56.好きだよ


「‥幸せになってね」



2人きりの病室で相沢は言った。

抱きつかれたシャツごしに伝わってくるのは、相沢の体温と、僅かな震えで。


なあ、相沢。

何でそんなに辛そうな顔をしてるんだ?


一見笑顔に見える。だけど、何故か俺には分かるんだよ。それが相沢の本当の笑顔ではないって。


幸せになってね?


相沢を忘れる事が、俺の幸せか?



違う。



違う。



違う、違う、違う!


俺は‥‥‥




俺は、相沢と一緒に幸せになりたい。




燃え上がった俺のその気持ちは、口から出る前に


「美麗、大丈夫なの!?」


娘を心配する母親の顔により、一時的に鎮火させられた。


ノックの音に気付かないくらいに考えに没頭していたらしい。

ドアを開けて入って来たのは、看護師の人と——


相沢優子さん。相沢の母親。

恐らく以前にも会った事はある筈だが、俺にはあの事件の後にお見舞いに来てくれた時の記憶しかない。


『美麗を助けてくれてありがとう』


記憶がないと伝えた上でも、心から感謝されて涙ながらに何度も頭を下げられた。


今は、俺がいる事に驚いた顔をしている。


「え!?記憶が戻ったの?」と聞く優子さんに「いいえ」と首を横に振ってから挨拶をして、倒れた時の事と、医者から聞いた事を伝えて病室を出た。




エレベーターで一階へと降りて病院から出たところで、浩二と白百合と宇佐美にバッタリ会った。

3人とも驚いたような顔をしている。


「終業式、響も来ないからもしかしてって思ったけど‥‥一緒にいたの?」


そう聞く浩二に大雑把に状況を説明した。

浩二達の方は宇佐美が学校側に入った連絡を聞いて駆けつけたらしい。


白百合と宇佐美は、俺と浩二の話を黙って聞いていたが、話が終わると「ふーん」と言いながら白百合が俺の目を覗き込んだ。


「ねえ、沢渡君。私は静香ちゃんとお見舞いに行くから、沢渡君は多少マシな顔になった気もするこのウジウジしたヘタレに気合いでも入れといてくれる?」


白百合のその台詞に「酷い言われようだな」と苦笑で返すとフンっとでも言うようにぷいっと顔を背けられて、そのまま白百合と宇佐美は病院へと入っていった。






「白百合ちゃん、今の俺じゃあってウジウジしてた響を見て結構イライラしてたからねー。まあ、それは俺といいんちょーもだけど」


病院から歩いて、あまり人気のない公園に入った。誰も遊んでいる姿がない公園を見ると、昔は砂遊びなんてやってた気もするが最近は砂場やブランコよりもゲームが主流なのかもしれない。

なんて、懐旧に耽りながら近くのベンチに座って背をもたれながら何も喋らないでいると、空を見上げながら浩二がそう口を開いた。


「で、考えはまとまったの?」


「俺、相沢の事好きだよ」


口にするのは初めてのはずのその言葉は、驚く程にすんなりと出た。

それは自覚できたからこそなのか、それとも失くした記憶では言い慣れた言葉だからなのかは分からないが。


「知ってるよ。響分かりやすいもん。俺が怒った日の次の日あたりにはもうそんな顔してたし。同じ相手に二度恋をして、‥‥その相手は相沢ちゃん。響らしいよホントに」


浩二が機嫌良さそうにニャハハと笑う。


「さっき病室でさ、相沢に、私の事はもう気にしないで、忘れてって言われたんだ」


驚いたのが気配で伝わった。


「‥‥相沢ちゃんが響にそれを伝えるのには、相当の覚悟とか決心が必要だったろうね。めちゃくちゃ考えたんだと思う。でも、それが相沢ちゃんの本心だと思ったって話なら‥‥俺は響を殴らないといけないよ?」


視線を空から俺へと移した浩二の目はどこまでも真剣だった。目を逸らさずに浩二の目を見る。


「ああ、分かってるよ。だけど‥‥そうだな。気つけに一発殴ってくれ」


そう言って立ち上がると、浩二は目を丸くしてからニッと笑った。


俺は相沢が好きだ。その気持ちに嘘はない。

だけど、相沢にとっては迷惑なのではないかと思う気持ちがあるのも確かで、背中を押して欲しかった。


「うん、分かった。歯ぁ食いしばって!いくよー」


立ち上がった浩二が拳を引いて一気に振り抜く。

ゴッっと頬に強烈な衝撃と痛みが走った。


いまだに燻っている、俺では‥‥という気持ちが四散してゆく気がした。


「痛っつー‥‥サンキュー、気合い入った。明日‥‥は病み上がりか。明後日に相沢に会って話すよ」


よろけた身体の姿勢を直しつつ、そう笑顔で言うと浩二も拳を下ろして笑う。


「うん、ちゃんと話してきんさいな。今の君達はお互いに気を遣いあって会話が足りてないんよ」


殴った手を振りながら続けて浩二が言う。


「ほんとは今ので記憶でも戻れば万々歳だったんだけどねー。記憶無くした事無いから、分かるなんて気軽に共感はしてあげられないけど、それでも‥‥響が悩んで苦しんでた事も‥‥知ってるからさ」


本当に‥‥こいつは‥‥

いい親友を持ったよ、俺は。


「ありがとな、浩二」


「ふふん、マック奢りでいいよ?」


「おう、いくらでも食え」






浩二とマックで飯を食って家に帰ると、今日は色々とあったからか早めに眠気が襲ってきた。


進学組は暗黙的にやらなくても許されるらしい夏休み中の課題でも一応やっておこうかと考えていたが、机の上に出すだけ出して明日にまわして今日は寝る事にした。




‥‥


‥‥ああ


‥‥‥また、この夢だ


真っ暗闇で、独りでずっと泣いている女の子の夢


俺は、その女の子に泣かないでほしくて

でも

駆けつけたいのに、近づけなくて

手を伸ばしても、触れられなくて

呼びかけたいのに、名前がわからない


少しづつ、少しづつ、距離が離れてゆく



もがいても一向に俺の身体は動かない。


焦燥感と、喪失感が全身を支配する

待ってくれ

行かないでくれ


そう願っても、距離は離れてゆくばかりで


‥‥ああ‥‥そうか、俺は


泣いているから駆けつけようとした訳ではなく

独りで寂しそうだから手を伸ばした訳ではない


そんなのは独善的な言い訳で


ただ、俺がその女の子の傍にいたいんだ

その女の子の隣にいるのは自分でありたい


俺は必死に手を伸ばして声を出す


俺を、


置いて行かないでくれ———






「っ!‥はぁ‥はぁ‥」


まだ朝日も出ていない暗い時間に目が覚めた。


こめかみのあたりに違和感を感じで触れてみると、濡れている。俺はどうやら泣いていたらしい。

気持ちが悲しみで一杯になっていて、胸が苦しい。

はっきりと目が冴えてしまって、眠気がまるで無い。


ただ、薄暗い天井を眺め続けて、結局また眠りにつけたのは数時間して朝日が昇った後だった。






「寝過ぎた‥‥」


目が覚めて時計を見ると、時計の針は夕刻といっても差し支えがない時間を指していた。

気持ちの悪い寝汗をシャワーで洗い流して部屋へと戻る。


勉強‥‥という気分ではない。

たまには掃除でもしてみるか。


何となくの思いつきだったが、掃除なんてそんなものだろう。そういえば、記憶を失ってから部屋の整理もしていなかったと思う。


軽く部屋に掃除機をかけて、窓を拭いて、机の上や本を整理する。

引き出しの中も整理しようと、机の引き出しを開けたところで手が止まった。


「‥何だこれ?」


見覚えが無かった。

そこにあったのは一冊のノートと、綺麗にラッピングされた長方形の包みと、商品券とかチケットを入れるような封筒。


ラッピングを開くのは憚られるので、まずは封筒を開いてみた。

中に入っていたのは動物園のチケットが2枚。指定の日付は3月14日となっている。


チケットを仕舞って、次にノートを手に取った。

封筒で隠れて見えなかったが、ノートの表紙には大きな字で『美麗の誕生日計画』と書かれている。


ふいに、鼻の奥がツンとした。


手に取ったノートを机の上に置いて、椅子に座り表紙を開いた。



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