第3話 とりしらべ

 ペンシルバニア州警察署の取調室に、一人の男性が座っていた。髭はしっかり剃られ、髪も短髪でさわやかな雰囲気の見た目とは裏腹に、顔はやせこけ、体が小刻みに揺れ、視線は両手にはめられた手錠を見つめているように見えた。その容疑者の様子をガラス越しに見ながら、一人の刑事が一つのファイルにまとめられた資料を眺めながら見ていた。大きなガラスの壁は、向こうの様子を映し出していたが、一方の取調室から見れば単なる鏡で、向こう側の様子は見ることができない。そのため容疑者は見られているという意識はなく、ただ孤独な時間が流れていた。

 すると、モニター室の扉からノックの音が二回響いた。

 「はい。」刑事は資料に視線を向けたまま、ノックに答えた。扉が開くともう一人の刑事が入ってきた。

 「容疑者の方はどうだ?」入って来て早々、容疑者の様子を見た。

 「あ、サムソン刑事。かれこれ三時間、あそこだけ時が止まったかのように変化なしです。」部屋にいた刑事は、資料から少し視線を容疑者に向けながら答えた。

 「で、被害者の方は?」

 「たった今、死亡が確認された。」二人は、容疑者の様子を眺めた。彼の姿を見ると、その情報は二人にとってもつらい知らせであった。資料を持っていた刑事は、ため息を一回つくと、デスクに置いてある飲みかけの缶コーヒーを飲み干しモニター室から出ていった。それから間もなくして、取調室の扉が開き、刑事が資料を持って入ってきた。容疑者を目の当たりにすると、鏡越しとはまた違った負のオーラで押しつぶされそうになった。刑事は持っていた資料をテーブルの上に置くと、その音が無機質に部屋中へ響き渡っていった。刑事は容疑者の前に座ったが、彼はこれといった反応を見せず、下を見続けていた。その様子を確認すると、刑事は少し多めに息を吸い、気持ちを切り替えた。

 「パトリック・アンダーソンです。あなたの取り調べを担当します。」パトリックの低く張りのある声が、取調室に響き渡った。しかし、容疑者は反応しなかった。パトリックは、反応の有無に関係なく質問を続けた。

 「あなたの名前は、ウィリアム・カーペック。間違いないですか?」もちろん、容疑者は黙ったままだった。

 「被害者である、マーク・ミトランスキーの胸の辺りを刃物で刺した。違いますか。」容疑者の唇が少し震えたように見えた。

 「被害者のマーク・ミトランスキーだが・・・」パトリックは、反応のないウィリアムをじっと見つめた。

 「たった今、死亡が確認された。」さすがのウィリアムも反応を見せた。

 「死因は失血死だ。」ウィリアムは、パトリックの言葉の真意を察したように顔を上げた。しかし、特に口を開くこともなく、ただパトリックを見ていた。その瞳には覇気どころか、魂が抜けているようであった。少し長めの沈黙が続くと、再びパトリックは質問を続けた。

 「動機は何ですか?」パトリックは、目を通した資料の内容を頭に張り巡らせた。

 「報復ですか?」ウィリアムの手が、電気が流れたように一瞬動いた。パトリックはさらに詳しく問い詰めた。

 「あなたは、奥さんを殺した男を報復で殺した。違いますか?」ウィリアムは再び顔を下に向けてしまった。

 パトリックは、ウィリアムから少し違う雰囲気を感じ、アプローチ方法を変更した。

 「被害者が死んだことで、あなたは殺人犯になってしまったのです。しかも現行犯だから有罪は免れません。」パトリックは少し感情的に、ウィリアムの心に語り掛けるように告げた。しかし、ウィリアムの黙秘はさらに続いた。

 「あなたが何も言わなければ、あなたが彼を殺したという事実だけが残ってしまう。それでは我々もあなたを助けることができなくなってしまう。」すると、ウィリアムの瞳から、一筋の涙が光り輝いて見えた。パトリックは、感情を少し抑え再び落ち着いた口調に戻した。

 「息子さんを一人残しちゃっていいんですか?」するとウィリアムはとうと今まで抑え込んでいた感情があふれるように涙を流した。

 「マイケル・・・」ウィリアムは震える声で我が子の名前を呼んだ。パトリックは、あふれそうな感情を、冷徹な気持ちで抑え込んだ。

 「息子さんのためにもあなたの口から話してください。」ウィリアムはその問いかけに、無言でうなずくと口を開いた。

 彼の供述は、事件が起こるまでの何の変哲もないが、穏やかで幸せな日々が、奥さんの死によって崩れ去り、その悔しさ、怒り、絶望がウィリアムの穏やかで温かい心をむしばんでいく様が、目の前で繰り広げられているかのような錯覚に陥るほどの臨場感であった。それを目の前で聞いていたパトリックはもちろん、モニター室で一部始終を見ているサムソン刑事でさえ、無の感情で聞いていたかと聞かれれば嘘だった。パトリックは高ぶる感情を落ち着かせようとしたがもう限界に近かった。しかし、どうにか抑えるため再びアプローチ方法を変更した。

 「理由はどうであれ、あなたは人の命を奪いました。彼にもマイケル君と同じくらいの子供がいるそうです。」パトリックは、自分が嫌いになりそうであった。ウィリアムは再び、深くうつむき始めてしまった。

 「被害者や被害者の家族、息子さんのマイケル君にでも良いです。何か言いたいことはありますか。」この質問は、彼の返答によっては彼自身を救うし、その逆もあり得た。パトリックは、ウィリアムの負の感情でむしばまれていった心の奥にある、穏やかな感情を信じるほかなかった。するとウィリアムはゆっくりと口を開いた。

 「マイケルのこともそうですが、相手のお子さんには申し訳ないことをしてしまいました。まだ、マイケルと同じくらいなのに、父親を奪ってしまった。その責任は死んでも償うことはできないと思っています。」ウィリアムは、淡々と告げた。しかし、自分の息子がこれから直面するであろう、いじめなどの社会的制裁のようなもの、そして何より孤独感のことを考え、再び先ほどとは比べ物にならない量の涙が、彼の瞳からあふれ出した。

 「すいません。」ウィリアムは声を震わせていた。しかし、パトリックからしたらまだ足りなかった。

 「亡くなった被害者には何か言いたいことはありますか?」すると、今まで涙におぼれていたウィリアムの顔つきに変化が見えた。パトリックも、サムソン刑事も嫌な予感がした。

 「彼に対して私から言うことは特にございません。」ウィリアムは、気持ちいいくらいはっきりと言い切ってしまった。

 「本当に何もないですか?」パトリックは、最後のチャンスを彼に与えた。しかし、ウィリアムは、取り調べの間で一番はっきりとした声で「はい。」と返事をした。

 「わかりました。取り調べを終了します。」パトリックは、勝手に期待しただけだと分かってはいたが、ウィリアムに失望していた。パトリックの合図と同時に、取調室に二人の警官が入ってきた。パトリックが資料をまとめ立ち上がると、ウィリアムは二人の警官に両腕をつかまれ、泣きながらパトリックを見た。

 「なぜ、妻は殺されなければならなかったのですか?」

 「それを知るチャンスを、あなたは自分でつぶしたんです。」パトリックは冷たく言い放つと、取調室を出てすぐ隣のモニター室へと入った。パトリックは、いつも以上に取調室が寒く、冷たい感じがした。

 モニター室へ入ると、缶コーヒーの香ばしいにおいと、サムソン刑事の服に付いたたばこのにおいが、パトリックを出迎えた。

 「きつかったな。よく頑張った。」サムソン刑事は、缶コーヒーを飲みながら誰もいない取調室を眺めていた。取調室は、上演直後の舞台のように、何事もなかったかのようで、少し余韻が残った雰囲気が広がっていた。

 「ほんと、こういうのって当事者の気持ちにならないと分からないけど、いざ気持ちになってみると、なんか悪いことをしてないんじゃないかって錯覚を起こしちゃうんですよね。」パトリックは、椅子に腰かけると、背もたれに思いきり寄り掛かり、数分前の出来事を頭の中でフラッシュバックさせていた。

 「まぁ今回のは、特別そういうケースだった。いくら殺人とはいえ、動機に共感しようと思えばできてしまう。見方によっては、被害者と加害者が逆転しているときもある。」サムソン刑事は、容疑者と被害者の写真が付いている資料を、横に並べて置いた。

 「いや、今回はどちらも加害者ですよ。」パトリックは、上体を起こし、胸の前で腕を組んだ。

 「今回の被害者は、彼らの息子たちですよ。」パトリックは、誰もいない取調室を見つめながら、彼らの息子たちの顔を思い浮かべていた。

 「それが分かれば、お前も一人前だな。」サムソン刑事は、少し誇らしげに自分の部下の成長を感じていた。しかし、パトリックは最後にウィリアムへ向けた言葉や、取り調べでの自分のふるまいを振り返り、仕事の上で仕方がないことと割り切ることができず、大声で叫びたい気分であった。すると、サムソン刑事が何か合図をし始めた。右手で何かをつかみ、それを口に近づけるようなしぐさであった。パトリックは真っ先にその動きの意味を理解すると、サムソン刑事の心遣いに少し笑顔がこぼれた。二人は立ち上がると、取調室とモニター室の照明を消した。二人は、真っ暗で不気味な冷たさを残した取調室を後にした。

 部屋の外へ出ると、警察犬と捜査員がちょうど戻ってきていた。すると警察犬がパトリックの姿を確認すると、ものすごい勢いでパトリックの元へ駆け寄っていった。パトリックは、大人のシェパードの体重と迫力に負け、しりもちをついた。そんなことは構いもせずシェパードはパトリックの顔をなめまわした。

 「わかったよマックス。いい子だ、いい子だ。」パトリックの顔は、マックスのよだれでびしょびしょになってしまった。マックスを連れていた捜査員がその様子を呆れたように見ていた。

 「もうマックス。お前、警察犬だろ。もう少し威厳ってやつを見せてくれよ。」しかし、マックスには捜査員の声は届いていないようであった。

 「全く、パトリックは警察犬キラーだな。」サムソン刑事も呆れた顔で、警察官と警察犬とは思えない一人と一匹の姿を眺めていた。

 「まぁいつものことっすよね。」捜査員の言葉に同意するかのように、周りの人間も見向きもしていなかった。すると、パトリックの表情が急に変わった。

 「どうしたマックス。どっか悪いのか?」パトリックは、心配そうにマックスの目を見た。しかし、マックスは舌を出してまるで笑っているような表情にしか周りには見えていなかった。

 「さすがですね。」捜査員の言葉にしゃがんでいたパトリックは立ち上がり、人間の世界へ戻ってきた。

 「実はこいつ、今月で引退なんですよ。なのに今の事件の進展もなし。正直ただの犬の散歩みたいになっちゃっていて・・・」

 「今の事件ってあの行方不明事件の捜査か?」サムソン刑事がそういうと、捜査員も少し顔を曇らせながら、マックスを眺めた。

 「おそらく、そんなこと一番分かっているのはマックスなんですよね。だから、こいつもこいつなりに焦っているのかもしれないですね。」三人はマックスの立ち姿にどこかさみしさを感じていた。パトリックは、再びしゃがみこむと、マックスを撫で始めた。

 「ほんと、お前は頑張り屋さんだな。もうたくさん仕事したし、結果だっていっぱい残してんだろ。」すると、パトリックはどこかマックスが自分に何かを強く願望しているように感じた。その内容はわからないが、マックスの意志が目から語られているように感じた。

 「あの、もしよかったら今からこいつとその事件現場の近くを歩かせてもらえないですか?」パトリックの思いがけない要望に、捜査員は少し戸惑いを見せた。

 「別に僕は構いませんけど、結構長い間歩き続けていますからマックスがどうか・・・」すると、その言葉を否定するかのように、マックスが捜査員の周りをうろうろし始めた。捜査員はそのマックスの行動に、少し驚きの表情を浮かべた。

 「そうだ、今行く必要はないだろ?」サムソン刑事も目を真ん丸とさせながら言った。しかし、自分の周りをどこか楽しそうに歩いているマックスを見ていた捜査員は、軽くため息をつくと、少しあきれた笑顔を浮かべながら、

 「わかりました。良いですよ。」と言い、マックスのリードと首輪をパトリックに渡した。その言葉を理解したかのようにマックスは、パトリックの前で腰を下ろして、リードをつけてもらうのを待ち始めた。

 「ありがとうございます。」パトリックは、マックスの言葉を代弁する気持ちで礼を言った。サムソン刑事は、呆気にとられた顔でパトリックを見ていた。

 「すぐに戻りますサムソン刑事。先に一杯やっててください。」

 「その一杯おごりだからな。」サムソン刑事は、パトリックの軽い言葉に、少し不満げな表情を浮かべながら、人差し指でパトリックを指しながら強調した。パトリックは、その言葉に対し、親指を上に立て笑顔で答えると、捜査員から受け取った「マックス」と書かれたリードの一式をマックスへ付け始めた。もしかすると、この作業をマックスにしてあげるのは最後かもしれないと思うと、寂しさがこみあげてくるのと同時に、マックスとの出会い、そして、一緒に仕事をした二件の事件を解決したことを思い出していた。すると、その記憶の鎖が、昔パトリックが飼っていた犬の記憶を呼び覚ました。パトリックは次々に出てくる記憶の引き出しを急いで閉じた。

 我に返ったパトリックは、少し動揺した表情を浮かべながら、マックスとつながったリードを手に持った。

 「では、行ってまいります。」パトリックは捜査員にあいさつをすると、捜査員は、笑顔に少し心配そうな表情ものせながら、

 「よろしくお願いします。」と一言いうと、一人と一匹を見送った。

 「これでいいんだろ?マックス。」パトリックは、外に出て少し人が少なくなった辺りで、答えを返してこない相手に問いかけた。マックスは、尻尾を左右に揺らしながら、ひたすら歩き続けていた。パトリックはその姿を見ると、マックスの答えが聞こえてくるようであった。パトリックは少しハニカミながら、

 「悔いがないように思いっきりやろうな。」とマックスを、そして自分を鼓舞させた。

 「たしか現場はグレーテンヒルだよなぁ?」そういうと、上着の内ポケットからスマートフォンを取り出すと、地図アプリを起動させ、グレーテンヒルを検索した。

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