭を掻いてからパタパタと顔を扇ぐ響君が、どうしようもなく愛おしい。


我慢できずに、私はピョンと跳ねるように背伸びをして響君の頬にキスをした。


「‥もっと、好きになってね」





私は、響君と元通りになって、こんな短時間で欲張りになってしまったのかもしれない。


響君に、もっと私を好きになってほしい。



ずっとブスだと言われ続けて、

何の変化もない、代わり映えのない、そんな灰色の世界を私は自分で望んで生きてきた。


私は何も望まないから、私に何もしないでって。


だけど、心の底では私はずっと別の事を望んでいたのかもしれない。


可愛い女の子になりたかった。


小さな頃は、身の程知らずにも‥‥キラキラとした華やかなお姫様に憧れていた事もあった。


だから、心の底では思っていた。灰色の世界ではなく、もっと華やかな世界で生きていたいって。


そんな私の灰色の世界に色をつけてくれたのは、手を伸ばして一緒に色を塗ってくれたのは、私を‥‥お姫様にしてくれたのは、響君だった。


そこから、私の世界は花が咲いたように色づいた。


初めて私をちゃんと見てくれた人。

初めて私に正面から気持ちをぶつけてくれた人。

初めて私を心から可愛いと言ってくれた人。


忘れようと思っても、忘れられない人。


諦めようと思っても、諦められなかった‥‥


私の、大好きな人。



そんな響君に、もっと私を好きになってほしいと思ってしまうのは、仕方がないと思う。


初めて抱きしめられて『可愛い』って言ってくれた時も、もっと言ってと私は言った。


もしかすると、弱ってる時の私は欲張りなのかもしれない。


覚えておいてね、響君。

私は、自分で思っているよりも‥‥ずっと欲張りみたいだから。





響君を見ると、ボンって音が出そうな程に顔が真っ赤になって「もう、無理」と言いながら、私を抱きしめた。


「ごめん、今顔見せられない。多分、すげーだらしない顔してる」


そんな響君の顔も見てみたいけど‥‥


そう考えながら、私は響君の背中に腕を回して、胸に顔を埋めながら違う事も思った。


良かった。


今、顔を見られなくて。


‥‥私の顔も、きっと同じくらい真っ赤で、だらしない顔をしてると思うから。










それから、2週間経って———










「‥今日も暑いね」


「そうだなー‥‥そのホースの水、かけてほしいくらいだわ」


「‥かける?」


「んー‥‥よし!頭だけ頼む——————くぅぅぅうう、気持ちいいっ」


「ふふっ、‥ちょっと待ってて、今タオル出すから」



響君と私の日常が戻ってきた。



今日は夏休み中の登校日。


朝に駅で待ち合わせをして、手を繋いで学校に行って、今は花壇のお世話をしていて———



炎天下の下で、ポタポタと髪から垂れる水滴を手で少し払ってから、響君は私の前にしゃがみ込んだ。

濡れた髪を向けながらニコニコとした笑顔の響君の頭を鞄から出したタオルで包む。


「ありがとう。‥‥‥美麗の匂いがする」


タオルの端を摘んで鼻を寄せている響君を見て、私はぴたりと手を止めた。


それは、ちょっと恥ずかしい‥‥かも。


「‥もう。そんな事言うと、拭くのやめちゃうよ?」


私がそう言うと、響君は慌てたようにタオルから手を離した。


「あぁ!俺が悪かった!お願いします、拭いて下さい。‥‥いや、俺この匂い好きなんだよ。美麗の匂い」


私の匂い‥‥自分では分からないけど、そう言われると私は何も言えない。

だって、私も響君に抱きしめられている時の陽だまりのような温かさと匂いが好きだから。



響君の頭の横に手を添えて、鼻を寄せた。


私もだけど、響君も夏場は朝にシャワーを浴びる習慣があるからか、響君の匂いと一緒にシャンプーの匂いがする。


「えっ!?何っ?何っ?」


と、慌てる響君の目の高さに合わせるようにして私はしゃがんだ。


「‥お返し。私も響君の匂い‥‥好きだよ」


そう言って微笑むと響君はバッっと俯いた。髪の隙間から見える耳が赤い。


「‥‥美麗、抱きしめていいか?」


「‥ここじゃだめ」


この懐かしいやり取りが、何だかくすぐったい。


俯いたまま、がっくりと肩を落とした響君の髪をゆっくりと優しく拭った。



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