54.幸せになってね


夏休みを明日に控えた日の昼休み、今日は一人でのお昼。

愛ちゃんは進路相談で職員室に行っていて、静香ちゃんは委員会のお仕事。


私は久しぶりに校舎脇のベンチへと来ていた。


一年生の時はいつもここに独りだった。

二年生になって、響君といつも一緒で。


三年生の今は‥‥無意識に真ん中よりも右にずれてしまった事に気付いて箸が止まった。


あの、一緒に帰った雨の日から響君とは話をしていない。廊下ですれ違う時も響君は辛そうな顔をして、口を開きかけてギュッと結ぶのを何度も見た。


‥‥私は、どうしたい?

私は、響君の傍にいたい。響君の記憶が無くても。


‥‥でも、響君は?響君の幸せを願うなら、

私は‥‥





「呼び出してごめんね。来てくれてありがとう」


声が聞こえて、ハッとした。女の子の声が聞こえる。


「無視するわけにもいかないからな」


もう一つ聞こえてきた声は、間違えようもない声だった。ここは、あまり人気がなくて静かだから、すぐそこにある雑木林の中で誰かが話していると聞こえてしまう。


「それで、何の用?」


「こんな人気のない場所に呼び出した時点で察してほしいところなんだけどな。‥‥はっきり言うね。私、青羽君が好き。私と付き合って下さい」


「‥‥ごめん、付き合えない」


「‥‥‥うん。ダメなんだろうなって分かってた。‥‥理由、聞いてもいい?」


「好きなのかは分からない。だけど、頭から離れない子がいるんだ。今はその子の事しか考えられない」




それは、自惚れでも何でもなく、私の事なんだと分かった。






私は、必死に考えた。

学校が終わって、家に帰って。

部屋に飾っている写真立てを手に取る。

そこに納まっているのは、去年の響君の誕生日に初めて2人で撮った写真。

写真の中で幸せな顔で笑う響君と私。


私のせいで、響君が立ち止まったまま前に進めないでいる。

そんなのだめ。


私は、響君には幸せな、優しい顔で笑っていてほしい。


どうすればいい?


それなら、私が響君にできる事は———




気付いたら、朝になっていた。

私は写真立てをそっと倒して家を出た。




ふらふらと歩いていると、間違えて駅へと来てしまった。

今日は終業式だから、お弁当も無い。


何してるんだろう‥‥私‥‥


頭がくらくらする。寝てなかったからかな?身体もふらつく。

そういえば、夏の日差しが照りつけているのに、何で汗をかいてないんだろう。


あ‥‥れ‥‥?


音が遠い。


視界が白く‥‥なって‥‥



‥‥‥



‥‥‥



揺れている。温かいな。

まるで、響君に抱きしめてもらっているみたいで


ずっと‥‥こうしていたい。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






結局、記憶が戻らないままに終業式になってしまった。

今の俺では相沢の近くにいても傷つけてしまうだけだ。

だから、記憶を戻すために心療内科の先生に話を聞いて、思い入れの強い場所に行けば思い出す事もあると聞き、浩二に相沢と行ったらしい色々な場所を教えてもらってそこを回った。


遊園地に行った。海にも行った。水族館にも行った。夏祭りがあった場所にも行った。ショッピングモールにも行ったし、バイトをしていたらしく多少貯金もあったので京都にも行った。


だけど、俺の記憶が戻る事は無かった。



駅に着いて電車のドアが開くとムワッとした熱気が入ってくる。電車に乗る前に買った水を一口飲みながら階段をおりる。今日もかなり暑い。


駅の改札を出ると、おかしな既視感に襲われた。

いつも見ている光景は、本当は何かが欠けていて、それがカチリとはまったような。


何だ?何が‥‥‥‥‥‥相沢?


駅前にある一本の木の下に見覚えのある姿があった。

その相沢が、ゆっくりと倒れるように崩れ落ちて‥‥


「相沢っ!!」


相沢のもとに駆け寄って、頭が地面に落ちる前に腕を差し込む。

ゆっくりと木に寄りかかるように座らせると、相沢は荒い呼吸をしていて顔が赤い。


これは、熱中症か!?今日家を出る前にテレビの情報番組でやっていた熱中症の注意喚起で見た症状と同じだ。

それで‥‥熱中症は重症だと死んでしまう事もあると言っていて‥‥


救急車を呼ぶ?いや、救急車を待っているよりも、ここからなら病院まで走った方が早い。

テレビで応急処置についても言ってたよな?

思い出せ、思い出せ、思い出せ、そうだ!水。水を飲ませるか、体にかけて冷やすといいと言っていた。


「相沢!相沢っ!」


だめだ。意識が無い。

俺は相沢に鞄から取り出した水をかけると、膝裏と背中に手を回して抱き上げ、駆け出した。




「ひ‥‥び‥き‥‥くん」


腕の中の相沢を見ると相変わらず目を閉じていて、息も荒い。意識が戻ったのかは分からない。


「ああ、俺だ。すぐに病院に連れてってやるからな」


相沢に何かあったら、俺はっ‥‥


昔だとか、今はとか、関係ない。


もう、どうしようもない程に。

自覚できてしまうくらいに。

俺は相沢の事が好きなんだと。

そう、気付かされた。






病院に着いて、相沢を抱えたままに受付に急ぐ。


「すいませんッ!駅前で倒れて、すぐに、すぐにこの女の子を診てください!お願いします!俺の、大切な人なんです!!!」


受付の人は慌てていたが、大きな声を出したのが幸いして近くにいた看護師が気付いてくれた。


「山川さん、寝台用意して、早く!君、その子をこちらへ。なるべく揺らさないように、ゆっくりでいい」


俺は言われた通り揺らさないように看護師のもとへと行って、用意された寝台に相沢をおろすと、相沢の手が俺のシャツを握っている事に気付いた。


その手を両手で包むように握る。



「お願いします。助けて下さい。お願いします。お願いします」


何度も何度も頭を下げて、運ばれていく相沢を見送った。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「‥‥‥ん‥‥‥」


「あ、起きたか?」


「え?‥‥響君?」


目を開くと、椅子に座った響君がいて‥‥夢?


「えっと‥‥私。何で‥‥ここは?」


「ここは病院だよ。相沢は駅前で熱中症で倒れて。あ、動くとき気をつけてくれ。腕に点滴が繋がってるから」


腕を見ると確かに管がついていて、その先には点滴がある。

そっか、私‥‥


「‥ごめんね。また、迷惑かけちゃった」


「迷惑だなんて思うわけ無いだろ。軽い熱中症で良かった。入院とかはしなくても大丈夫だってさ」


響君は優し気に笑って‥‥うん。響君にはずっとそういう顔をしていてほしい。


「‥青‥ううん、響君。聞いてほしい話があるの」


私はそう言いながら、点滴が外れないように気をつけてベッドから身を起こして立ち上がる。


「ああ、何でも‥‥って、立って大丈夫か?」


響君が手を差し出してくれて、私はそれをそっと握る。


「‥うん、大丈夫。ありがとう」


「それで、話って?」


私は深呼吸をしてから口を開いた。




「‥ごめんなさい。こんな事言われても、困ってしまうと思うけど、‥‥‥私は響君と恋人になれて、とても幸せでした」


響君と繋いだ手にギュッと力を入れる。


「‥響君と出会えて、響君を好きになって、響君と恋人になって、どこに行くにも響君が隣にいる。それだけで幸せだったの」


響君、大好きだよ。


「‥私はあんまり‥‥ううん、全然可愛くなくて、そんなブスな自分がコンプレックスでもあって、‥‥それでも、響君の前でだけは、私はたった一人の可愛い女の子でいられたから」


大好き。


「‥ありがとう、響君。でもね、私との過去を気にして新しい恋が出来ないのなら‥‥‥私の事、忘れて下さい。それが、過去に恋人だった私からの、‥‥最後のお願い」


だから。ね?響君。


手を離して、私は響君の背中に手を回して、抱きしめた。




「‥幸せになってね」




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