真相~2

 話が落ち着いた為、局長により解散を告げられた面々は、それぞれの部署へと戻った。その道中でもう一つやり残したことを終わらせるため、木下は課長に声をかけた。

「すみません、少しお時間を頂いて宜しいですか」

「ん? ああ、いいよ。課長席に来るか」

「お願いします。簡単な確認とご報告だけですから」

 課長の後に続き部屋に招かれ、応接用のソファに座るよう促された。そこに腰を下ろすと、課長も斜め横の上座の席に座った。

「改まってなんだ。簡単な確認と報告と言ったな」

「はい。先程局長室で間中に尋ねられた時には誤魔化しましたが、事実は違いますよね」

顔色を変えた課長は、それでも惚けた。

「何のことだ?」

「佐倉さんが使った資料隠しのトリックはその場の思いつきでは無く、事前から用意されていたものだと言うことです」

「ああ、そのことか。確かに警察の捜査でも、佐倉は周到な事前準備をしていたことから、かなり以前より書類紛失事件を起こす計画を立てていた節があると言っていたな」

「はい。総務課の仕事の中に、死刑が確定された際資料を取り寄せる仕事があることは当然佐倉さんも知っていたはずです。そして昨年ここに赴任が決まったことから、死刑が確定される案件が発生すれば、高い確率でその仕事が行われることも予想出来たでしょう」

「それは十分あり得るな。法務省での不祥事を起こすことを考えていたから、「財田川事件」に目を付けたのだろう。同じような事件が起これば、過去に起こった大きな汚点の記憶を呼び覚ますことになりかねない。だからこそ資料の一部が紛失したなら、法務省としては必ず隠蔽に走ると予想しても不思議ではない」

「それが加治田の案件でした。恐らく佐倉さんはその機会を見越して、事前に加治田へ連絡を取り始めたのでしょう。それだけでなく甲府地検への出張を申し出て、裁判書類の閲覧をしていた峰島検事の事も知ったはずです。中之島早苗に奇妙な電話をしたのも、加治田に閲覧するよう仕向けたのも、計画されたものだったと思われます」

「ああ。だがその事なら私も君から報告を受けているし、警察からも聞いていることだ。それを今更何故繰り返す?」

 怪訝な表情をする課長に、木下は尋ねた。

「つまりそれだけ周到な準備をしていた佐倉さんが、書類を隠す方法だけはその日に訪れた機会をたまたま利用したとは考えられません。それは余りに不自然だとは思いませんか」

「突然使用する会議室が変更になったから、やむを得なかったのだろう。しかし事前の計画より、いい方法があるとその場で閃いたんじゃないのか。二人を殺した際のアリバイトリックを考えたくらいだ。悪知恵が働いたのだろう」

「例えそうだったとしても、峰島検事が書類から目を離すかどうかも分からない状況で、書類を隠す行為には危険を伴います。しかし大飯さんは、この時しかないという程のタイミングで隠すことができた。だからこそ峰島検事は、大飯さんが犯人だと確信されたのでしょう。会議室や書庫を念入りに確認されたのも、その為だとおっしゃっていました。しかし佐倉さんは予想していたかのように、書類を安全な場所へと隠し直すことができた。さらに自分を容疑者から完全に外すだけでなく、峰島検事が怪しまれるように仕組んだ」

「何が言いたい?」

 苛立つ課長に対し、じっと彼の目を見つめて告げた。

「課長も佐倉さんに協力されていたのですね。最初は大飯さんに書類を運ぶよう指示したことから始まりました。そして会議室が急遽あの場所になったのも、資料の整理をしていた数名の中から、敢えて佐倉さんにあの会議室を片付けるよう指示したのもそうです。大飯さんに電話をかけて席を外させ、その後峰島検事に代わるように言ったことも、課長が共犯者でなければできなかった」

「き、君は何を言い出すんだ。全てただの偶然じゃないか」

 まだ白を切る彼に尋ねた。

「課長は今後、佐倉さんが警察や検察の取り調べに対し、一貫して黙秘を貫くとお考えですか。さすがに無理だと私は思います。それとも今回の書類紛失の一件に課長が関わっていることを、佐倉さんが隠し続ける確信でもおありですか。それに警察は、佐倉さんの携帯の通話記録を取りよせるでしょう。そうすればすぐに分かることです」

 木下の指摘に動揺を隠せなかったようだ。恐らく彼もその点を心配していたはずである。書類紛失事件だけの話で終わっていれば、大飯さんと同様に共犯だったことを口にしないはずだと軽く考え、手を貸していたのかもしれない。

 しかし今となっては、二人の人間を殺した凶悪犯として警察に捕まっている身だ。しかも死刑になるかどうかの瀬戸際に立たされている。そんな状況で課長一人を守ることなど考えるだろうか。

 単なるきっかけに過ぎない紛失事件の共犯について、厳しい取り調べを耐え抜き隠し続けられるとは思えない。特別の事情が無い限り、自分だけが悪いのではなく協力者がいたことを自白し、少しでも罪を軽くしようとするのが人間の本性だ。

「課長、いずれ明らかになることです。最初に私は言いましたよね。簡単な確認と報告だと。これはあくまで確認です。私は警察ではありませんし、処罰する権限もありません。ただこの件を佐倉さんと共に調査するよう、局長から命じられた私としては疑問を持った点を全て明らかにしたい。ただそれだけです」

 ようやく諦めが付いたらしい。課長は項垂れ、うつむいたまま答えた。

「その通りだ。お前が言ったように、いずれ佐倉の口から私の名が出るだろう。そうなれば局長の耳にも入る。あいつが当初私達に話した計画に無い殺人をしたから、こんなことになったんだ。本当に馬鹿な事をしやがった」

「では大飯さんを書類運びに任命したこと、会議室の件や電話の件もお認めになりますね」

「ああ。私は佐倉に甲府地検から資料を回収する日取りと、その時の段取りやコースを教え、大飯を回収役に指名して欲しいと言われた。後はわざと会議室をダブルブッキングしてB会議室を使うように仕向け、佐倉に片付ける役目を与えたんだ。最初はそれだけでいい、後は全てこちらでやるからと言われていた。だから書類の隠し場所など詳しい事は聞かされていなかった。もし知っていたら、木下に倉庫を再捜索させて欲しいと言われた時、私は断っていたはずだ」

「課長は佐倉さんから、計画の一部だけを知らされていただけなのですね」

「ああ。しかし峰島検事が突然現れたことで、計画が狂い出した。そこであの日佐倉から、会議室にいる大飯のスマホに電話してくれと連絡を受けたんだ。途中で彼と代わって話をし、部屋から少しの時間だけでも離れるよう仕向け、大飯にはその間に資料を隠せと指示するよう言われたよ。私のしたことは本当にそれだけだ」

「資料の隠し場所を知らなかったことは確かでしょう。しかし地検に行く日取りや段取りとコースまで聞かれていたのに、加治田のことは知らされていなかったのですか?」

「信じてくれ。詳しい事は全く知らされてなかったんだ。しかも当初の計画では木下が言っていた通り、間中のスーツケースに入っていた資料を隠す予定だった。それなのに慌てた大飯は自分のスーツケースのものを隠したから、さらに厄介な事になっただけなんだ。加治田との話は全て佐倉が勝手にやったことで、大飯も全く聞いていなかったはずだ。三人で打ち合わせをした際も、隠すだけで良いと言われていた。私達は騙されたんだよ」

 悲痛に叫んでいたが、同情する気にはなれなかった木下はさらに尋ねた。

「最初はどういう計画だったのですか?」

「まずは箱の中へ隠し、検事に渡す前に資料が無いと騒ぐつもりだった。そして間中が紛失した、または運び損ねて向こうの倉庫へ置きっぱなしにしたか、どちらかにするつもりだったんだ。もし甲府地検に尋ねて無いと言われても、ほとんどの資料は再作成できるはずだから、起案書の作成に支障をきたすことはない。そうなれば必ず事なかれ主義を通すためにも、資料紛失の件は無かったことにされるはずだと、あいつは言ったんだ。私も大飯も自分に責任は及ばないと思ったからこそ、計画に乗ったんだよ」

「そこで課長は局長に調査をするよう進言し、それが却下されると見込んでいた訳ですね」

「そうだ。必ずそうなるから、と佐倉は何度も繰り返して言っていた。それを信用したらこの有り様だ」

「やはりそうでしたか。先程お伝えした簡単な確認は、これでほぼ終わりました。残った報告の件ですが、課長が佐倉さんに協力している疑いがあることを、既に局長はご存知です。今回私が最終確認をした上で事情を明らかにすれば、再度局長にご報告する予定です」

 驚愕した課長は、跳ね上げるように顔を上げた。

「柳生局長は、私が関わっているかもしれないと知っていたのか。その上で自分の口から問い詰めることをせず、木下に確認するよう指示したというのか」

「はい。私に対しあくまで課長が言い逃れをされた場合、警察からの報告を待って対処するつもりだ、とおっしゃっていました。しかし何らかの事情があるのだろうから、と話を聞くよう私に指示したのです。そこで最後にお伺いします。何故課長は佐倉さんに協力をされたのですか」

 天井を眺めるように顔を上げた課長は一度大きく息を吸い、そして語りだした。

「国家一種試験に合格して入省した私達キャリアは、実績を積んで昇格していく。だがその過程において、法務省では他の省と事情が異なることを知っているな」

「はい。さらに難関と言われる司法試験に合格し、検察や裁判官になった法曹界の方々が後に出向という名目で入省されます。そして重要ポストを占める慣習がありますね。省のトップである事務次官はもちろん、局長クラスのほとんどは検事出身者です。私達のような叩き上げの職員にとって、昇進が狭き門であることも理解しています」

「そうだ。実際柳生刑事局長は元検事だし、今の他の局長クラスもほとんどが法曹界出身者だ。私達のようなキャリア組は、課長止まりになることなど珍しくない。つまり私が局長以上に昇格することは難しいだろう。馬鹿らしいとは思わないか。法務省で一からコツコツと仕事をしてきた人間より、司法試験に合格した外様が重要なポストに就く。警察で言えば俺達はノンキャリア組で、奴らはキャリア組なんだよ」

「なるほど。だから刑事局で大きな問題を起こせば、局長の責任問題になりかねない。そうすれば、課長が昇進する隙もできると考えたのですか。確かに刑事局は無理にしても、最近では矯正局長や保護局長のポストならば、キャリア組が配置される人事を行う傾向にありますからね。しかし死刑が確定した後に資料一式を取り寄せて確認し、刑事局付の検事に渡すまでは総務課の仕事です。そこで問題が起きれば、ご自身の身に火の粉がかかるとは思われなかったのですか」

「もちろん考えたさ。だがそこは徹底調査すると私が主張しても、検事出身の局長ならば、「財田川事件」の再来を彷彿させる案件には蓋をするに違いないと、佐倉が言ったんだ。ならば問題が発覚した折に、筋を通そうとした私の意見を抑えた局長の責任は重くなる。しかも検事出身だからこそ起こった事件となれば、少しは私達のような法務省の叩き上げが評価されるはずだ、と説得された。といって確実に私が昇格できる保証なんてない。しかし何もしないよりはましだと思ったよ。しかも今回の計画に手を貸せば、重要ポストを占める元検事出身者を、少なくとも一人は蹴落とすことができる。それが現在の慣習に一石を投じることに繋がれば、言うことは無い。だから私は協力することにしたんだ」

「大飯さんも同意見だったのですか」

「ああ。三人共他の省庁における隠蔽体質にうんざりしていたことも本当だ。しかしあいつは人一倍上昇志向の高い男だった。それにエリート官僚の父親を少しでも見返したいと、屈折した感情が強かった。だから課長の私が上手く昇進すれば、引き揚げて貰えると踏んで協力を承諾したのだと思う」

「しかし今回の件で局長の口から課長が関与していたと、マスコミ発表されるでしょう。そうなれば課長達がした事は、私達のような叩き上げ組の肩身をさらに狭くさせます。当初の思惑とは全く逆の結果を招くことになりますが、その件についてはどうお考えですか」

「そうなるな。すまない。佐倉の口車に乗ったのが間違いだった」

 素直に頭を下げた課長に、収まらない鬱憤をぶつけた。

「それだけではないでしょう。確かに法曹界出身者と我々との関係は、微妙なものがあります。それまでの職場における立場も経験も違いますから、やむを得ない点もあるでしょう。しかし元を辿れば、互いに国家公務員であることは変わりません。私達は国民の税金によって養われ、国民の為に仕事をしているのです。もちろん一定の国民に選ばれているからといって、政治家や時の政府の為に働くことが正しいとは思えません。今現在、そして将来に向かって、国民の為になる仕事をしているのだという誇りを我々が失ってはいけない。国家試験に合格し、入省した際にそう皆が教わったはずです。それが何故か時が経つにつれ、理想を忘れて現実の薄汚い社会構図に飲み込まれていく。それを仕方がないと諦めるのですか。そんなことでいいのかと、お思いにならないのですか」

「その通りだと思う。だからこそ私は何とかしたいと思ったんだ」

「そうかもしれませんが、明らかに方法を誤ったのです。課長や佐倉さんのやり方は、一見理想を実現させようと試みたかに見えますが、実際はただの私利私欲に過ぎません。国民の為にと言っても、口先だけで己の利益を第一に考えている今の政府や与党のやっている事と、何ら変わりありませんよ」

 これ以上怒りを口にすると、手を挙げてしまいかねない。木下は課長をそのままにし、立ち上がった。愚か者を殴れば、己も同じ土俵に上がることを意味する。決して佐倉さん達のような過ちを、繰り返す訳にはいかない。心の中の自分にそう言い聞かせながら、部屋を出て行こうとした。そんな木下の背中に向かって課長が呟くように言った。

「ああ。言い忘れていたことがある。大飯の父親は元財務官僚だが、佐倉の五歳年上の従兄が自殺した時の直属の上司だ。これは大飯が殺されたと分かった今だから気付いたことだが、あいつは最初から従兄の復讐をするつもりだったのかもしれない。だから今回の計画に大飯を誘って書類を車で運ぶよう仕向け、書類を隠す役目をさせたのだと思う。何故なら佐倉は、その従兄と付き合っていたはずだからだ。もちろん大飯はその事を知らなかっただろう。佐倉も俺が気付いているとは知らないはずだ。以前、一度だけ二人が腕を組んで歩いているのを偶然見かけただけだからな。それに初めて刑事が来た時、佐倉は大飯の事を信頼できる同僚で親しい友人でもあった、と言ったことを覚えているか。あれは嘘だ。表には出さなかったが、裏では同期だからこそ互いにライバル視していた。しかもあいつは女だ。同じキャリアでも男が多い官僚の中で苦しんでいたことを知っている。もう一つ言えばあいつが甲府での調査を強引に認めさせたのも、最初から加治田と合流する為だったと考えれば納得できる。まあ、これも警察が全て明らかにしてくれるだろう」

 驚愕の事実を聞いた木下は言葉を失った。その為そのまま無言で部屋を後にした。その足で局長室へと向かったのだ。これが本当に最後の報告となるだろう。正直に言えば、佐倉さんが総務課に配属された時から木下は彼女を憎からず思っていた。

 しかし既に智花との結婚が決まっていた為、それ以上の感情を持つことを固く禁じていたのだ。そんな相手が殺人犯だと分かった時点で裏切られたと強い憤りを感じていたが、さらに愕然とさせる事を聞かされ、一時でも心動かされた己の愚かさを嘆いた。

 心を落ち着かせる為、木下は廊下を歩きながら窓の外に目を向けた。曇り空の隙間から、陽の光が差している。少し青空も見えた。そして一度は荒んだ気持ちを立て直す。正しい事をしたければ偉くなれ、とは誰の言葉だったろうか。

 しかし偉くなることが目的になり、本来の道を見誤って大きな間違いを犯しては本末転倒だ。今回局長が事件を公にし、問題点がどこにあったかを明らかにすれば、多少なりとも世間を含めて同じ官僚達への問題提起になるだろう。

 この国に絶望するのはまだ早い。諦めることはいつでもできる。自分が官僚でいる限りたとえ微力であったとしても、内部から改善するよう働きかけられるのだ。確かに政治家や官僚による不祥事は絶えない。国民による信用も著しく失っている。

 しかしそんな私利私欲に走る愚かな奴らばかりではない。柳生局長のような人もいる。過去には死刑囚の命を救った、矢野元裁判長のような強者もいたのだ。そして多くの官僚達は勤勉に働いている。その努力を無駄にしない様、個々人がコツコツと地道に信頼を取り戻すしか方法は無い。

 人間だから間違いを犯すことはある。だが問題が起こった時こそ、どう対処するかが大切なのだ。その度に適切な処理を行いさえすれば、時間はかかるだろうがいずれ人心を取り戻すことは出来るだろう。

 まだこの国の先には僅かでも希望があると信じたい。その為にこれからは上を目指して仕事をするのも悪くはないと思った。もちろん正しい事を貫けるようにするためだ。木下は妻の顔を思い浮かべながら、局長室まで胸を張って歩いた。   (了)

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