第4話 ヴァネッサ・ヴァンシー
「ようこそグレーテンヒルへ」と書かれた看板を前に、一人と一匹は立っていた。手入れを怠っているのか看板には伸びに伸びきったつるが絡まっていた。道や塀には、所々にひびが入っており、住宅街の草木はとても緑とは程遠い色であった。しかし、廃墟感がある見た目とは裏腹に、住宅街は散歩やジョギングを楽しんでいる人や、自分の家の庭の手入れをしたり、子供たちの楽しそうな声やラジオの音楽など住民たちの生活音が盛んに聞こえたりと、かなりにぎやかなイメージであった。パトリックは、とりあえず住宅街の奥へと向かった。おそらく連日の捜査で住民たちへの聞き込みはしているため正直、何をするということは特になかった。どちらかと言えば、パトリックもこのあたりを散歩している人々と同じく、マックスと散歩を楽しんでいるのとあまり変わらなかった。しかし、マックス自身はそうでもないようだった。パトリックは無意識にマックスに連れられ、住宅街の奥へと進んでいった。
しばらく歩いていると、突然マックスの尻尾が、何か電波を受信するように上にまっすぐ向いていた。パトリックはマックスの様子の異変に気付き周りを見渡した。何もなければマックスをなだめて先へ進みたいところではあったが、そうもいかないことが起きていた。
「くそ、見失ったか。だがあきらめないぞー。」明らかに不審な男がスマートフォンに似た装置を片手に見ながら独り言をつぶやいていた。白い防護服のような合羽を身に着け、大きなおんぼろの掃除機を持ち運んでいる姿に、マックスは警戒の姿勢を示していた。さすがに、パトリックは彼から危険性は感じなかったが、かと言って彼を見て見ぬふりをすることによるグレーテンヒルの住人からの視線を想像してしまい、仕方なく声をかけることにした。
「すいません。今何をされているところなのですか?」マックスはさらに警戒する用に後ろ足を踏ん張っているように見えた。
「いまこのあたりで悪さをしている幽霊を探しているところっだぁ。」男は装置からひと時も目をさらさないまま、明らかに作っていると思われる渋い声で答えた。
「この掃除機は?」パトリックの何気ない質問に男は顔色を変え、装置からパトリックへ視線を変えた。
「これはミスタージェイルによって開発された、幽霊を捕獲する装置に決まっているだろ!素人か!」彼の威圧的な返答に、「素人です。」と心の中で答えながら、さらに質問を続けた。
「ミスタージェイルとは?」すると男は、今度はもじもじとし始め、顔はにやつき再び様子がおかしくなった。
「お恥ずかしながら、私のことだが。」パトリックは今まで見たことがないどや顔を目撃した。パトリックは一応何か情報を持っているかもしれないので、事件のことについて半ば義務感で尋ねた。
「このあたりで最近怪しい人を目撃したとかありませんか?」パトリックは怪しい人に聞いていることに自分の中で矛盾を感じていた。するとミスタージェイルは、辺りを見回しながら口の前で人差し指を立て始めた。偶然なのか少しそよ風がパトリックの頬をかすめたようにも感じた。
「どうかしましたか?」パトリックも一応声を落として、空気だけで会話を試みた。しかし、少し謎の間が流れた後、ミスタージェイルは大きな掃除機を引きずりながら去っていった。パトリックは状況を整理するのに少し時間をかけた。しかし、何も残らなかったことに気付きマックスの様子を見ると、飽きていたのか完全に体制を落としあくびをしながら、住宅街の風景を見渡しているように見えた。
「なんかごめんな。」パトリックもなぜ自分が謝っているのか、そもそも今の時間は何だったのかわからず、まったく別の世界から戻ってきたような気分であった。マックスは、その呼びかけに答えるように再び立ち上がると、また歩き始めた。
しばらく歩いていると、だんだんのどかさが消え、不気味な静けさが広がり始めた。周りの家もだんだんと空き家が多くなっていき、木々のせいか昼間なのに少し暗く感じた。パトリックはようやくマックスがここへ自分を導いていることに気が付いた。おそらく人通りの少ないこの辺りは、情報が少ないなどの理由で捜査対象から外されていたのではとパトリックは推理した。
「確かにここは怪しいな。」そうつぶやきながらマックスの様子を見ると、さっきまでは普通に歩いていたマックスも、地面のにおいをかぎながらパトリックをさらにリードし始めた。すると、急にある屋敷の前で足を止めると後ろ足を畳み、腰を下ろした。大きな鉄の閉ざされた門がそびえ、その奥には真っ青な芝生が広がっていた。しかし、その門には、立て看板と張り紙が張られており、そこには「閉鎖中につき立入禁止。」と書かれていた。
「本当にここが怪しいのか?」マックスは座ったまま動こうとしなかった。確かに、立て看板と張り紙の劣化具合と、芝生の色は比例していないことに、パトリックも違和感を覚えていた。
すると、どこからともなく一台の車が近づいてきた。しかし、特にパトリックは気にも留めずにいた。車はパトリックたちの目の前で停車すると、運転席からスーツ姿の女性が降りてきた。
「初めまして、アリー・ハーバート申します。あなたが大家さんですか?てっきり奥様が対応してくださるのかと思っていました。」その女性は愛想のいい笑顔で、意味不明なことを言いだした。
「いえ、私はペンシルバニア州警察のパトリック・アンダーソンです。」パトリックは、名乗りながら警察バッチが付いた手帳をアリーに見せた。
「刑事さん?この家で何かあったのですか?」今度はアリーが不思議そうな顔で質問を返した。
「いや、まだそうとは決まったわけじゃないんですが・・・」パトリックはアリーの質問に答えながら、アリーの行動に疑問を持った。
「あなたは、ここに何か用事でもあるのですか?」
「はい、このお屋敷の内見を大家さんに頼んでいたのですが・・・」アリーが戸惑いながら答えていると、パトリックは門に張られている張り紙と立て看板を、アリーに見えるように移動した。アリーは、そこに書かれていた文字を見て、まるでハトが豆鉄砲を食らったように、思考が停止した顔になった。
「アリーさんでしたね。ご職業は?」
「不動産です。T&Jグッティングカンパニーのセールスマンで、今回この物件をお気に召したお客様がいらっしゃったので、とりあえず内見しに来たのですけど。」アリーは戸惑いながらも淡々と話す姿勢に、嘘を話してはいないとパトリックは感じていた。
「いつからですか?」アリーがまるで川が流れていそうなくらいに、眉間にしわを寄せながらパトリックに尋ねた。
「それが、元々私も担当ではないので、詳しいことはわからないのですが。」パトリックが何ともあいまいな答えを返しているさなか、アリーはカバンから資料を取り出した。
「この資料だと、5年前に売りに出されているのですが。」確かに、アリーの言う通り資料に書かれている日付は5年前の十月三十一日であった。
「そもそもどういう事件なんですか?」パトリックの曖昧な答えにアリーは少し嫌気がさし始めていた。
「私が今捜査している事件は行方不明事件です。今月だけでも3人がこのグレーテンヒルの住宅街で姿を消しているんです。」
「じゃあこの屋敷が事件現場なのですか?」
「いえまだ捜査の段階なので何とも。」アリーの口調が段々と強くなってきていることに少しパトリックは戸惑っていた。
「では捜査のせいで、閉鎖されているのですか?」アリーはまたしても仕事の邪魔が入り、ストレスがたまり始めていた。
「いや、ここが閉鎖されている理由は、恐らく30年前の事件だと思われます。」
「30年前?」
「30年前、ここで大量殺人事件があり、それ以来ここは封鎖されたままなのです。」この話は地元の人間なら誰しもが知っている話であったが、アリーがペンシルバニアに引っ越してきたのは、もっと最近だったためこの事件のことは初耳であった。
「でも、それだけでここが怪しいって決めるのもどうかと思いますけど。」アリーは少しあきれた口調で言った。
「確かに閉鎖されているなら、人の出入りがないのは当然。ならなぜほかの屋敷と比べて、こんなに外観がきれいに保たれているのでしょう?とても30年手つかず状態だったとは思えない。」するとどこからともなく、聞いたことない女性の声がその疑問に答えた。
「私が手入れしていますからね。」声の主は門の中から話しかけていた。
「こんにちは、ヴァネッサ・ヴァンシー。ここの大家です。」白いブラウスに、黒いロングスカートを身にまとった貴婦人はそう名乗ると、アリーの方に視線を向けた。
「あなたが、アリー・ハーバートさんね。お一人ではなかったようですね。」ヴァネッサは不満げに、今度はパトリックの方に視線を向けた。
「あの、別にこの人は知り合いってわけではなくて・・・」アリーの言葉をさえぎって、パトリックが名乗り始めた。
「ペンシルバニア州警察のパトリック・アンダーソンです。失礼ですが、何の許可があって、そこの敷地にいらっしゃるのですか。」するとヴァネッサは、スカートのポケットから一枚の大きな紙を取り出した。
「なんのってわたしはここの所有者ですが?」そういうとヴァネッサは、その紙をパトリックに見せびらかした。その紙は、屋敷の権利書であった。アリーは少し安堵した表情になった。しかし、パトリックは引き下がらずにさらに質問をし始めた。
「そんな大事な書類をずっと持ち歩いているのですか?」
「いつもは持っていませんけど、今は内見ですから持っていない方が怪しいでしょ?」パトリックは、今の返答は腑に落ちていない様子であった。それを見たヴァネッサは、
「もしよろしければ、あなたもご案内いたしましょうか?何でしょうか?家宅捜索ってやつ?」と提案した。パトリックはヴァネッサの少し余裕そうな雰囲気が、何かを隠しているが絶対にばれないという自信のように見えた。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてお邪魔させていただきます。」パトリックの返答に、アリーはまた不機嫌になった。
「ではこんなところでお話しするのはなんですから、どうぞお入りください。」ヴァネッサはそう言うと門を開け、二人を屋敷へと案内した。
アリーは横を歩くパトリックに少し近づいた。
「家宅捜索って何するつもりですか?」アリーはヴァネッサに聞こえないように声を落として、なるべくパトリックに声が届くように話した。
「何するってこいつ次第なのでわからないです。」パトリックはマックスの歩く後姿を見ながら答えた。
「警察が犬頼りですか。」アリーは呆れながら、マックスを見た。
「大丈夫ですよ。お邪魔はしないので。」アリーは、もう既に邪魔なパトリックの返答を無視して歩き続けた。そんな二人のやり取りに意を介さず、マックスは尻尾を左右に振りながら歩いていた。
一行は、真っ青に手入れされた芝生が広がる庭を抜け、屋敷の玄関が見えてきた。先ほどまでそよ風程度であった風が、心なしか少し強くなり、木々が騒がしくなったように感じた。
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