第13話 相棒

 パトリックとアリーは、連絡があった、警察署近くの動物病院の入口にいた。中に入ると、消毒液の刺激臭が二人の鼻を襲った。

 「すいません。マックスっていうシェパードは、どこですか?」パトリックは病院の受付に体当たりする勢いで看護師に尋ねると、看護師は少し動揺しながらも冷静に、

 「お調べします。」と言い、受付にあったパソコンのキーボードを軽快にたたき始めた。アリーはこの動物病院の大きさに驚きながらも辺りを見回すと、多くの患者と思われる動物は、シェパードをはじめ、ゴールデンレトリーバーや麻薬探知犬でおなじみのビーグルなど警察機関にかかわりのある犬種が多いことに気が付いた。どこかはわからないが、あちらこちらから犬の悲痛の遠吠えが聞こえてきた。

 すると、一人の男性が現れた。

 「パトリックさん。」パトリックは声のする方を振り向くと、鬼の形相で男性に向っていった。

 「マックスは?」よく見ると、男性は眼を真っ赤に腫らしていた。アリーは、受付の看護師に、

「すいません大丈夫でした。ありがとうございます。」と言うと、パトリックの後を追った。アリーがパトリックに近づくと、男性が下を向き、泣きながら首を横に振ったのが見えた。その瞬間、パトリックは全身の力が抜け、アリーは手で込み上げてくる感情を抑えた。

「会ってやってください。」男性がそう言ったが、パトリックはその場から動くことが出来ずにいた。アリーは少し鼻をすすると、パトリックの両肩に手を優しく添えた。パトリックは光を失った目でアリーを少し見ると、正気を取り戻したように歩き始めた。

 マックスがいる部屋までの道のり、パトリックはなぜこんなことになってしまったのかという疑問と、現実逃避を繰り返していた。しばらくすると、先導していた男性が立ち止まった。部屋までの道のりは思っていた以上に短く、気持ちの整理をつけるには足りなさすぎた。

 閉ざされた部屋の扉の横には、マックスと書かれていた。パトリックはその文字を少し眺め、深い深呼吸をすると部屋の扉の取手に手を伸ばし、ゆっくりと開けた。

 すると部屋の真ん中にベッドのような台の上にタオルがたくさん置かれ、何かを包んでいた。その台は柵で囲まれており近づくまで何があるのかよく見なかった。どこよりも真っ白い部屋の周りには、すでに仕事を終えている心電図なのどの器具たちが置かれていた。台の周りには、女性の獣医と看護師が三名おり、パトリックをそっと見守っているようであった。そして、マックスとペアを組んでいた捜査官が、優しい顔で台の上にある何かをさすっているようであった。

 パトリックは一歩ずつ近づいていった。そして台のそばまで行くと、見慣れた焦げ茶色の毛が見えてきた。パトリックはマックスの亡骸を見ると、マックスのおなかの部分に顔を伏せた。捜査官はその様子を見て、静かに部屋の出口へ向かった。

「あの・・・」外にいたアリーが捜査官を止めた。捜査官は見慣れない女性に止められ、少し困惑した。

「すいません。私、パトリックさんの知り合いなのですが、何があったのか教えてもらえないですか?」アリーは、あまりパトリックの耳に入らないように小声で尋ねた。捜査官は、少し会釈をすると、部屋の中を少し見て静かに語り始めた。

「今朝、いつもは起きているはずのマックスが、なかなか起きてこないので様子を見に行ったらもう既に意識がなくて、」捜査官は途中でうつむいてしまった。アリーはその様子を見て、静かに会釈をした。すると、捜査官は再び顔を上げると、アリーを見た。

「もしよろしければ、あなたも会ってやってください。」捜査官はそう言うと、部屋を後にした。アリーは、こういった死に目と言うものが苦手であった。今までもそういった場面や、葬式は逃げてきていた。しかし、今回はアリーの中で一日しか会ったことがないはずのマックスの記憶が、頭の中でいっぱいになっていた。アリーは、自分でも不思議なくらいスムーズに部屋へ入り、マックスの元へ向かった。

 マックスを抱きかかえるように泣き続けるパトリックに寄り添うように、アリーはパトリックの隣に座り、マックスの亡骸を見つめた。全く動かないマックスの表情はどこか安らかに見え、アリーの記憶の中にいる笑顔のように舌を出しているマックスそのものの顔に見えた。

「ほら、見てください。マックスもあなたが来てくれて喜んでいるように見えませんか?」アリーは少し明るくパトリックに話しかけた。するとパトリックは顔を上げ、涙をぬぐった。

「私が悪いんです。昨日、こいつの異変に気付いていれば・・・事件のことで頭がいっぱいで・・・。」パトリックは再び泣き崩れた。

「あなたのせいじゃないです。さっきの人は、今朝起きたらすでに意識がなかったって。」

「でも、マックスは疲労の蓄積と加齢でいわゆる過労死なんです。」どうやら、獣医がパトリックに余計なことを言ったようだとアリーは察した。しばらくパトリックの鼻をすする音が定期的に聞こえていた。

「どんな子だったんですか?」アリーの問いかけにパトリックは少し情けない声を出した。そしてやっとマックスの亡骸を直視すると、涙は浮かべたまま、話始めた。

「多分、こいつ仕事が好きだったと思うんです。毎日の訓練はそこまでやる気を見せないくせに、仕事になると途端に張り切って尻尾振ってるんですよ。」パトリックの表情が段々と柔らかくなっていった。

「そういえば、こいつ引退が決まった日に脱走したんですよ。しかも、昨日だって自分も一仕事終えたっていうのに、現場に連れて行けって顔するんですよ。馬鹿ですよね。この犬。警察犬って選ばれた賢い犬しかなれないはずなのに、自分の体力も分からない馬鹿犬なんですよこいつ。」パトリックは再び声が震え始めた。部屋の外でもパトリックの言葉を男性と捜査官も、目に涙を浮かべながら聞いていた。

「そうだったんですか?」

「いや、あいつと現場行ったときだけですよ。マックスが尻尾振っていたのは。」男性の言葉に、捜査官は笑いながら鼻をすすった。

「なんかトレーナーとしては嫉妬しちゃいますね。」トレーナーがそう言うと、捜査官はトレーナーに缶コーヒーを手渡した。トレーナーは涙を手で拭くと、缶コーヒーを受け取った。二人はそれぞれ缶コーヒーのふたを開けた。中の空気が抜ける音が鳴ると、コーヒー豆の香ばしい香りが漂い始めた。

「マックスに。」

「ああ。」捜査官が缶を差し出すと、トレーナーは優しく自分の缶をぶつけた。二人がのどの音を鳴らしながら、コーヒーを飲んでいると、一人の少し太めの年配看護師が二人に近づいてきた。

「ここ、飲食禁止。」看護師はそう一言告げると、去っていった。

 すると、部屋の扉が開いた。二人は急いで缶コーヒーを体の後ろに隠した。

「そろそろ、お時間ですので最後のお別れを。」女性獣医がそう言うと、二人も再びマックスの近くに寄った。四人はそれぞれマックスの体を一撫でずつすると、マックスから離れた。すると、マックスの亡骸はタオルにくるまれ、台ごとどこかへ運ばれていった。

「相棒、先に行っててくれ。」パトリックのそのつぶやく声は、誰にも聞こえていなかった。

マックスを見送った四人は、医療関係者にお礼を述べると病院を後にした。

「今日はお見苦しいところを見せてしまってすいませんでした。」アリーを会社まで送る道中のパトリックの車の中は、変な静けさが漂っていた。

「いえ、こちらこそなんか着いてきてしまってすいませんでした。」二人の謝罪合戦はしばらく続いた。

「特に関わりない犬だったのに、ほんとすいません。」

「いや、とても犬と人間とは思えない関係値だったので・・・逆になんか出しゃばってしまってすいませんでした。」

「いえ、逆に気持ちの整理がきちんとできて、ああいった形で見送れたので良かったです。」パトリックの顔は少しスッキリした表情に見えた。

「それにしても、本当にマックスとはいい関係だったんですね。犬とか飼わないんですか?私なんてすぐ動物に嫌われるからうらやましいです。」アリーは、ちょっとした気まずさから、話が止まらなかった。するとパトリックが、話を遮るように話し始めた。

「私も、昔はそうでしたよ。」アリーはまっすぐ前を見ているパトリックの表情を見なくても、表情が曇っていることは安易に想像ができた。

「実は犬八匹くらい飼ったことがあって、どいつもこいつも懐かなかったんですよ。でも、最後に飼った柴犬だけは違くて、やっぱり外国種だからかと思っていたんですよ。」パトリックの表情は、また笑顔に戻った。

「よく自転車にリードをつないで坂道降りて肉球が真っ白になってたこともあったし、笛吹きゃどこ行っても戻ってくるし、自転車のかごがお気に入りの場所だったっけなぁ。疲れてたからかもだけど。」パトリックの顔は、少年のように無邪気な笑顔だった。しかし、パトリックの表情の大気は不安定だった。

「でもある日、私が川でおぼれたとき、それを助けて流されてしまって・・・初めてペットの死を見た日でした。」

「え?でもその前は?」

「前は、基本あげていたから死んだことすら知らないんですよ。」車が赤信号になり、ゆっくりと停まった。

「もう二度とあんな思いはしたくなくて、それでペットを飼うのはやめようと決めたんですよ。」

「すいません。また、重い話をさせてしまって。」アリーは少し頭を下げながら謝った。

「いやこちらこそ、なんかそういう暗い話題しか持っていなくてすいません。」再び謝罪合戦が始まりそうになったが、信号が青に変わり車が再び走り始めたと同時に、沈黙も再び始まった。すると、パトリックは何かを思い出したかのように、顔を上げた。

「そういえば、その日からです。動物に懐かれるようになったのは。」アリーも自分の質問の答えなのにも関わらず、不思議な顔をした。しかし、前を見ているパトリックにはその表情は見えず、独走し続けた。

「さっきのミスタージェイルの話で思ったんです。私の守護霊はその子なんじゃないかって。」せっかくアリーの中で、前半の整理がついたのに、再び難しい話をされ、アリーは考えるのをあきらめた。

 しばらく車内はエンジン音と、すれ違う車の音だけが響いていた。アリーもパトリックにかける言葉が見つからずにいた。

「そういえば、仕事場は大丈夫なのですか?かなり長いこと留守にしていますし、心配なさっているのでは?」パトリックの急な声掛けに、アリーは少し飛び上がった。

「確かに、一人すごく心配性な後輩がいるんですよ。この前ヴァンシー邸に行ったときもすごく心配してくれて・・・」アリーは、そう言いながら、ミスタージェイルの守護霊の話が頭をよぎっていた。

「へぇ、素敵な後輩さんですね。」今のパトリックには、たわいのない会話こそが、精神安定剤であった。

「まぁそうですね。まさかまたヴァンシー邸へ行くなんて口が裂けても言えないです。」アリーの言葉にパトリックは眉間にしわを寄せた。

「ちょっと待って下さい。また、ヴァンシー邸に行くご予定があるのですか?」パトリックの追及に、アリーはうつむいた。

「いつですか?」

「明日です。」アリーは、小さな声でつぶやいた。

「なぜ今の今まで言わなかったのですか?」パトリックの質問にアリーは答えなかった。

「まだあなたは信じていないのですね。」パトリックは静かにアリーに問いかけた。

「あなたはまだ、あの物件を売るつもりですか?あなたはまだ、あのヴァンシー夫人を名乗るあの貴婦人を信用するのですか。」パトリックの言葉にアリーは顔を上げた。

「違います。確かにこの約束を取り付けたときはヴァンシー夫人を信用していましたし、物件を売るつもりでいました。」運転中のパトリックをアリーはまっすぐと見ていた。

「でも今は違います。真実を知りたいんです。」そんな話をしている最中に、パトリックの車は、アリーの仕事場の駐車場にたどり着いていた。アリーは車の扉に手をかけた。

「私、ヴァンシー夫人の旦那さんへの愛のためにもこの事件の真実を突き止めないといけない気がするんです。」そう言うとアリーは扉を開け、車から降りた。

「アリーさん。」扉を閉める寸前でパトリックに呼び止められたアリーが、振り向くと、姿勢をかなり低くしながらこちらを見るパトリックがギリギリ見えた。

「お気をつけて。」

「ありがとうございました。」アリーは一言礼を言うと、車の扉を閉めた。扉が大きな音を立てると、車はそのまま走り去っていった。アリーは、走り去る車を見ながら、パトリックの最後の一言のことを考えていた。

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