52.相合傘


それは、偶然だった。


そもそもクラスが違うとはいえ同じ学校なんだし、新学期が始まってから2ヶ月以上も経って何で今まで無かったのかが逆に不思議なくらいだが。


梅雨に入って雨の日も多くなり、今日も午後から雨が降ってきた。だから屋上へは行かずに、浩二も用事があるとかで先に帰ったので雨足が弱くなるまで静かな空き教室で勉強をしていて、キリのいいところになったから一人で帰ろうとしたら、


「あ‥‥」


「‥‥え?」


上履きから靴に履き替えて昇降口を出ようとしたところで、まったく同じタイミングで隣の靴箱から出てきた相沢とばったり鉢合わせた。


「‥‥」


「‥‥」


気まずそうな顔をする相沢に何と声をかけたらいいのか、言葉に詰まる。


そのままお互いに無言で歩いて、昇降口の雨が当たる手前で立ち止まり、相沢は鞄を探り始めた。恐らく折り畳み傘を出すのだろう。

俺も折り畳み傘を出そうと鞄を探るが、


‥‥あれ?


そうだ、一昨日も同じように午後から雨が降り始めて、そこで折り畳み傘を使ってから補充してなかった。

しょうがない。コンビニまで走るか、あるいはどうせ濡れるなら駅までそのまま走るか。

そう考えていると、


「‥傘、忘れちゃったの?‥ですか?」


違和感のある敬語で相沢が声を掛けてきた。


「あー‥‥うん」


「‥あの、これ。使って下さい」


そう言って相沢は鞄から取り出した折り畳み傘を差し出す。


「え?相沢はどうするんだ?」


「‥私の方が家が近いので、このくらいの雨なら大丈夫‥です」


そっか‥‥付き合っていたのなら、家の場所も知ってるか。俺は‥‥憶えていないけれど‥‥。

しかし、『そうか、ありがとう』と傘を受け取る事はありえない。


相沢とは話したりしない方がいいのかもしれないと考えた事に嘘はない。だけど、相沢と話したいと思う気持ちがある事も否定できなくて。

だから、俺は———



「相沢がイヤじゃなければだけど‥‥相沢を家まで送って、そのまま傘を借りていきたいんだけど、それじゃダメか?」


「え?‥それじゃあ駅まで遠回りになっちゃう‥ますよ?」


「俺がそうしたいんだが‥‥やっぱりイヤか?」


「‥イヤじゃないけど‥」


「イヤじゃないなら、宜しく」


俺がそう言って傘を受け取ると相沢は一瞬悲しげで、それでいて懐かしむような顔を見せた後に


「‥‥‥初めて送ってくれた時と‥‥同じ言葉」


何かをボソりと呟いてから


「‥うん」


と、頷いた。






相沢の方に傘を傾けて濡れないように気をつけながら、2人で並んで歩く。

俺の肩が濡れてる事に気付いた相沢が半歩分俺に身を寄せて、何だかそれが無性に嬉しかった。


「‥‥えっと、こんな時間まで何してたんだ?」


「‥雨足が弱くなるまで図書室で勉強してた‥ました」


「そっか、一緒だな。俺も同じ考えで空き教室で勉強してた」


「‥そう、ですか」



会話が続かない。

傘が鳴らす雨音が、何かを喋れと急かしているようで、何か話題‥‥話題‥‥と考える。


「相沢は料理って好き?」


「‥はい」


「今日食った弁当に入ってた唐揚げがさ、めちゃくちゃ美味かったんだよ。俺は元々魚派だったんだけど、思わず肉派になりそうなくらい美味くて。相沢は魚と肉ならどっち‥‥が‥‥」



声が続かなかったのは、相沢の方を向いたからで。

その相沢は、嬉しそうにはにかむような笑みを浮かべていて。

ただ、純粋に、可愛いと、そう思った。


何だこれ、顔が熱い。



「あ、相沢って花で言うとスイートアリッサムっぽいよな」


こっちを向いた相沢に、その顔の熱さを誤魔化すように口をついて出たのはそんな言葉だった。


スイートアリッサム。

花言葉は優美。

ただの見た目の美しさなんてものよりも優れた、本当の美しさなんて意味がある。


花言葉なんて一つも知らないはずの俺が、何でこの花の花言葉を知っているのかは分からないけど、ただ思いつくままに口から出た。


相沢は驚いたような顔をしてから俯いて


「‥そんな事ないよ。でも、ありがとう」


その声色は色々な感情がごちゃ混ぜになっているようで、表情は見えなかった。




暫く歩いていると、気付いた事があった。

俺は一度も相沢に道を聞いていないのに、当たり前のように足を運んでいる。


何となくだけど、相沢と一緒にこの道を歩く光景が浮かんだ気がした。


「あのさ、‥‥俺と相沢は、いつもこんな感じで‥‥一緒に帰ってたのか?」


相沢が俺を見る。それは、多分俺と相沢が恋人だった事を俺が知った事に対する確認の視線で、俺は一度頷いた。


「‥うん。でも、同じ傘に入って帰るのは初めて」


「いつから付き合ってたかとか‥‥聞いてもいい?」


そう聞くと、相沢は酷く辛そうな顔をして‥‥

何か思い出せればと聞いた質問だったけれど、俺は何かを確実に失敗した事だけは分かった。


「‥‥今日‥は‥‥」


震えた声で相沢が口を開く。


「‥今日は‥っ‥本当は‥‥一年記念日で‥」


相沢の目から涙が零れて、


「‥‥ごめんなさいっ」


と、傘から出て走り去った。




ただ立ち尽くしていると、相沢が数軒先にある家へと入っていくのが見えて、



俺は、その家の玄関に傘を置いて、帰った。




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