第16話 バチルダ・グレイシー

 朝日は今日も普段と変わらず、東から顔を出し辺りを明るく照らした。次第に、人々も活動をはじめ、いつものように仕事や学校へ行く朝がやってきていた。しかし、アリー・ハーバートの朝はほかの誰よりも違う朝だった。

 昨夜からずっとまるで付き合いたてのカップルのように夜遅くまでサマンサと、メールのやり取りをしていたせいか、いつもより眠気を感じている朝であった。アリーはいつものように、起きて下のリビングで家族と朝食のシリアルを食べ、出かける支度をし、家族に出かける挨拶をした。両親二人も何も変わらずアリーの挨拶に答えた。起きてから嵐のように去っていったアリーの部屋の机には、アリーがいつも持ち歩いているおばあちゃんからもらったお守りが、静かに置かれていた。

 家を出たアリーは、ヴァンシー夫人に電話をかけた。いつも呼び出し音がアリーの心音を大きくさせていた。呼び出し音が途中で途切れ、ヴァンシー夫人が電話に出た。

 「こんにちは、アリー・ハーバートです。」アリーはいつものように元気な声だった。

 「アリーさん。どうされました。」明らかに電話の奥で何か作業をしている音が聞こえていた。

 「今大丈夫ですか?」

 「ええ、ところで何時ごろお越しになるの?」明らかに大丈夫ではない大きな物音が電話の後ろから聞こえていた。

 「今から伺おうと思ったのですが・・・」

 「あら、ずいぶんとお早いのね。」ヴァンシー夫人の声が急に高くなった。

 「あの、お時間ずらしましょうか?」

 「いえ、心配なさらないで。わかりましたわ。お待ちしていますわね。」そう言うと、ヴァンシー夫人の方から電話が切れた。

 アリーは、とりあえず車に乗り、ヴァンシー邸へ向かった。

 道中はとても穏やかではいられなかった。アリーは運転をしながら、少しカバンの方へ視線を落とした。そこには、防犯用のスプレーが少し見えていた。正直、そんなものが効くとは思ってはいなかったが、今のアリーには、気休めでもないよりはあった方がましであった。

 グレーテンヒルの看板が見えてくると、アリーの緊張はさらにエスカレートした。しかも、今日はハロウィンな為、各住宅では思い思いのハロウィンの飾り付けが施されていた。骸骨や幽霊、蜘蛛やヘビなど普段だったら何とも思わないその飾りさえも、今日はアリーの恐怖心を煽る要因でしかなかった。

 すると突然スマートフォンの着信音が爆音で車内に響き渡った。アリーは驚きのあまり、少しハンドル操作が狂ってしまった。アリーは路肩に車を止めると、着信に応じた。

 「もしもし、ヴァンシーです。」アリーは電話の相手を知り、さらに気持ちが動揺していた。

 「どうかなさいました?」少し荒くなった呼吸を必死で抑えながら、アリーは応答した。

 「ちょっと今外に、トムじいさんがいるのよ。あなたたちを追い出した老人よ。」アリーは、鬼の形相と杖で攻撃された記憶をよぎらせていた。

 「だから、使用人が使う用の入口から入っていただけるかしら。」

 「わかりました。」アリーがそう言うと、ヴァンシー夫人からまたまた電話を切った。

 「裏口ってこと?」アリーは意味も分からず、ヴァンシー邸へと向かった。

 ヴァンシー邸の入口近くを通ると、確かに杖をついた人相が悪い老人がうろうろと徘徊していた。アリーはとりあえず屋敷の周りを走り始めた。すると屋敷の北の方角に、緑っぽい鉄のアーチがあるのが見えた。そこは特に封鎖がされているわけでもなく、簡単に入れそうに見えた。アリーはそれが逆に不審に感じていた。家を出てからアリーは、いやな予感しか抱いていなかった。

 「よし。行くわよ。」ありきたりなセリフで自分を鼓舞すると、アリーはカバンから防犯用スプレーを取り出し、ズボンの後ろのポケットへしまった。かばんは何かあった時に邪魔になると思い、スマートフォンと一緒に車で留守番をすることになった。

 入口の鉄のアーチをくぐるとすぐに目の前の扉が大きな音を立てて開いた。すると、中からヴァンシー夫人がせかせかと歩いて出てきた。

 「さぁ早く中へ入んなさい。」ヴァンシー夫人は前回あった時よりも、アリーを雑に扱っているような印象だった。アリーは、言われるがまま屋敷の中へ入った。するとヴァンシー夫人は勢いよく扉を閉めた。扉が閉まる大きな音が床を震えさせた。

 「よかったわ。」ヴァンシー夫人はほっとしているように見えた。

 「どうかなさったのですか?」

 「えっ?いやなんでもないわ。それより今日はありがとうございますね。せっかく来てくださったのにこんな感じですみませんね。」ヴァンシー夫人は明らかに何かをごまかしている様子であったが、いつものヴァンシー夫人の様子に戻ってなぜかアリーは少し安心してしまった。

 「とりあえず、ダイニングへご案内するわね。この通路を通っていけば着くわ。」そう言うと、ヴァンシー夫人は先へ進んでいった。

 「こんなところがあったんですね。」アリーはヴァンシー夫人の後を追いながら、質問をした。 

 「基本的には使用人たちの出入り口にしていたのですが、今は特に使い道がなくてこんな汚くなってしまったんですけど掃除をすればきっと大丈夫ですよ。」確かにこの通路は、ほこりと言うより白い砂ぼこりのようなものが床を埋め尽くしているようであった。

 そうこうしていると、目の前に扉が現れた。

 「ちょっと失礼するわね。」ヴァンシー夫人はそう言うと、右側の壁を触り始めた。すると扉の向こう側で、パイプオルガンの音が響き渡っているのが聞こえた。

 「このやり方は後でご説明しますわね。」ヴァンシー夫人はそう言うと、目の前の扉を開けた。扉の先には長いテーブルと、豪華な飾りが成されている椅子が並んでいた。アリーはふと後ろを振り向くと、大きなパイプオルガンがそびえていた。

 「すごい仕掛けですね。」

 「夫がこういうの好きなもので・・・こんな趣味が合う人がいらっしゃるかしら。」ヴァンシー夫人は笑いながらそう言うと、奥からカップとポットを銀のトレーに乗せて持ってきた。

 「どうぞおかけになって。」ヴァンシー夫人の優しい声掛けに、アリーは大人しく従った。アリーが座るとヴァンシー夫人は、ティーカップをアリーの目の前に置き、紅茶を注いだ。一瞬にしてダイニングは、紅茶の香りが充満した。

 「お砂糖は?」

 「一つで。」ヴァンシー夫人は、壺の中から角砂糖を一つティーカップへ入れると、ティースプーンでかき混ぜ始めた。ざらざらとした音が聞こえなくなると、ヴァンシー夫人は、ティースプーンをティーカップから抜いた。

 「ありがとうございます。」アリーはそう言うと、ティーカップをすすった。ヴァンシー夫人は、アリーと対面で座ると、自分も紅茶の準備を始めた。

 「そう言えば前回聞き忘れてしまったんですけど、なぜこの物件を売ろうと思ったんですか?」アリーは部屋を見渡しながら尋ねた。

 「どうして?」ヴァンシー夫人は、ティースプーンで砂糖をかき混ぜながらアリーを見ていた。

 「だって、こんなにすごい仕掛けもあって、それに何より旦那様との思い出がいっぱい詰まっているのに。」ヴァンシー夫人は、かき混ぜ終わったティースプーンに着いた紅茶をティーカップで落とすと、一すすりをした。

 「いい思い出ばかりじゃないのよ。」その言葉にアリーは真剣なまなざしを送った。

 「確かにこの屋敷は、いい思い出がたくさんあるけどそれ以上に、思い出したくないこともあるの。」

 「例えばどんな?」アリーの言葉にヴァンシー夫人は戸惑った。

 「ごめんなさい。ちょっと思い出したくないの。」ヴァンシー夫人は、少しうつむきながら答えた。 

 「いえ、悪い思い出の事じゃなくて、いい思い出です。旦那さんとの思い出たくさん聞きたいです。」アリーは、まるで親の馴れ初めを聞く子供のような無邪気な表情で尋ねた。

 「ごめんなさいね。ちょっとその話は控えさせてもらうわ。」

 「あ、こちらこそごめんなさい。つい好奇心で。」アリーは慌てて謝った。

 「私もあなたのことを知りたいわ。ご両親はおいくつ?」ヴァンシー夫人は、優しい笑顔で、質問をし始めた。

 「二人とも五十です。」アリーは急に両親の質問に戸惑いながらも答えた。

 「あら、結構後のお子さんなのね。ご兄弟はいるのかしら。」いたって普通の質問と言われればそれまでだったが、アリーはないが狙いなのかわからず、躊躇しながらも答えた。

 「いえ、一人っ子です。ただ元々私の前に二人いたらいいのですが、どちらもダメだったようで・・・」 

 「あら、さぞお辛かったでしょうね。」ヴァンシー夫人は悲しい顔をした。

 「お子さんは?」アリーもどうにか自分のペースに戻そうと、質問を返した。

 「いないわ。お互い忙しくてそれどころではなかったの。」ヴァンシー夫人がそう言うと、二人ともティーカップを手に持つと、勢いよく紅茶を飲み干した。

 「さて、そろそろ前回ご案内できなかった二階をご案内しようかしら。」

 「あ、そうですね。」アリーはそう言うと、慌ててカップを銀のトレーに置いた。

 「そのままで結構ですわよ。あとでやりますから。」ヴァンシー夫人はそう言うと、ダイニングの外へ向かった。アリーもヴァンシー夫人の後をついていく前に、パイプオルガンの方に視線を向けた。

 「これこの前あったっけ?」アリーは、パイプオルガンに近づいてみると、鍵盤のすぐ横に額に入れられた一枚のスナップ写真を見つけた。そこには、トーマス・ヴァンシーとヴァネッサ・ヴァンシーが笑顔で寄り添っている写真だった。

 「何を見ているのかしら?」背後からヴァンシー夫人が、尋ねた。

 「この写真のこの人って旦那さんですか?」アリーは、トーマス・ヴァンシーを指で示しながら尋ねた。すると、ヴァンシー夫人は一瞬目を見開くと、アリーから写真を奪った。

 「もう私の話はいいので、二階へご案内しますわ。」ヴァンシー夫人はとうとう声を荒げた。アリーは少し刺激しすぎたと思い、しばらくは様子を見ることにし、大人しく二階へ向かうヴァンシー夫人の後をついていった。

 ダイニングを出ると、ヴァンシー夫人は急に立ち止まった。

 「どうしましたか?」アリーは、不思議そうな顔をした。

 「少々お待ちくださる?」ヴァンシー夫人はそう言うと、急に廊下に飾られていた、写真を片っ端から下へ向け始めた。アリーはその行動を見ながら、そもそもこの前来た時、そんなに写真があった記憶をたどっていた。

 「これでいいですわね。さぁ行きましょうか。」ヴァンシー夫人は少し息が上がった状態で戻ってきた。おそらく二階まで写真の確認をしに行ったのであろうと、アリーは察した。

 あちらこちらにある写真の額が、まるで頭を下げているかのように、下に向けられていた。そんな異様な光景を眺めながら、歩いていると再び、ヴァンシー夫人が足を止めた。アリーは急に足を止められず、勢いでヴァンシー夫人にぶつかってしまった。

 「すいません。」アリーは咄嗟に謝ったが、ヴァンシー夫人はそれに答えることなく、写真を手に取ると、周りを見渡していた。

 「どうしたんですか?」アリーはそう言いながらもヴァンシー夫人の後ろから前方をのぞいてみると、大広間の階段に写真が不自然な状態で置かれていた。さすがのアリーもその不自然さから、周りを見渡した。

 「ちょっと誰の仕業よ。出て来なさいよ。」ヴァンシー夫人は、取り乱したように辺りに呼び掛け始めた。

 「ヴァンシーさん少し落ち着いてください。」アリーがそういうと、ヴァンシー夫人は急に動きがを止めた。

 「あなた、さっきからおかしいと思っていたけど何か企んでいるんでしょ。」ヴァンシー夫人は、アリーを指さしながら詰め寄った。

 「あんた内見をしに来たんじゃないね。何しに来たのよ。」ヴァンシー夫人は急に、態度を変えてきた。アリーはごまかす選択肢もあったが、いずれバレる嘘をつき続けるのはもう限界だった。

 「私は、真実を知るために来ました。」

 「真実?なんの真実よ。」

 「三十年前のあの事件です。」アリーは、一歩も後ずさることなくヴァンシー夫人に対抗していた。

 「そんなことわかっていたら、私だってとっくに警察に話して迷宮入りなんてしなかったわよ。」ヴァンシー夫人は呆れたような口調で答えた。

 「でしたら、教えてください。写真に写っているその女性は誰ですか?」

 「誰って私よ。ヴァネッサ・ヴァンシーよ。」ヴァンシー夫人は自信たっぷりに答えた。

 「その写真に写っている女性がヴァネッサ・ヴァンシーなら、あなたは誰なんですか?」ヴァンシー夫人は、手に持っている写真を見た。

 「何が言いたいの?」ヴァンシー夫人の目は、鋭くアリーに向けられていた。しかし、アリーはそれに屈することなく、まっすぐヴァンシー夫人を見ていた。すると、その態度に動揺しているはずのヴァンシー夫人が、急に高笑いをし始めると、手に持っていた写真を叩き落とした。写真は割れ、額縁は、バラバラになってしまった。

 「あんたここへ来る前にずいぶん調べたようね。」そう言うと、ヴァンシー夫人の目の色が黄色く変化した。

 「そうよ。私はヴァネッサ・ヴァンシーなんかじゃない。バチルダ・グレイシーよ。」バチルダはそう言うと、上品にお辞儀をした。

 アリーは、人間の目の色が変わるというあり得ないものを見て、少し恐怖心が芽生えていた。

 「やっぱりあなたはトーマス・ヴァンシーの元恋人のバチルダだったのね。」

 「あら、ずいぶんとよく知っているじゃない?どこまで知っているのかしら?」バチルダは、アリーの前をうろうろしていた。

 「どうしてヴァンシー夫人を名乗っていたのですか?」アリーは少し強い口調で問いただした。

 「だって、バチルダ・グレイシーは死んだことになっていたんだもの。死人が生きてたら怖いでしょ?」バチルダはアリーを煽るような口調で答えた。

 「なぜ私を?」アリーは実は一番に聞きたかったことを尋ねた。

 「それは栄気をいただくには絶好のカモだったからよ。」

 「栄気?」アリーは聞きなれない単語であった。

 「私、不老不死になるの失敗しちゃったから栄気がないと歳とっちゃうわけ。でも栄気を吸うにしても守護霊がいると、邪魔されて吸えないのよ。」

 「でも、私の守護霊がいなかったのは、お守りを持っていたからですよね?今はもう栄気を吸えないはずですよ。」アリーは自信をもって言い切った。

 「確かにお守りの影響はないみたいだけど、あなたの守護霊は少し特殊みたいね。」

 「特殊?」アリーは吐息のようにつぶやいた。

 「まぁ私にもよくわからないけど、とにかくあなたの体の中に入って栄気を頂く事は今も変わらず可能ってことね。」バチルダがそう言うと、黄色い二つの瞳が光を放っているように見えた。アリーはその瞳に魅了されているかのように見つめていると、だんだんと意識が遠くなっていった。アリーはそのまま意識を失った

 

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