46.喪失


これは‥‥夢、だろうか?



俺は、学校で1人の女の子を見守っている。

女の子の顔は霞がかってよく分からない。


その女の子は、隣の眼鏡をかけた女の子‥‥宇佐美か?宇佐美と楽しそうに話しながら歩いている。

俺はそれを微笑ましく眺めながらも、どこか緊張していた。


階段を降りていると、俺が見守っている女の子が踊り場に差し掛かったところで、階段から登ってきた男が急に振り返って、その子の背中に手を突き出しているところが見えた。


ダメだ!男の方を止めるのは間に合わない。


「◾️◾️っ!!!!!」


俺は駆け出して、空中でその女の子を抱きしめた。


「良かった。間に合って」


その女の子を守れそうな事に、心から安堵した。

俺の何よりも大切な人。絶対に傷の一つも負わせない。


俺はその女の子を上にしたまま、頭と背中を庇うように抱きしめて、


そして———






あまりよく覚えていないが、変な夢を見た気がする。


「どこだ?ここ」


見渡すように頭を動かすと、頭に鈍痛が響いた。


「い!ってて。何だこれ?包帯?」


後頭部に触れると、布のような感触がする。

取り敢えず起き上がろうとすると、動かせない程ではないが背中も痛む。


「はぁ‥‥何だよこれ」


力を抜いてそのままベッドに横になる事にした。


「退屈だなー」






暫くすると、ドアがノックされて、返事はしていないが「失礼します」と白衣を着ている若い看護婦が入ってきた。

そうか。何となくそんな気はしたが、やっぱりここは病院か。


「あの、すみません」


「はい、何で‥しょ‥‥あれ?えっ!?せ、せんせーっ!」


普通に会話が成り立ったかと思いきや、目を見開いた若い看護婦は慌てたように出て行った。


‥‥まぁ、そのうち戻ってくるだろう。


しかし、ここは病院か。

何で俺は怪我をしているのだろうか。

ふと時計を見るとAM6時とある。

いつも起きる時間だな。


‥‥‥ん?いつも?

学校へはいつも7時起きだったよな?

何で1時間も早く起きてたんだっけか?






さっきの看護婦が医者かな?白衣を着た渋い感じのおじさんを連れて戻ってきた。

どこか痛みはないかと聞かれたので、正直に頭と捻ったりすると背中が痛む事を説明する。


どうやら俺は丸2日くらい寝ていたらしく、レントゲンにも脳波?だかにも異常は無かったが意識が戻らないので、このまま意識が戻らないのでは?といった事を懸念されていたらしい。


そうして話を聞きつつ色々と押されたりしながら痛む場所が他にないか探られていると、息を切らせた母さんが病室に入ってきた。


「響、大丈夫?どこか痛いとこない?」


母さんが眉尻を下げて聞いてくるが


「それを今この人に伝えてるとこ」


と気が抜けたような声で言うと、母さんは強張っていた肩の力を抜いた。

そのまま触診をしてもらいながら母さんと話す。


「美麗ちゃんにも響が起きたって話しておいたけど、親族じゃないからお見舞いに来れるのは10時過ぎよね‥‥早く会いたいでしょ?ふふっ。さっさと親族にならないかしら」


ん?美麗ちゃん?

頭にクエスチョンマークを浮かべていると、母さんが少し呆れたような顔をした。


「何?憶えてないの?美麗ちゃんを庇いながら階段から落ちた事」


美麗ちゃん‥‥

母さんが名前で呼んでいるという事は、母さんの知り合いだろうか?


しかし、誰かが困っているところを見かけたら手を貸すくらいはするが、階段から落ちるのを俺が庇った?自分が怪我をしてまで?

俺はそんな殊勝なやつになった覚えはないのだが。多分、巻き込まれて結果的にとかそんなところだろう。


「その美麗ちゃんって、母さんの知り合い?」


「え?響、何言って‥‥‥‥‥‥っ!」


母さんはハッとした顔になったかと思いきや


「響、自分の名前言える?」


「は?何で?」


「いいから」


真剣な顔で問いかけてくる。

医者の人も少し顔つきが変わったような。


「青羽響」


「歳は?」


「じゅうろ‥‥‥あれ?」


おかしい。俺は17歳じゃなかったか?

だが、誕生日の記憶なんてない。

別にいつも通りに祝ったりなんかしなかったのかもしれないが、それでも自分の誕生日が過ぎたかくらいは分かるはずだ。


それが分からない。


何だこれ。虫食いなんてレベルじゃない。

高校2年になった事は憶えている。

だが、そこからの記憶がほとんどと言っていい程無い。


夏休みがあった気がする。文化祭もあった気がする。修学旅行にも行った気がする。

気がするだけで中身がまるで分からない。


「‥‥なあ、母さん。俺は17歳だっけ?」






あの後、別の医者のところに行って色々と質問に答えたりした結果、俺は記憶の一部を失っていると分かった。

好きな人、嫌いな人、好きなもの、嫌いなもの、直前に見たものなど、それらの事を強烈に意識・認識している状態で頭を強く打った事によって、それがすっぽ抜けたらしい。


例えば殺したい程に憎んでる人がいるやら特定の人や物への思い入れが強ければ強い程にその症状が顕著に現れるとか。

解離性健忘の中の一つの系統的健忘?とかいうらしい。


自分で言うのもなんだが、俺は割りと言いたい事は言うし、やりたい事はやる方なので憎しみやらは溜め込んだりはしてないと思うけどな。


記憶はいつ戻るかは分からない。

1分後に戻るかもしれないし、1年後に戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。

催眠療法なんてものもあると受けるかは別として紹介だけはされた。


病室に戻ると、診察に同席していた母さんが席を外していたんだが、戻ってくるとさっき母さんが言っていた『美麗ちゃん』が病院に来ていて、憶えていなくても会いたいと言っているがどうするか聞いてきたので、別に構わないと応えた。


お礼が言いたいなりあるのかもしれない。

多分俺が下手こいて巻き込まれただけだと思うし、気にしなくていいんだけどな。


知り合いだとしたらその人の記憶も飛んでるから憶えてなくて申し訳ないが、それでもいいなら俺も別に構わない。


ただ病室でだらだら過ごすのも退屈だし。


浩二が漫画でも持ってお見舞いに来ないだろうか。呼んでみるか?って、そういえばスマホとかどうなったんだろう。


そんな事を考えながら、母さんが『美麗ちゃん』なる人を呼びに病室を出て5分くらいしてからノックの音が聞こえたので、


「どうぞー」


と応えると、少し間を空けて一人の女の子が入ってきた。



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