中編 栞視点

「長岡君ってカッコいいよね」


 最初にその言葉を聞いたのは、中学生になってからしばらく経った頃だった。


(長岡君って、保のことだよね)


 カッコいい。小学校にいた頃は、おおよそ保に向かって掛けられることの無かった言葉だ。だけど中学に入った私達は、男子も女子も、それぞれ大きく成長し始める。

 保は一気に背が伸びたし、顔つきもどこか、凛々しくなってきたような気がする。そして周りの女子達は、そんな彼を一人の男の子として意識し始める。そんな変化がある時期だ。


「栞、このままじゃマズいんじゃないの? 長岡君、誰かにとられたらどうするの?」


 今年もまたバレンタインムードが漂い始めた頃、友達からそんなことを言われた。


「とられるって、保は別に私のものってわけじゃないでしょ」

「けど、好きなんでしょ。小学校の頃から見てたら分かるって。最近の長岡君、結構女子から人気あるし、本気で告白しようと思っている子もいるかもよ。栞は、それでいいの?」

「うっ……」


 長い付き合いである彼女には、私の気持ちもバレバレだ。もちろん、いいか嫌かと聞かれたら、そんなのは嫌だ。

 だって、ずっと前から好きだった相手だ。最近になって保の良さに気付いた人になんて取られたくない。一瞬そんなことを思ったけど、それはすぐに、自己嫌悪へと変わった。


「ううん。好きな期間が長かったって、関係無いか。だって私は、その間何もしなかったんだから」


 思っていた時間が長い方が偉い、なんてことは決してない。むしろ私にとって、それは告白から逃げていた時間でもある。ずっと好きだったのに、心の中でそう思っているだけで、一度だって保にそれを言ったことはない。


「だったら、こんどこそハッキリ好きだって伝えたら。ちょうどもうすぐバレンタインなんだし、告白するにはいい機会でしょ」

「…………うん。そうだね」


 背中を押され、小さく頷く。今までずっと、告白から逃げてきた私。だけど保や、周りの女の子の態度が変わっていくように、私もまた、変わる時が来たのかもしれない。


 この時私は、初めて保に、バレンタインにお礼でないチョコをあげようと決意した。好きだと伝えるための、本命チョコを送ろうと。

 ただ、それには一つ問題があった。


(渡すなら、やっぱり手作りの方がいいよね。だけど、チョコの作り方なんてもう忘れてるよ)


 最後にチョコを作ったのが、去年のバレンタイン。それから一年。今回もまた、作り方なんてきれいさっぱり忘れていた。

 今までだったら保に作り方を教わるところだけど、本命チョコの作り方を本人に教わるなんて、そんなの無理!






     ~~~~~~~~~~~~






「板チョコ、くるみ、コーンフレーク。材料は、これだけでよかったよね」


 バレンタイン前日。我が家のあるマンションへと帰りエレベーターに乗ったところで、持っていた手提げ袋の中身を確認する。たった今スーパーで買った、チョコを作るための材料だ。

 今回作ろうとしているのはクランチチョコ。念のため失敗した時のことを考えて、どれも大目に購入してある。


 だって、保に教わらずに一人で作るなんて、初めてのこと。どんな失敗があるか分からない。

 だけど、今回だけは自分の力で作りたい。本命チョコを渡すのに、その本人から作り方を教わろうという気にはなれなかった。


「こんなことなら、保の言う通り、もっと普段から作っておけばよかった」


 去年あったやり取りを思い出すけどもう遅い。なにしろ当時は、一年後に本命チョコを渡すことになるなんて、ちっとも思っていなかったのだから。


 そんなことを考えながら、エレベーターを降り我が家に向かう。だけど帰り着く直前、隣の部屋に入ろうとする、見知った姿を見つけた。保だ。


「よう栞。そっちも、今帰りか」

「う、うん」


 家に帰る途中、保と鉢合わせするなんていつものことだけど、今は告白だの本命チョコだのと考えていたこともあって、何となく顔を合わせづらい。さっさと分かれて家に帰ろう。そう思ったけど、保は目ざとくも、私の持ってる手提げ袋に目を向けてきた。


「何買ったんだ——って、チョコか。そう言えば、今年ももうバレンタインか。どうせまた、教えてくれって言ってくるんだろ」

「えっ? う、ううん。今回はいいや、自分で作るから」


 からかうように保は言うけど、今回は保に頼る気は全く無い。

 だけど始めてみせるこの反応に、保は怪訝な顔をする。


「なんでだよ? いつもなら、そっちから教えてくれって言ってきたじゃないか」


 そうだよね。今までそれが当たり前みたいになってたのに、急にこんなこと言われたら不思議に思うよね。

 だけどその理由は言えない。あなたにあげる本命チョコは、自分だけで作りたいからだよ、なんて、言えるわけがない。それができるくらいなら、とっくに告白している。


「い、いやー、さすがに毎年毎年頼るのは悪いかなって思って。保つだって、いつも付き合わされて大変だったでしょ」

「いや……そりゃ、大変って言ったら大変だったけど、だからって嫌だったってわけじゃないぞ。だいたい、なんで急にそんなこと言い出すんだよ?」

「それは、その……わ、私にも色々あるの。とにかくそう言うわけだから、今回は自分一人の力で作ってみるね。それじゃ!」

「えっ?……なあ、ちょっと!」


 保が呼び止めるのも聞かずに、強引に話を終わらせ、自分の家へと帰っていく。

 碌な説明になっていなかったけど、どのみち何を言ったって嘘にしかならない。それなら、長々と話してボロが出る前にさっさと切り上げた方がいい。そうは思ったけれど……


「どう考えても、不自然だったよね」


 家に中に入り玄関の戸を閉めたところで、へなへなと全身から力が抜け、その場に座り込む。

 あんな態度とって、変なやつって思われたらどうしよう。最悪、私が本命チョコを作ろうとしてるって察したらどうしよう。


 不安が頭の中を駆け巡り、だんだんと気持ちが沈んでいく。

 そんな良くない気持ちを振り切るように、ブンブンと頭を振って、勢いよく立ち上がる。


「と、とりあえず、まずはチョコを作らないと」


 悩むのは後でもできる。今はそれよりも、チョコを完成させることの方が重要だ。

 そう自分に言い聞かせながら、私は材料を手に、台所へと向かっていった。

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