第20話 私の守護霊

 バチルダのさらなる高笑いは襲い掛かる力とともにエスカレートしていき、屋敷の窓ガラスや食器などはすべて割れはじめ、広間の上につるされていたシャンデリアが暴れるように揺れていた。

 「完全な存在にするってどういうことですか?」

 「あなたは彼女の名前を知っているかしら?」アリーは難しい顔で記憶を呼び起こしていた。姿を見る限り、自分とさほど年が変わらないため、同級生や近所の友達などを片っ端から思い出した。しかし、そもそも自分の身の回りで人の死と言うものにアリーは振れたことがなかった。

 「ごめんなさい。名前どころか会ったことすらないのですが?」アリーとヴァネッサがそうこう話している間に、バチルダはさらに力を増し、とうとう抑え込んでいた光る魂が一つまた一つと力尽きるように消え始めた。

 「無理を言って申し訳ないけど、もう少し思い出してほしいの。彼女の顔をよく見てちょうだい。」ヴァネッサは残されている時間が残りわずかと悟り、少し焦りの表情を見せた。アリーはその気持ちを悟り、さらに注意深く、彼女の顔を覗き込んだ。よく見ると彼女はアジア系の顔つきをしていた。アリーは父方の親族が日本人であることと、どこか親近感を感じていた。とはいっても、アリーがあったことのある親戚は、祖母しかいなかった。アリーはもしかしたら、小さいころに会ったことがある親戚がいるかもしれないと、記憶の引き出しを漁った。

 「トーマス、こっちも限界だ。」向こうの方で、ダンテの息の上がった声が聞こえてきた。辺りを見渡すと、皆限界の様子で少しずつ押され始めていた。無数にいた光る魂はほとんど消えていた。

 「ごめんなさい。どうしても思い出せません。」アリーは半泣きで訴えた。

 「こちらこそ。無理を言ってごめんなさいね。」ヴァネッサはアリーにそう言うと、静かにアリーから離れていった。

 「こうなったら、もう手がないわ。」ヴァネッサがそう言うと、トーマスの方を見た。するとトーマスは、ヴァネッサにゆっくりと近づいていった。それを見たヴァネッサの顔付きが少し変わり始めた。

 「お願い、来ないで。私にはできないわ。」ヴァネッサは、泣きながら後ずさった。しかし、トーマスは安らかな顔で首を横に振りながら、近づいていた。

 「だが、もうこれしか方法がないであろう。」

 「だからって私の手ではできないわ。」今まで強く、時に冷徹な判断をし続けていたヴァネッサが弱いところを見せた瞬間であった。

 「でも自ら命は断てないし、かと言ってほかの人間は私を殺すことはできない。」トーマスは泣き崩れているヴァネッサの顔を覗き込んだ。

 「君のいない世界ではもう暮らせない。私を連れて行っておくれ。」トーマスの言葉にヴァネッサは、顔を上げると大きくうなずき、手のひらをトーマスに向けた。

 「トムじいさん、まさか・・・」ミスタージェイルはヴァネッサとトーマスの行動を見ながらつぶやいた。

 「ヴァネッサ。」

 「何?あなた。」

 「死ぬのって痛いものかい?」

 「大丈夫。私が付いているわ。」

 白い霧が勢いよく、トーマスの口や鼻から体内へ流れ込んだ。トーマスの体はまるで中身の抜き取られた抜け殻のように、力が抜け倒れた。

 周りにいた人間は、各々トーマスを呼んだ。すると、白い霧がトーマスの姿を形成し始めた。

 それと同時に、バチルダの勢いも弱まった。

 「ヴァネッサ、あんたなんてことをしてくれたのよ。」バチルダは、言葉こそ力強いものの、声や動きからとても弱っている様子だった。

 「魂のつながりが断ち切れた時、特別な力を持った魂が、邪悪な魂を打ち滅ぼす。」

 「フィリップ?」サマンサが不思議そうにフィリップを見た。

 「いや、ただの独り言だ。それよりアリーは?」

 「アリーさんなら・・・」サマンサはアリーがいる方向に視線を送った。

 「ごめんなさい。本当に思い出せないの。あなたの名前も存在さえも。」アリーは自分の守護霊に許しを請うた。すると守護霊は首を横に振ると、ゆっくりとアリーへと近づき、アリーの肩に触れた。もちろん、感覚はないものの以前にも感じたことのある、胸が晴れてスッキリしたような感覚になった。彼女はアリーに微笑みかけた。どこかずっとほしかった姉のような優しい笑顔にアリーは、妹のように無邪気な笑顔を見せた。

 すると、辺りがまた暗闇に包まれ、アリーと守護霊の女性の二人だけの空間になった。

 「あれ?ヴァンシーさん?あなたなの?」アリーは辺りを見回しながら、叫んでいた。するとどこからともなく聞いたことのある声が聞こえてきた。

 「どんな名前だったかなぁ?」男性の声だった。

 「お父さん?」アリーの声に声の主は反応しなかった。

 「そもそも男か女かもわからないじゃない。」今度は女性の声だった。

 「お母さん?」再びアリーの声に声の主は答えなかった。すると、守護霊の彼女は首を横に振りながら、口元で人差し指を立てていた。アリーは、その合図を見ると、どこからともなく聞こえてくる会話に集中した。

 「いや、絶対女だった。」

 「なんでわかるのよ。」

 「いやあの日実は夢を見てたんだよ。」

 「夢?」

 「そう、車を運転してて、隣に君が乗っていて後ろに見たことない女の子が乗ってて・・・」

 「ほう。」女性は少し不思議そうに相槌を打った。

 「でも、その女の子は見たことがないし、特別美人とかかわいいってわけじゃないんだけど、どこかいとおしく感じたんだよ。」

 「それで?」

 「それで、車を川の近くで止めて、女の子が車から降りたところで目が覚めたら、隣で君が大変なことになってたんだよ。」

 「へぇ、じゃあその子を送ったってこと?」女性は少し静かな雰囲気で尋ねた。

 「そうかな?って思った。」その会話を聞いていた守護霊の彼女の頬を一筋の涙が流れ落ちた。それを見たアリーは、涙を拭こうと手を伸ばした。すると何かに触れる感覚が、アリーの手に感じた。

 「あなたが私のお姉ちゃん?」アリーがそう言うと、彼女は黙ってうなずいた。するとアリーも同じように、頬を一筋の涙が流れた。それを彼女が人差し指で拭こうと手を伸ばした。すると、アリーの頬に何かが触れる感触がした。

 「お姉ちゃんだ。」守護霊の彼女は、笑顔で何度もうなずいた。

 「ずっと見守ってくれてたんだね。ごめんね。わからなくて。」アリーの言葉を一つ一つ笑顔で受け止めていた。

 「あ、思い出した。」急に男性の声が聞こえ二人は、声に集中した。

 「きららだ。」自分の名前を知ったきららは照れくさそうにはにかんだ。

 「もっといい名前はなかったの?」女性の声が聞こえると、少し不満そうな顔をしたが、すぐにアリーと二人で笑い合った。二人はお互いの手を取り合った。

 「あなたの名前はきらら。」きららは嬉しそうな笑顔でうなずいた。

 「そう、私の守護霊は姉で名前はきらら。」アリーがそう言うと、また気分が晴れたような感覚になると、暗闇だった二人の世界が現実のヴァンシー邸に戻されていた。

 そこでは弱っていたバチルダが、最後の力で暴走し始めていた。屋敷中の家具が大きな音を立てながら、舞い上がっていた。

 「弱ったんじゃないのかよ。」ダンテはそう言いながら必死で力をおさえていた。

 「私が滅ぶなら、あんたたちも道連れよ。すべての魂よ。我の元へ。」もはやそこにバチルダはいなかった。

 「僕のせいだ。僕が彼女との絆を完全に断ち切れなかったから・・・」トーマスが静かに懺悔した。

 「さぁ、眠りなさい。」バチルダがそう言うと黒い影が全員に向って襲い掛かってきた。

 「みんな、すまない。」トーマスがそう言うと各々体を伏せ、目をつむった。しかし、何か起こった感覚がなく、皆恐る恐る目を開けた。

 「アリーさん。」サマンサが驚きの叫び声をあげた。

 「もしかして、守護霊の名前が・・・」サマンサは嬉しそうにつぶやいた。

 「アリー・ハーバート。いまさらあなた一人で私に何ができるっていうの?」バチルダは嘲笑った。アリーは階段の下で階段の踊り場にいるバチルダを見上げていた。

 「残念ながら、私は一人じゃないです。」アリーは鋭い目つきでバチルダを見た。バチルダはすべてを察し、アリーに最後の力で襲い掛かった。すると、アリーの頭上に白い霧で形作られたきららが現れると、白い霧が勢いよくバチルダに向っていった。二つの力がぶつかり合い、力が均衡したがきららの力が圧倒的に強く、あっという間にバチルダの力を押し戻した。バチルダはその衝撃で、勢いよく壁にたたきつけられると、白い霧が体内へ侵入してきた。すると、バチルダの肉体は灰となり、白い霧がバチルダの姿と、もう一つローブ姿の人間の姿を形作った。

 「あいつもしかして。」フィリップがそう言うと、ローブ姿の人間はどこかへ逃げた。

 「みなさん、あいつは私に。」そう言うとフィリップはローブの人間を追いかけようとした。

 「フィリップ。」それを阻止するように、サマンサが呼んだ。

 「すまない、サマンサ・・・」フィリップが何かを言いかけたところで、サマンサは首を振った。

 「いってらっしゃい。」サマンサは無邪気な笑顔を向けた。フィリップがどこかへ行くのはいつもの事だった。だが今回はいつもと違い、理由もわかっているし何より、ちゃんと顔を見て見送れる。その分の心配と寂しさがあったがサマンサは、そんな状況がうれしかった。

 「ああ、すぐ戻る。」フィリップはそう言うと、ローブの人間を追った。

 バチルダは、消えかかっていた。

 「トーマス、お願い消えかかっているの。助けて。」バチルダがおびえた声で訴えていると、トーマスは冷たい目でバチルダに近づいた。

 「君は自分の私欲のために、世代を超えてたくさんの人々、私の友人たち、私の愛する人、そして私を深く傷つけた。残念だけど助けることはできない。」

 「そんなこと言わないで、私はただあなたを愛しているだけなの。一緒になりたかっただけなの。」バチルダは、泣き崩れた。しかし、トーマスの態度は変わらなかった。

 「君は僕のことを愛していない。君が愛していたのは自分だけだ。」トーマスの言葉に反論する元気はバチルダには残っていなかった。

 「わかったわ。もう私の愛を受け入れてもらおうとは思わないわ。でも、本当に申し訳ないと思っている。それだけはどうか・・・」バチルダは、そう言いながらも、かつての友人たちの霊体の姿を見て、言葉を失ってしまった。自分の私欲で無残な姿になった友人たちにバチルダは謝罪をしても許しを請うことは出来なかった。

 しかし、トーマスとヴァネッサとダンテの三人はお互い目線を合わせ一つの思いを共有した。

 「妻もきっと同じ気持ちだ。」その光景を見ていたケヴィンはうなずこうとしたがうなずききれずうつむいた。

 「バチルダ。君の謝罪を受け入れ、そして許す。」トーマスがそう言うと、バチルダは不意を突かれたような顔で、三人を見た。三人はバチルダのそばによると、トーマスが手を差し伸べた。

 「さぁ、一緒にあの世へ行くよ。」バチルダがトーマスの声にうれし泣きをしながら、手を伸ばそうとすると、突然、バチルダの背後に黒い頭蓋骨の影が現れた。

 「バチルダ。」それに気づいたヴァネッサの声にバチルダが振り返ったが、時すでに遅く、バチルダは影のどくろに食べられた。

 「ブードゥーの呪い。」ダンテがそうつぶやくと、屋敷は嵐が去ったような静けさに包まれた。

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