50.紅茶


帰りのHRで配られた進路希望調査表に白百合愛と名前だけ記入して、クルっとペンをひと回ししてから折り畳んで鞄に入れた。


「白百合さん、今いい?GWに何か予定とかあるかなって」


すると、それを待っていたように声が掛かった。


新学期が始まって1ヶ月近く経ち、休み時間や放課後になるとクラスの各所でGWにどこに行こうかなんて話が始まる。

大学にしろ、短大にしろ、専門学校にしろ、ほとんどが進学だから今年の夏休みは受験勉強で潰れる事を考えると、GWは高校3年生である私達が『勉強しなくても大丈夫かな?』なんて罪悪感を抱く事なく遊べる最後の連休なのかもしれないわね。


「これから待ち合わせがあるから。それと、GWはもう先約があるの。ごめんね」


今声を掛けてきた子は3年になって同じクラスになるまでは話した事も無かったんだけど、同じくほとんど面識の無かった同じクラスの男子がよく話しかけてくるようになってから私に話しかけてくるようになった。

今日の休み時間にその男子をGWに遊びに誘っていて、『何人かであれば‥それと、白百合さんも来るなら』と返されていたのが聞こえている。

私を利用しないでほしい。


鞄を持って教室を出ようと歩き出した時、響君に集っている女子2人が目に入った。


「ねぇ、青羽君。この後暇ぁ?」

「良かったら、うちらと遊びに行こうよー」


美麗ちゃんと別れ話をしたわけでも、お互いに嫌いになってしまったわけでもない。

だけど、結果的には別れた事になってしまってるわけで。

だから一応フリーである響君にアプローチをかけるのを私がとやかく言うのは違うし、そんな立場でもない。

でも、理解はできても納得はいかない。

心の中でその光景に嫌悪感を覚えた。


今現在は響君に対して恋愛感情なんてものはないけれど、それでも、かつて私が好きだった人の隣は美麗ちゃん以外を認めたくない自分がいるのかもしれない。


そんな事を考えながら、その光景に冷めた目を向けて教室を出た。






「お待たせ、美麗ちゃん」


「ぁ‥‥ううん、全然待ってないよ」


校門の前で影のある表情をしながらスマホを眺めていた美麗ちゃんに声をかけると、バッと顔をあげて微笑んだ。


私には今、一つの心配事がある。


この笑った‥‥‥ように見える、私の友達。

私の初めての友達と呼べる友達。

心配事というのが、この私の大切な友達の事。


美麗ちゃんとの付き合いはまだ一年弱だけど、響君が怪我をして記憶を失ってから、美麗ちゃんが一度も心から笑っていない事くらいは分かる。


「‥それで、話って?」


「うん、それは部屋に着いてからね」


私は今日、一つの覚悟をして美麗ちゃんを部屋に呼んでいる。


本当の意味で美麗ちゃんが笑顔になるには、時間が解決するか、響君の記憶が戻るか。

他にもあるかもしれないけれど、悔しいけどきっと私ではできない。


だけど、心配を掛けないようにと、いつも無理して『大丈夫』と笑うこの心優しい私の友達を、ただ見守るだけでいるのはもう限界だった。

人前では弱音を吐かずにずっと、耐えて、耐えて、耐え続けて、涙も見せない。


このままだと、美麗ちゃんの心が‥‥壊れてしまう。


見守るなんて格好いい言葉を使ったけれど、私はただ恐がっていただけかもしれない。

無理をしているのは分かっていたけれど、下手に踏み込んでその大切な友達から嫌われてしまう事を私は酷く恐れていた。


だけど、そんなの全然私らしくない。


今までは、守りたいもの、大切なものなんて無かったから、自分の思うままにいられたのかもしれない。

そんな私に大切にしたいものができた。

だからこそ、大切だからこそ、踏み込んででも支えてあげたい。そう思った。




家に着いて、美麗ちゃんを先に部屋へとあげて、キッチンで紅茶を入れて部屋へと運ぶ。

クッションの上で姿勢良く座っていた美麗ちゃんの正面に座りながらテーブルの上に紅茶を乗せて、早速本題へと取り掛かる事にした。


「美麗ちゃん。本音を聞かせて」


「‥え?」


「正直に答えて。美麗ちゃん‥‥辛くない?」


私がそう聞くと、美麗ちゃんは一瞬何かをグッと堪えるような表情をしてから、あの、笑ったように見える顔で口を開いた。


「‥私は、大丈夫だよ」


その答えに、


「大丈夫なわけないじゃない!」


思わず、大きな声を出してしまった。

視界が少し滲む。


「ねえ、美麗ちゃん。私は美麗ちゃんを、大切な友達‥‥親友だと思ってる。美麗ちゃんは?」


「‥‥うん。私も、愛ちゃんは大切な友達。‥親友だと思ってる」


「だったら、っ‥だったら‥‥せめて、私の前では‥っ‥お願いだから、弱音を吐いてよ‥‥もう‥‥見てられないのよ‥‥」


「‥‥愛ちゃん」


涙を流す私を見て、美麗ちゃんは俯いて、ぽつりぽつりと話し出してくれた。



「‥朝、駅前でね、ふと足を‥‥止めてしまう事があるの」


「‥そこは、いつも朝に、響君と待ち合わせしていた場所で」


「『美麗、お待たせ』って‥‥手を振って‥笑う響君が見える気がして‥‥」


「‥それだけじゃ‥なくて‥‥通学路でも‥」


「‥学校でも」


「‥公園でも」


「‥街中でも」


「‥どこに行ってもっ‥‥響君との思い出が溢れていて‥‥私の名前を呼んで笑う響君が‥‥浮かんでは‥‥消えてっ‥‥っ‥‥」


「辛いのっ!痛いのっ‥‥苦しい‥の‥‥」



ぽたぽたと涙を流す美麗ちゃんの頭を、私はそっと抱きしめた。


未来の事は誰にも分からない。だから、きっと大丈夫、記憶が戻るなんて無責任な事は言えない。


だけど、


「辛かったね‥‥痛かったね‥‥苦しかったね」


一緒に泣いてあげる事は私にもできるから。




それからは、2人で抱き合って、わんわんと泣き明かした。







泣けるだけ泣いて、すっきりした顔で


「‥ありがとう、愛ちゃん」


そう言って笑った美麗ちゃんは、久しぶりに見た本当の美麗ちゃんの笑顔な気がして、


「ううん。紅茶、冷めちゃったわね」


私は、自分が美麗ちゃんを笑顔にできた事を嬉しく思いつつ、でも少し照れくさくて、誤魔化しながら紅茶に口をつける。


「あいつ、私の大切な親友をここまで追い込むなんて。記憶が戻ったら、思いっ切りビンタの一発でもくれてやるんだから」


「ふふっ‥うん。その時は止めないね」


そうして2人で笑い合って飲んだ紅茶は、冷めてはいても、いつもより美味しく感じた。



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