第6話 初出勤
マックスを警察署へ送ったパトリックは、サムソン刑事が待ついつものバーに向かっていた。その道中のパトリックの心境は、穏やかではなかった。彼は、さっきの一件でマックスと別れたあと少し30年前の事件について調べていた。いつもの警察署からバーまでの道が、真っ暗な一本道をたった一人で孤独に歩き進んでいる気分でだった。それほど、30年前の事件にパトリックは憑りつかれ、帰り際にマックスの鼻が乾いていたことに気づくことができていなかった。
角を曲がるといつものバーの看板のネオンの光がパトリックを照らした。その紫色の怪しい光を浴びて、ようやくパトリックは目的地に着いたこと知った。パトリックが入口の扉を開けると、ドアの上についているベルが音を立て、パトリックの入店を店主に知らせた。
「おう、やっと来たみたいだな。サムソンさんならいつもの席にいるよ。」店主はそう言いながら、コップを渡した。
「どうも。」パトリックはどこか上の空で答えた。
「なんだかうかねぇ顔してるなぁ。なんか嫌なことでもあったのかい?」店主はすぐに見抜いていた。
「いや。」パトリックはふと正気に戻った。
「マスター、オニオンリングお願いするよ。」パトリックは4年間通っていて、初めて自分でオーダーをした。
「良いけど、サムソンさんかれこれ4回くらい追加してるけど?」店主は、パトリックの慣れない行動に違和感を覚えていた。だが、パトリックは急激な緊張から解放されたから、はたまたその逆の理由で、無性に揚げ物が食べたい気分であった。
「大丈夫です。お願いします。」パトリックがそういうと、店主も特に詮索せず、
「じゃあ一皿おごりね。」というと、奥の厨房へと向かった。ふと周りを見たがお客は、サムソン刑事とパトリックしかいなかった。
「あざす。」パトリックは一言お礼を言うと、サムソン刑事がいるいつもの奥の席へと向かった。
いつもの席のテーブルには、少し大きめのウィスキーのボトルと飲みかけのグラスに、揚げ物の衣のカスが散乱している皿が4枚あった。そしていつもの配置ですでに出来上がったサムソン刑事が座っていた。
「遅くなってすいませんサムソンさん。」パトリックはそう言いながら、サムソン刑事のグラスにウィスキーを足してから、自分のグラスにもウィスキーを注いだ。
「遅かったじゃねぇかよー。」おそらく自覚がないようだが、ものすごい大きな声でそう言うと、サムソン刑事はグラスを持った。二人はグラスとグラスをぶつけ、パトリックは、一杯目、サムソン刑事はボトル二本と二杯目を飲んだ。
「追加でオニオンリングを頼みましたよ。」パトリックは自分が来たことによって嬉しそうなサムソン刑事を見て、自分も少しうれしくなった。
「おいおい、勘弁してくれよ。油もんはもういいって。」サムソン刑事は椅子から身を乗り出して、カウンターに向かって大声で店主を呼んだ。
「マスター!タコのカルパッチョ!」すると店主は、カウンターとは真逆の方向の、厨房からの出入り口からオニオンリングとサラダを持って現れた。
「そんなもんねぇよ。代わりにこれ食いな。」そういうと店主は、オニオンリングとレタスとエビのシーザーサラダをテーブルの上に置き、また厨房へ戻っていった。
「サムソンさんほんとマスターに見透かされていますね。」パトリックは笑いながら、シーザーサラダの数少ないエビを一つつまんだ。
「まぁもう長い付き合いだからな。」サムソン刑事はそう言いながら、空のグラスに口をつけた。パトリックはその姿を見ながら再び笑いながら、オニオンリングをフォークで刺した。
「ところで、捜査はどうだった?」サムソン刑事は、空のグラスにウィスキーを入れながら尋ねた。しかし、パトリックは今オニオンリングを口に入れたばかりで話すことができなかった。
「何か話したいことでもありそうだな?」サムソン刑事は注いでいるグラスから視線を外さずに尋ねた。パトリックはあまりにも図星過ぎて、のどに詰まらせたオニオンリングを、ウィスキーで流した。
「俺とお前も長い付き合いだからなぁ。」サムソン刑事はそういうと、注いだウィスキーを飲んだ。確かにサムソン刑事の言う通りではあったが、別に休日前夜のバーで話すことでもないと思っていた。パトリックはもう既にしゃべれる状態ではあったが、沈黙を続けていた。店内のBGMが静かに流れている。
「どうした?話してみなさい。」サムソン刑事はオニオンリングをつまみながら言った。パトリックは、グラスに入ったウィスキーを飲み干し、サムソン刑事に聞きたいことを質問し始めた。
「サムソンさん、グレーテンヒル18番地って知っていますよね?30年前の大量殺人事件が起きた現場です。」明らかにサムソン刑事の顔色が変わった。
「まぁそのころから警察にはいたから知ってはいるが、それがどうした?」サムソン刑事が持っているグラスの氷がかすかに揺れているように見えた。
「あの事件のことについて知りたいんです。」パトリックは、サムソン刑事に迫った。
「なんでまた。」サムソン刑事は少しあきれた口調になった。するとパトリックは、サムソンから目線をそらしながら、
「今日実は、あの家に入ったんです。」と告げると、サムソン刑事は目の色を変えて、テーブルから身を乗り出し、パトリックの胸ぐらをつかんだ。
「お前、あの家に入ったのか?たしか俺の記憶が正しければ、あそこは閉鎖されていて、入口にはしっかり看板があったはずだけど、お前はそこに入ったのか?」サムソン刑事は静かにパトリックの目をにらみつけながら尋ねた。
「はい。はいりました。」パトリックはおびえながらも、正直に答えた。
「お前あそこがなんで閉鎖されているのかわかってんのか?」サムソン刑事は大声で怒鳴りながら、パトリックを投げ飛ばした。それは酒に酔っているからという理由ではないとパトリックは感じながら、椅子にたたきつけられていた。しかし、パトリックはそれにひるまず、さらに食って掛かった。
「だからそれを知りたいんです。なぜ、あそこは閉鎖されたんですか?」
「俺の知ったことか。」サムソン刑事は少し落ち着いた口調に戻った。
「あなたは、あの事件の第一発見者ですよね?通報を受けて現場に駆け付けた二人の警官のうちの一人はあなただ。違いますか?」パトリックはさらに問い詰めた。グラスに入った氷がとけ、音を立てた。
「これ以上その話をするなら俺は席を変える。」サムソン刑事はそういうと、カウンターにウィスキーのボトルとグラスを持って移動した。サムソンはカウンターに座ると、店主にボトルのお代わりを頼んだ。
「何また騒いでんの?」店主は、新しいボトルを持ちながら言った。しかし、サムソン刑事は、何も言わず空のグラスに口をつけていた。
「懐かしいね。30年前のあの日って確か初出勤の日じゃなかったっけ?」店主はサムソン刑事のその姿を見て、こっそりボトルを下げた。
「あんたまでその話をするのかい。」サムソン刑事は、頭をかかえながら、グラスの氷をなめた。
「前の日あんなに張り切っていたのにその翌日、あんたまるで貝みたいに黙り込んでたっけな。」店主は昔話を楽しそうに語っていた。
「マスター、そんなことよりボトルよこせよ。」サムソンは、話を遮るようにボトルをねだった。
「別に話してやったって減るもんじゃないだろうよ。」
「あの事件が俺にとってどんなものだったか。あいつには、味わってほしくない。あの得体のしれぬ恐怖、胸が張り裂けそうになる感情。それに・・・」サムソン刑事は目頭が熱くなっていた。
「まぁ気持ちはわかる。でにもしかしたら、あの子が事件を解決しちゃうかもしれないぞ。」店主の言葉に、サムソン刑事は黙ったまま、グラスの溶けかけた氷を眺めていた。
「若い世代を陰で支えるのが、ベテランの仕事じゃなかったのかい?」そういうと店主はカウンターに、ウィスキーのボトルを置いた。
「ほどほどにな。」店主の言葉を受け、サムソン刑事はボトルをそのままカウンターに置いたまま、一人で座っているパトリックの元へ向かった。
「あの日は朝から通報が相次いでいた。」急に聞こえてきたサムソン刑事の声に、パトリックは顔を上げた。サムソン刑事は再び席に座ると、30年前の出来事を語り始めた。
「あの日は俺の初出勤の日で出勤して早々出動命令が出された。昨夜出かけたきり帰ってこないという通報が100件近くあったらしい。しかも、その100件の行方不明者の共通点が、全員パーティーでグレーテンヒル18番地へ向って以降、連絡が取れなくなっているということだった。しかも中には、日付が変わる前に帰るという連絡を入れているケースもあったという。」パトリックは、氷が解けてできた水を飲んだ。サムソン刑事は、オニオンリングをつまむと、口に運ばずそのまま話をつづけた。
「俺はその時の先輩と二人で出動した。パトカーの中では「初仕事が酔っ払いの介護なんてついてないな。」なんて冗談を言っていたくらい俺たちは、よくあるパーティーの後片付けをしに行く感覚でグレーテンヒル18番地に向った。」気づくと、バーには少しずつお客が増えて、だんだんと周りの話声などが飛び交い始めた。パトリックは、周りの音に惑わされないように、少し身を乗り出した。
「だが今思えば、酔っ払いの世話の方が百倍マシだった。」
「何があったんですか?」パトリックは、サムソン刑事にもう少し声のボリュームを上げてほしく、少し大きめの声で尋ねた。するとサムソン刑事も、少しテンションが上がったのか、その声に呼応するように、声のボリュームが上がった。
「俺たちが現場に着くと、妙な静けさだった。多少の酔っ払いが外にいてもおかしくないだろうって。だが、見た目は朝日に照らされた静かな屋敷だった。おかしいと思った俺たちは、庭を抜け扉の前で拳銃を抜いた。」パトリックは銃を抜いたという言葉から相当の異様さを感じたと分かった。
「俺たちは、一回アイコンタクトをとって勢い良く扉を開け、銃を構えた。そして、手元の銃の先に視線をやった俺たちは、まるであっちの世界へ行っちまったかと思った。」サムソン刑事の体が、恐怖で少し震えているのを感じた。パトリックは催促せず、静かに続きを話し始めるのを待った。
「そこには、無数の遺体が辺り一面に横たわっていた。まるで、パーティーの最中に突然みんな死んじまったようだった。」サムソン刑事は、視線はパトリックを見ていたが、目の奥にはあの日の光景がはっきり見えているようであった。
「どういうことですか?全員死んでいた?」パトリックも驚きのあまり、声が出なかった。
「いや、全員じゃない。」サムソン刑事は視線を変えず、目の奥に映る記憶の情景の説明をつづけた。
「無数に横たわる遺体の中で二人の男が立っていた。一人は、トーマス・ヴァンシー、屋敷の主人。そして、もう一人がダンテ・ダンフォース、新聞記者で、のちの調べで彼の友人であることが分かった。」パトリックの中である一つの疑問が浮上していた。
「では、生き残りはその二人?」パトリックは疑問投げかけた。
「いや、もう一人いる。トーマスの妻の、ヴァネッサ・ヴァンシー。だが彼女は見つけたとき気を失っていて、その後もしばらくは記憶喪失で自分が誰なのかすらわからないありさまだった。」
「結局、どうなったんですか?」パトリックはさらに説明を仰いだ。
「もちろん、三人は重要参考人として、事情聴取をしたが、奥さんはそんな状況じゃなかったし、旦那のトーマスの方も事件のショックからなのか黙秘を続けていた。」サムソン刑事は、再び少し声のトーンを落としてさらに続けた。
「だが、友人のダンテが犯行を認めた。とはいっても、犯行を認めただけで凶器、動機、方法は一切口にしなかった。」
「それで、三人はどうなったんですか?」パトリックは、思っていた以上にあっさりした結末で、少し興味が薄れていた。
「ヴァンシー夫妻は俺も知らない。だが、ダンテ・ダンフォースは獄中で自殺していた。」パトリックは、サムソン刑事が最悪の事件と言った理由が分かったつもりになった。
「どうやって?舌を噛むくらいしかできないですよね?」するとサムソン刑事の視線の奥には、やっとパトリックが映っていた。
「それがこの事件をさらに気味悪くさせる要因の一つで、死因が分かんないんだよ。」パトリックの眉間には深いしわが彫り込まれた。
「外傷がないってことですか?」
「外傷どころか司法解剖しても、内臓、血管、脳どこを調べても異常が見当たらず、ただ心臓が止まっているだけだったらしい。」パトリックの眉間のしわが、さらに深くなっていった。
「それは、つまり心臓発作じゃないんですか?」
「だが、ダンテだけじゃない。そのパーティーに出席していた客、そしてトーマスが雇っていた召使いたちもみんな同じ死因不明だった。」確かに気味の悪さを感じるとパトリックは思いながらも、やはりがっかり感が残っていた。
すると、サムソン刑事は立ち上がりカウンターへと向かった。おそらくずっとしゃべっていたからか、カウンターにウィスキーのボトルを取りに行ったようであった。パトリックは、今の話を整理していた。しかし、今の話の中ではパイプオルガンと秘密の通路の話が出ていなかった。見つけられていないのか、まだ隠しているのか、ただ忘れているだけか。パトリックは、申し訳ないと思いながらも、疲れているであろうサムソン刑事にさらに質問をした。
「サムソンさん、あの屋敷にパイプオルガンってありましたか?」
「いや、あの時屋敷を隅々まで調べたけどそんなものはなかったけどなぁ?」パトリックの中で謎がさらに深まった。するとサムソン刑事は、並々注いだウィスキーを、一気に飲み干すと、勢いよくグラスをテーブルに置き、大きく息を吐きだした。
「お前があの屋敷で何を見て、何を体験したか知らんが、あの事件には関わるな。」パトリックは、理由を表情だけで尋ねた。
「州がなぜあの屋敷を閉鎖したと思う。未解決事件の現場だからか?いやぁ違う。」サムソン刑事の顔を下から青いライトで照らしているかのように、不気味な顔で続けた。
「事件の後、屋敷の近くで妙な音が聞こえたりして住民たちが気味悪がり出して、しまいには呪われているなんてうわさまで広がった。」
「まさか、それが理由とか言わないですよね?」パトリックはまさか過ぎる理由に少しほっとして、サラダのエビをつまんだ。
「もちろんそれだけじゃない。」パトリックはその一言に、なぜか背筋が凍った。
「さっきヴァンシー夫妻の行方は分からないと言っただろう?」パトリックは、サムソン刑事がその先に言おうとしていることを察してしまった。
「そう、彼らは忽然と姿を消した。もちろん警察としても捜索はしたが二人ともまるでこの世から消えてしまったようであった。」パトリックは口の下に手を当て、推理をし始めていた。それを見ていたサムソン刑事は、ウィスキーを飲みながら普通の会話のように続けた。
「閉鎖してからも時々電気がついているとか、人影を見たなんて通報は後を絶えず、そのあとも何回もあの屋敷に行ったが誰もいなかった。」
「じゃあ今回の行方不明事件もこの屋敷が関係している可能性は・・・」パトリックの反論をサムソン刑事は遮って続けた。
「もちろん、警察も馬鹿じゃない。最初の時点でマークしていた。だが誰もいきたがらない。」
「いや僕が・・・」パトリックはあることに気が付いた。
「だから、もしかして。」パトリックの言葉に、サムソン刑事はパトリックから目を背けながら、説明した。
「そう。マックスとお前を離してでもこの事件を下りたってわけだ。」
「じゃあなぜ今日は?」パトリックは少しずつ怒りの炎を燃やし始めていた。
「だって犬の散歩程度だと思ったから・・・俺だって罪悪感はあるんだよ。」サムソン刑事はバツの悪そうな顔をすると、ウィスキーのボトルをパトリックに差し出した。パトリックは黙ってグラスを出すと、空のグラスにウィスキーが注がれた。にぎやかなバーの雰囲気の中、二人はしばらく黙ってウィスキーを飲み続けていた。
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