其の四

『進藤真琴博士・・・・いや、正しくは十文字ともんじ博士と呼ぶべきでしょうか?』

 そう聞かされても、彼女は別に動揺した様子も見せず、パソコンのモニターに向かっていた。

 五分ほど経って、彼女はパソコンの電源を落とし、椅子をこちらに向けて立ち上がると、俺の目を見ずに、

『何か飲みます?コーヒー?それとも日本茶?』

 と聞いてきた。

『いや、どちらもいりません』

 俺がそう答えると、彼女は黙って部屋を横切り、奥に引っ込むと、プラスチックのカップに湯気の立つコーヒーを淹れて戻り、また椅子に腰かけ、俺には傍らのソファを指さし、

『どうぞ』という。


 俺は黙って腰を下ろし、シナモンスティックを咥えた。

『家を出たのは父が亡くなる少し前です。その後まもなく結婚して今の姓に変えました。』


『泥棒の家系から抜け出したかったから、ですか?』

 カップに口をつけ、一口啜った後、黙って頷いた。

『どこから調べたんですか?』

 俺はコートのポケットに手を突っ込み、折りたたんだ一枚の紙きれを引っ張り出し、それを彼女の目の前に置いた。

『悪いけど、こっちにも情報源の秘匿って厄介なもんがありましてね。探偵ってのは警察と違って、いささかアナーキーな手を使うことが許されてる・・・・というより、使ったところで大勢のマスコミの前で頭を下げる必要もない。問題になりゃ、一人で腹を切って恥をかけばそれでおしまい・・・・それだけですから』

 俺はそう言って、書類を人差し指で二回叩いて見せた。

『現場に残されていた数少ない証拠・・・・そう、ドリルビットの破片。そいつを俺の知り合いが勤めてる科研に持ち込んでね。調べて貰ったんです。このドリルビットは、特殊な金属で造られていた。それを開発したのが貴方・・・・十文字真琴博士その人だった』

 俺の言葉に、彼女は否定をせず、後を引き継いで話し始めた。

『私の家は、先祖代々、正確には私の曽祖父の代からですが・・・・泥棒の家系でした。』


 彼女の家は、その時代から他の仕事をまったくせずに、泥棒だけで生計を立ててきた。

 確かに伝えられている通り、殺人や傷害といった”荒事”は一切したことがない。

 狙いを定めた屋敷や会社に押し入り、残らず頂戴する。貴金属などを狙うこともあったが、大抵の場合は現金、それだけだった。

 

『祖父も父も”人殺しさえしなければ、どうということはない。まして俺達が狙うのは、欲に目がくらんだ金持ちばかりだ。そんな連中の金を失敬する事に、いちいち良心の呵責を覚える必要などない”が口癖でした。

 私も大人になったら、父や祖父たちの手助けをしたい・・・・と考え、

 中学、高校を卒業後、東西工業大学の機械工学科に入学した。

 

 そこで彼女は材料工学の研究、つまりはどれほど堅い金属や鉱物であっても、簡単に穴を穿つドリルビット・・・・工作機械の研究に没頭した。

『つまり金庫破りの道具を作ろうと思ったんですな』

 彼女は俺の問いに、はっきりと”そうだ”と答えた。

 研究資金や学資は父が幾らでも出してくれた。

そのうちに母が亡くなり、父が病気で倒れ、跡目は弟が継いだ。

 彼女は学業の傍ら、持って生まれた優秀な頭脳をフル稼働させて、新型ドリルビットを発明した。

 彼女自身は直接泥棒稼業を手伝ったことはなかったが、しかし間接的に、悪事に手を貸していたことに変わりはない。

 本当に優秀な頭脳を持った人間は、自分の頭で思考をするようになり、目的に対して疑問を抱くようになるのは、むしろ当然ともいえる。


『私は学部を出て、そして大学院へと進みました。その頃にはもう、家業を正当化することが嫌になって来たのです。遅すぎた。と言えばそれまでですけど』

 

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