其の五

『そんな時・・・・・』

『進藤文雄さんと出会ったんですね。』

 俺の言葉に、一瞬彼女はこちらを見てから、素直に頷いた。


『博士号を取り、大学の材料研究所に務めはじめて間もないころです。私は身体を壊して大学病院の内科で診てもらいました。その時の医師が彼だったんです』


 進藤文雄は当時40歳、妻に死に別れ、娘を一人抱えている男やもめだった。

 とても真面目で人柄も良く、医師と患者というより、次第に魅かれていったのだという。


 彼の家にも何度か足を運び、彼の母親(父親はとうの昔に亡くなっていた)や、彼の一人娘とも会ったという。

『普通の、本当に何でもない普通の生活に触れ、私はそれがどれほど大切なものか、良く解ったのです』

 結婚したいと父親に打ち明けはしたが、賛成されるはずもなかった。

”お前は由緒ある(泥棒に由緒もヘチマもないもんだが)疾風組の娘に生まれたのだ。ならば普通の生活をすることなど許されん位分かるだろう。”

 跡継ぎになるべく、泥棒修業に精を出していた弟も、当然ながら反対だった。

”姉ちゃんだって、もう稼業に足を突っ込んでいるんじゃないか?一人だけ抜けるなんて許される筈はないぜ”

 しかし彼女は、もう父たちの言うなりになるのは嫌だった。

 家を飛び出し、それっきり縁を切り、進藤医師と入籍し、今に至るという訳だ。


 だが、そうはいっても、彼女の作ったドリルビットで金庫が破られ、犯罪が重ねられて行ったのは確かだ。


 新聞の見出しで”疾風組”という言葉を目にするたびに、彼女の心には深く突き刺さるものがあった。


 まず祖父が亡くなり、次いで父が後を追った。

 亡くなる間際、父は病床に彼女を招いた。

 久しぶりに会った彼はやせ細り、昔の傲慢さは見る影もなくなっていたという。

 彼は”俺は自分のやってきたことに、悔いは残していない・・・・しかしたった一つだけ・・・・心に残った出来事があった。

 そう言って彼は一枚の新聞の切り抜きを手帳の間から出した。

 何ということのない、社会面の片隅に報じられた、ある男性の自殺を報じる記事だった。


 その男性は製薬会社の経理部長をしていたのだが、ある日自宅に忍び込んだ窃盗団に、会社から預かって、一時保管をしていた金を洗いざらい持ち去られた責任を取って自殺をしてしまったのだそうだ。

”何の罪もない、ただの善良な会社員を死に至らしめてしまった。恐らく残された家族はさぞかし苦労をしたことだろう。出来れば俺が自分で何とかしてやりたかったが、もうこの身体ではどうしようもない。今更こんなことをお前に頼めた義理ではないが、せめてこの男の家族が生きていたら、何とか償いをしてやってくれないか。頼む”

『それが父の最後の言葉でした』

 彼女はそう言ってから、暫く目を伏せた。

『あんな父でしたが、それでも親には違いありません。彼の最後の願いを、私の手で何とか叶えてあげたいと思ったのです』

 彼女は自殺した柴田氏の家族・・・・つまりは俺の依頼人、幸次のことだ・・・・がたった一人残されていることを突き止めた。

 父親には幾らかの財産はあった。しかしそれとても結局は悪銭・・・・泥棒をして稼ぎ貯めた金に過ぎない。

 そんな金で償いをしたところで、喜びはしないだろう。

 彼女は大学で働いて作った財産、それからあのドリルビット以外の発明品で得た幾つかの利益で、毎年百万円づつ送ることに決めたのだという。



 

 


 


 

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