第9話 説得

 ペンシルバニア州立カルマー小学校は、すでに人だかりでごった返していた。四角い無機質な形のベージュの色をした校舎の前には、たくさんの教師や生徒たちが、上を見上げていた。普段だとこの時間は休み時間で、校庭はたくさんの生徒で埋め尽くされているはずであったが、今日は人っ子一人いなく、そよ風に押されて、ブランコが静かに揺れていた。

 「ここだ。」パトリックはそういって車を止めると、助手席に座っていたケヴィンが真っ青な顔をして、

 「あんたホントに刑事さんか?」と声をふらつかせながら言った。

 「どうしてですか?」パトリックは、状況を理解することが出来ずにいた。すると後ろいたアリーが、勢いよく車を飛び出していった。その様子をパトリックは、まるでおかしくなってしまった人を見るかのような視線で追った。

 「あんた、お世辞にも運転うまいとは言えんわ。」ケヴィンはそう言うと、おなかからこみあげてくる何かを押し戻した。すると、どこからともなく誰かの嗚咽が聞こえてきた。

 「間に合わなかったみたいだな。」ケヴィンは、どこかへ行ったアリーがいるであろう方向に視線を送りながら、同情の言葉を述べた。

 二人が車を降りると、アリーはすっきりした顔をしていた。

 「帰りは私が運転します。」アリーの一言に、パトリックは再び首を傾げた。すると、突然周りにいた人々が悲鳴に似た、騒然となる声を発した。その声に三人は、本題を思い出し校舎を見上げた。すると、校舎の屋上に一人の小学生くらいの男の子が、落ちるギリギリのところで地面を見つめながら立っている姿が見えた。三人はすぐに、野次馬をかき分けて、校舎へと向かった。

 だんだん近くなってくると、校舎から半径五十メートル手前に、黄色のテープが張られ、校舎の真下には大きなクッションが広げられていた。校舎の真下では、何人かの警察と、女性が二人と、二十人くらいの小学生たちが、上に向かって何かを訴えていた。

 「マイケル君、お願い降りてきて。」一人の女性が、大きなメガホンで上にいるマイケルに訴えた。その言葉を合図に、小学生たちが大声で名前を呼んだり、何かを誤っていたりする小学生もいた。

 その光景を三人は黄色いテープの外から見ていた。その中に一人、目を真っ赤にはらしながら、

 「お願いマイケル。私を一人にしないで。」と叫んでいる女性に、パトリックは見覚えがあった。

 「あの人がお母さんかしら。」アリーが心配そうなまなざしで女性を見つめていた。

 「彼女はベイリー・カーペック。マイケル・カーペックの年が離れた姉だ。」パトリックのまるですでに知っていたかのような口ぶりに、アリーはパトリックに対して、変な疑念を抱いた。

 「彼らの母親は先週殺害され、父親はその犯人を殺し、服役中だ。」アリーは、パトリックの彼らの知識の豊富さの謎が解けた。

 「なるほどな。」ケヴィンは、校舎の周りの様子を観察しながら言うと、校庭の方角へと向かった。

 「ちょっとどこへ行くんですか?」アリーはケヴィンがよからぬ行動をするのではないかと思い、制止した。

 「こういうときって警察はあの子が落ちるまで下にいるの?」ケヴィンはパトリックに対し、皮肉のように言った。

 「もちろん、そういうつもりではないですが、下手に近づいてしまうと、当事者を刺激してしまうので、説得によってどうにか思いとどまらせる作戦かと。」パトリックは、マニュアルのように、今の状況を説明した。すると、ケヴィンは屋上で風にあおられているマイケルを見た。

 「あの子、自殺する気なんてないと思うよ。」ケヴィンの視線はマイケルの目をしっかりととらえていた。

 「じゃあ、なぜ?」

 「こうなっちゃったら、後に引けないだろ。」ケヴィンは、辺りにいる警察や小学校の生徒たち、そして全く関係ない野次馬たちを手で示しながら呆れた口調で言った。

 「でも、そうだとしたらなぜあんなところに?自殺しようとしている人のこと、あまり軽く見ない方がいいですよ。」アリーの、少し強めの反論を遮るようにケヴィンが続けた。

 「どちらにしても、誰かが屋上に行っても、飛び降りるような真似はしないってことよ。」ケヴィンは自信満々だった。

 「わかりました。あなたがどのような根拠でそう言っているかわかりませんが、状況が平行線であることは事実なので、今から校舎に侵入します。」パトリックは、周りの人々に聞こえないように、声のトーンを落とした。

 「もしよろしかったら、二人も協力してはいただけないですか?」

 「ちょっと待って。この人は言い出しっぺだから連れて行って当然だけど、私が行って何か役に立ちますか?」パトリックの協力の呼びかけに、アリーは少し心配そうに尋ねた。 

 「女性が一人でもいるだけで、安心するので。いるだけでいいのでお願いします。」パトリックの返答に、アリーは恥ずかしそうに髪の毛をいじった。そんなやり取りをしている間に、ケヴィンはすでに校庭側から校舎へ入ろうとしていた。

 「ちょっと、見つかったら私が困るんで慎重にお願いしますよ。」パトリックは声のトーンをおさえているつもりで、ケヴィンに呼び掛けた。

 ターゲットが屋上で、姿が見える状態のせいか、みんなそっちにくぎ付けで、三人はあっさり校舎の中へ侵入することができ、早速屋上へ向かった。

 「その階段からは、屋上に行けないよ。」入ってすぐの階段を昇ろうとしているパトリックに対して、ケヴィンは幼児に対して接しているような口調で述べた。

 「なんでそんなことを?」アリーは、すべてのケヴィンの行動を疑っているようであった。

 「ここの卒業生だから。」ケヴィンのそっけない返答に、アリーは何も言えなかった。パトリックは、その会話をしている最中に、すでにもう一個の階段を昇りはじめていた。

 屋上へたどり着くと、パトリックはひとまず、屋上の扉からマイケルの様子をうかがっていた。確かに後ろ姿からは、死への恐怖しか感じられなかった。だが、場所が場所のため、下手に動いてしまうと、足を踏み外して落ちてしまう可能性もあった。

 「皆さん。とにかくマイケルを落ち着かせてください。くれぐれも興奮させるような言動は慎んでくださいね。」パトリックの言葉にアリーは、ケヴィンに視線を向けた。しかし、ケヴィンは見向きもせずに外へ向かうパトリックについていった。

 外へ出ると、五階建ての校舎の屋上というのもあって、風が地上に比べると強く感じた。その数メートル離れたところで、マイケルは下を見下ろしながら校舎の縁に立っていた。ケヴィンとアリーは、パトリックのファーストコンタクトに注目していた。

 「やぁ、マイケル。僕はパトリックだ。」あまりにも唐突な声掛けに、二人は唖然としていた。しかし、マイケルの方は少し冷静に見えた。

 「だれ?」震えるような弱弱しい声は、風の音でかき消された。

 「君は一人じゃない。君を助けたいんだ。こんなことはもうやめてくれ。」素人目で見ても、彼の説得は驚くほど下手くそであるということが、アリーでも理解できた。

 「うるさい。こっちに来るな。」マイケルは、小さいが力強い声でパトリックをけん制した。

 「何があったんだい。こっちへ来て話してくれないかい?」パトリックはあきらめず、下手なりに、マイケルの心へ訴えかけた。

 「みんな僕が嫌いなんだ。僕なんていなくなった方がいいんだ。」再びマイケルの声は、風で掻き消えてしまった。

 「マイケル君。お姉さんや先生、クラスメイトのみんなだって心配してるよ。」アリーが精いっぱいの優しい声でマイケルに訴えかけた。

 「嘘だ。僕はこの世に生まれちゃいけなかったんだ。」風が、マイケルの後押しをするように、少し強くなった。マイケルは彼らに自分の思いをぶつけることで、自分の気持ちが明確になってしまった。

 「そう思う理由を教えてくれなきゃ、僕たちは君を助けられないじゃないか。」パトリックの言動から焦りが見えた。

 「いいよ。もう死ぬから。」マイケルは、今までの雰囲気とはすっかり変わり、不気味なほど落ち着いた口調になった。パトリックはいやな未来がよぎり、マイケルに近づこうとしたとき、ケヴィンが後ろからマイケルへ向けて呼びかけた。

 「じゃあ、冥土の土産と言ったらなんだが俺の話を聞いてくれないか?」ケヴィンの言葉にマイケルは、少し戸惑いを見せた。

 「何?話聞くのもダメか?」マイケルは黙ったまま下を向いた。

 「別に飛び降りるなんて俺の話を聞いてからでもいいじゃんか。」そう言うと、ケヴィンは、マイケルの反応をうかがうことなく、話始めた。

 「俺、実は三十年前に両親二人なくしてんだよ。」今の発言にマイケルだけでなく、アリーとパトリックもハトが豆鉄砲を食らったような表情をした。

 「親父は自殺、お袋は正直死んでんのかすらわかんねぇけど、今まで帰ってこないんだから死んでんだろうな。」ケヴィンは、内容とは真逆のテンションで話を進めていた。

 「お父さんはなんで?」なぜかアリーが、突発的に質問をした。それに対して、ケヴィンも今まで通りのテンションと口調で答えた。

 「親父はある事件の容疑者にされて、獄中で死んでいたらしい。」今まで下を向いていたマイケルが、勢いよく顔を上げると、不安そうな顔をしていた。

 「そんなことがあってから俺は、犯罪者の息子というレッテルを張られ、仕事は激減したし、周りからの目も気になるようになった。」パトリックは、知っていた内容とは言え、資料で読む情報と当人から聞くリアルな声では、受ける感情がだいぶ変わっているのを感じていた。そして、彼がなぜ協力を引き受けたのかが、パトリックの中で腑に落ちていた。ケヴィンはさらに話をつづけた。

 「それから俺は、そのレッテルを払うために、必死で親父の無実を証明しようと一人で戦ってきた。」ケヴィンの声が段々と落ち着いた声に変化していった。それにつられるように、マイケルもケヴィンの話を食い入るように聞いていた。

 「そう考えると一人っ子って楽だと思っていたけど、寂しいっちゃさみしいなぁ。」すると突然、校舎の縁の段差から降り、ケヴィンの元へ近寄りながら、質問をケヴィンへ投げかけた。

 「友達はみんな僕のことを人殺しの子供だから未来の人殺しって言うけど、人殺しの子供って人殺しなんですか?」パトリックもアリーも、マイケルの行動には安心できたものの、質問に対しては顔を曇らせ、ケヴィンに結論を委ねた。ケヴィンは今自分の元へたどり着いた小さな少年に目線を合わせると、静かに続けた。

 「残念ながら、犯罪者の子は、犯罪をしやすいのは事実だ。」ケヴィンの言葉に、マイケルは心配そうな顔をした。

 「僕怖いんだ。将来、僕が誰かを殺してしまうんじゃないかって。」そう言うと、マイケルは、泣き出してしまった。その幼い訴えに対して、若い二人は目を背けることしかできなかった。しかし、ケヴィンはまっすぐマイケルを見ていた。

 「なら、その気持ちを忘れちゃいけない。」マイケルは、目を真っ赤にしながら、ケヴィンに助けを請う目で見つめた。

 「確かに犯罪者の子は犯罪しやすい事実は変わらない。だがそのことを知っているだけでいい。」ケヴィンは、マイケルの目から不安の文字が消えはしなくとも少し薄くなるのを感じた。

 「それにだ。君は君だ。他人に自分の人生を決められるような人間になっちゃだめだ。君が犯罪者になりたくなかったら、ならなければいい。なりたい人間になれ。」

 「なりたい人間になれ、ねぇ。」ケヴィンの言葉に、アリーは静かにつぶやいた言葉は、風と共に、誰の耳に入ることはなかった。すると、マイケルが震える声で、

 「じゃあ、警察官にも?」と言うと、ケヴィンは少し顔を曇らせた。

 「あまりお勧めはしないけどな。君がなりたいのであれば、なればいい。」その言葉に、マイケルはやっと少年らしい無邪気な笑顔を見せた。

 「もし、警察官になるならあそこにいるお兄さんみたいな警察官になるんだぞ。」ケヴィンはそう言いながら、パトリックをまっすぐ指さした。その言葉にマイケルも大きくうなずいた。パトリックは少し恥ずかしさと、ケヴィンに認められたことへの喜びが混じって、変なテンションになっていた。

 すると、マイケルがいなくなったことで、下がさらに騒がしくなっていた。

 「おじさんたちそろそろ帰るからなんかあったら一人で悩んでないで、ちゃんとおねぇさんとかに相談するんだぞ。」ケヴィンがそう言うと、便乗するようにパトリックも、

 「もし、おねぇさんとかに言いにくいことがあったら、警察署に来てくれたら何でも相談にのるからね。」と言うと、さらにアリーも、

 「もし、警察署に行きたくなかったら、T&Gグッティングカンパニーに来てくれたら、私とか変な面白いお兄さんお姉さんがいるから、遊びにおいでね。」と優しい笑顔を向けた。その時アリーはふと、アンディとサマンサを思い出した。

 マイケルは一気に人気者になって、少しご機嫌になった様子だった。その後マイケルは無事保護され、三人は誰にも気づかれずに校舎から出ることが出来た。

 「ありがとうございました。お二人がいなかったら、失敗していました。ほんとに駄目ですよね。」アリーの運転する車に揺られながら、後部座席に座っているパトリックが、静かに礼を述べていた。

 「いえ、私は何も。」アリーはそれ以上のかける言葉が見つからなかった。するとケヴィンがバックミラーを少し動かし、パトリックに目線を合わせた。

 「いや、君は未熟かもしれないが、あの中では一番マシだと思うけどね。」

 「なんでですか?」パトリックが弱弱しく答えた。

 「だってあれだけいて、事態を良くも悪くも動かせたのは君だけだ。あとのくずどもは、責任を取りたくないだのなんだので、行動しようとしなかった。だろ?」ケヴィンは、隣で運転しているアリーに同意を求めた。

 「確かに。」アリーも初めてパトリックをいい評価しているようであった。するとパトリックは、少し笑顔を浮かべながら、

 「バックミラーをむやみに動かしちゃだめですよ。」と言うと、

 「うるせぇなぁ、非番刑事が。」とこれまた笑いながら答えた。その光景を、アリーは目で見ることはできないながらもほほえましく思っていた。

 「でもあの話は、僕には真似できないです。」パトリックの言葉に、ケヴィンも少し嬉しそうな表情を浮かべていた。

 「お父様の無実、晴らせるといいですね。」アリーも少しだけ、笑顔を向けた。するとケヴィンの表情がまた硬くなり、険しい表情になった。

 「実は、もう無実は晴らしている。」ケヴィンの言葉に、二人の表情が固まっていた。アリーは、赤信号を確認すると、車を止め思う存分ケヴィンを見た。

 「だが、真犯人を見つけなきゃ意味がない。」

 「真犯人?」パトリックは、意外なほど進む話についていけなかった。

 「仕方ない、こうなったのも何かの縁だ。」信号はもう既に青になっていたが、アリーはまだ気づいていないようであった。

 「俺が知っていることは全部話してやる。」後続の車にクラクションを鳴らされ、アリーは慌ててアクセルを踏んだ。車は少し大きなエンジン音を立て、ケヴィンの自宅へと向かった。

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