第7話 お守り

 アリーはやきもきしながら、車を走らせていた。法定速度を30kmもオーバーしていた。しかし、アリーの頭の中はあの屋敷の内見を邪魔されたことでいっぱいになっていた。そもそも、閉鎖されていると言い出したアンディたちに対しても、怒りの火がどんどんと飛び火していき、その一件でアリーは支配されていた。事務所の駐車場に車を止めると、足早に事務所へと入っていった。

 事務所内はアリーが出かけてから、サマンサはずっとデスクでため息をつきながら、三十年前の事件を調べたり、自分の仕事を少し進めたりを繰り返していたようだった。

 「そんなに心配ならちょっと電話してみたらどうだ?」しびれを切らしたアンディが通りすがりに言った。

 「もし、内見中だったら・・・」サマンサはうつむきながら自分のスマートフォンを見つめていた。

 「でも、フィリップが言ってるならなんか起きてる可能性は高いぞ。」アンディがそう言うと、事務所の扉が勢いよく開いた。

 「ただいま戻りました。」アリーの無機質な声が事務所に響き渡った。アリーは、歩いているとは思えない勢いで、自分のデスクへ向かっていた。すると、急にアリーの前にサマンサが飛び出してきた。

 「アリーさん、無事でよかったです。」涙を流したサマンサはそういうと、アリーに抱きついた。しかし、ストレスレベルマックス状態のアリーには、不快でしかなく勢いよくサマンサを払いのけた。

 「ごめん、今忙しくて。先方に謝りの電話を入れなくちゃいけないから。」そういうとアリーは事務所の奥へ向かった。払われたサマンサは、どんな態度でもアリーが無事であったことにほっとしたのか膝から崩れ落ちた。

 「おうおうおう。身削りすぎ。」アンディはそう言いながら、サマンサを支えた。かろうじでサマンサは立ち上がると、デスクに座り事務所の奥へ向かったアリーを気にしながら、仕事を進めた。

 「なぁ。ちゃんと話したら?」しかし、サマンサはアンディの提案に返答すらしなかった。

 アリーは、呼び出し時間ががいつもより長く感じていた。勝手に帰ったことで、ヴァンシー夫人を怒らせてしまってはいないか。アリーは人生で初めて人に気を使っていた。すると、電話の呼び出し音が途中で切れ、女性の声が聞こえた。

 「恐れ入ります、先ほど伺った、アリー・ハーバートです。」

 「あー、アリーさん、今どちらにいらっしゃるのかしら?」ヴァンシー夫人の優しく親しみやすい声に、アリーは少し安堵した。

 「それが、よくわからないご老人に追い出されてしまいまして。」アリーは、少し困ったトーンを装った。

 「あら、トムじいさんね。近所の変わったおじさんなんです。困ったもんですわね。」ヴァンシー夫人は、言葉に似合わず、陽気さのある声で答えた。アリーはその雰囲気に甘え、再び内見の申し込みをすることにした。

 「もしよろしければ、また日を改めて伺おうと思うのですが、よろしいでしょうか?」アリーは、恐る恐る尋ねた。

 「もちろん、それでは今週の金曜日なんていかがでしょうか?」ヴァンシー夫人はまるで、食事の約束をするかのように、日時を提案した。

 「かしこまりました。それでは、三十一日の金曜日にうかがわせていただきます。」アリーはうれしさのあまり、声が大きくなってしまった。

 「アリーさん、もし、よろしかったらあの刑事さんとご一緒にお越しになっていただけると幸いですわ。」突然の条件に、アリーは少し困惑した。

 「かしこまりました。では当日はよろしくお願いいたします。」アリーは再びもやもやしながら、電話を切った。アリーは困惑しながらも、パトリックに連絡を取らなければならなくなったため、彼の電話番号が書かれている紙を、車のごみ箱から回収しなければならないという仕事が増えてしまった。

 アリーが少し面倒そうに事務所を出る姿を、サマンサとアンディは目で追うと再びサマンサの様子がおかしくなった。

 「もうさぁ、お前が言わないなら俺が言おうか?さすがに、ハロウィンの日を提示してくるのは、訳ありとしか思えない。」

 「でも、アリーさんから負の何かがあるわけではないの。」

 「じゃあ、何?」

 「何にも。いわゆる無なの。」サマンサは不思議そうに、アンディの質問に答えた。

 「つまり、何かと何かが打ち消しあっているってことか?」アンディの分析に、サマンサは無言でうなずいた。

 「何が原因なわけ?」アンディはサマンサに問いかけたが、サマンサは何も答えなかった。しかし、アンディはまるで誰かの説明を聞いているような表情を浮かべた。

 「なるほど。」アンディはそう一言つぶやいた。

 アリーは車に乗り込むと、ごみ箱を漁った。すぐに中から、くしゃくしゃになった紙切れが出てきた。アリーは縮こまった紙を広げると、パトリックの電話番号と思われる数字の羅列が見えてきた。

「よし。」アリーは小さな声で小さくガッツポーズをしたときに、ドアの取っ手に肘を思いっきりぶつけた。しかも打ちどころが悪かったようで、変に手がしびれだした。アリーは反動で、勢いよく手を前に出した。その先のカップフォルダーには、缶コーヒーの空き缶が置いてあり、少し殴ってしまった。すると、空き缶は、鈍い音を立てカップフォルダーの中でまるで踊っているような動きを見せたとき、アリーは冷たい何かを手に感じた。空き缶だと思っていた缶の中には、まだコーヒーが少し残っており、それが勢いよく飛び出してきた。

 アリーは咄嗟に紙きれを守ったが時すでに遅く、茶色のシミが紙についてしまい、紙に書かれていた、ボールペンのインクがにじんでしまい、破れてしまった。アリーはエアコンのかびの臭いと、シートの革の臭いが入り混じった空気に少し気分が悪くなってきたため、真っ先にパトリックを呼ぶのをあきらめ、ヴァンシー夫人への言い訳を考えた。もちろん、そんなものは安易に考え付いた。しかし、やはり先方に嘘をつくことへの罪悪感は、セールスマンのプライドが許さなかった。どちらにしても、今はどうすることもできないアリーは事務所へ戻ることにした。

 事務所のデスクへ着き時計を見ると、もう間もなく退勤の時間。アリーは今日一日の出来事を、振り返りやきもきした気分で帰り支度を始めた。すると、下を向いたサマンサが静かにアリーに近づいた。アリーも気配に気づき、サマンサの様子を見たが、黙ったままだった。

「どうした?なんか用事でもあるの?」アリーは先ほどの態度には少し自覚があり、いつもより少しやさしめに尋ねた。しかし、サマンサは黙ったままだった。

「そういえば、最近ご飯行ってなかったよね?もし予定がなかったら一緒にご飯でも行く?」アリーは今日のサマンサのフォローのお礼をしようと、食事に誘った。するとサマンサは、蚊の羽音のような声で何かを言った。もちろん、アリーは聞き取れなかった。

「ごめん、もう一回言って。」アリーは、帰り支度の手を止めて耳を澄ませた。

「アリーさん、あのお守りを手放してくださいませんか?」アリーは顔色が大きく変わった。

「急に何を言い出すのかと思ったら」アリーはすぐに笑顔でごまかした。

「またスピリチュアル的な奴?」そう言いながら、逃げるようにアリーは荷物を持った。

「あなたの守護霊とそのお守りの相性が悪くて、負の効果が強くなっています。」サマンサは。アリーを呼び止めるような声で言った。

「ごめん、さっきも言ったけど、これは私の祖母がくれた大事なお守りだし、こういうの捨てると悪いことが起きそうだからやめておくね。」アリーの口調が徐々にきつくなっていった。

「だったらせめて、あの屋敷へ行くのをやめていただけないでしょうか?」よく見ると、サマンサの体が小刻みに震えているようであった。しかし、今のアリーには、それに気づくことができなかった。

「今日のあなた少しおかしいわよ?いつもにも増して。」アリーは呆れたように言い放った。

「あなたがスピリチュアルの話をしても別に人のことに口出ししてこなかったから何も言わなかったけど、口出してくるならやめてもらえるかしら。別に、私そういうの信じてないから。」アリーはそういうと、事務所の出口へ向かった。

 アリーが出口の扉の取っ手に手をかける直前に、何かがアリーの行く手を阻んだ。目の前には、右上がホチキスで止められている何かの資料のようであった。それを差し出す手の主は、アンディだった。アリーは顔で、訴えた。

「お前が信じる信じないは自由だけど、あいつの言葉にも耳を傾けてほしい。」アンディは、消衰しきっているサマンサを見ながらさらに続けた。

「あの子が嘘を言わないことぐらいわかっているだろ?それに、あの子が一番お前に嫌われたくないと思っていることも。」

「そうだった。あんたもあの子と同じ人種だったわね。」アリーは、ため息をつくように嫌味を言い放つと、アンディはさらに強く資料を突き出した。

「俺とチャッピーは何もお前を止めようとは思わないけど、無知は罪っていうだろ。」アンディの言葉に、アリーは燃えていた炎が一瞬で小さくなるように、少し冷静さを取り戻していた。アリーはサマンサへ視線を向けると、サマンサは魂が抜けたようにデスクに座っていた。さすがに、その姿を見たアリーは、資料を手に取った。

「わかったわよ。」そういうとアリーは、事務所を出た。

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