新たな調査~3
「それはそうよ。しかもその場で、あの加治田って奴の弁護人だった人にも電話をかけて貰って、間違いないかどうか確認したから。私も電話に出てこの耳で聞いたもの」
「勅使川原弁護士とお話しされたのですか?」
「そうよ。地検の方がとても親切で、閲覧に来た本当の理由を話したら、自分達の言葉だけでは信じられないかもしれないので、って電話してくれたの。もちろん向こうの弁護士も電話で間違いなく死刑は確定しているし、本人も再度審査を請求するつもりが無いから、いずれ死刑は執行されるでしょうって言っていたわ。そこまで聞いたら疑うことも無いので帰って来たの」
「そうでしたか」
このことは改めて地検に連絡し、中之島が閲覧した際に対応した職員がそのような行動を取ったかを確認しなければならない。だが彼女の言っていることは間違いなさそうだ。嘘をついているようには思えないし、そうだとすればもう少し上手く誤魔化す方法はあったはずだ。
「ところでこんな夜遅くに、どんな事件を調べていてあなたはここまで来たの?」
佐倉は深く頭を下げた。
「申し訳ございません。実は今後死刑執行に必要な手続きをするために、裁判記録など一式を地検から全て取り寄せて審査をしています。その際、通常では考えにくいものが挟まれていたのです。そこでどういった経緯から、それが紛れ込んだのかを調べていました。何がとは具体的にお教えすることはできないのですが、形としては丸型で直径五センチくらいの薄いものです。奥様が閲覧された時、そのようなものが挟まっていたという記憶はございますか? 結構目立つものなので、普通の方が見ればこれは何だろう、と思うものなのですが」
「いいえ。閲覧可能なものを出来るだけ見せてもらうように申請はして持ってきては貰ったけれど、実際その中身は全部なんて見てないの。ほんの少しぱらぱらとめくっただけだから。でも一体なんなの、それは?」
「シールのようなものです。もし外部の人が誤ってそこに挟んでしまったのなら、お返しをしなければならないですし、もし意図的に挟んだのならどういう経緯でそうなったのかを調べていたのです。何と言っても裁判記録というものは重要な書類ですから、扱いには気を付けないといけませんので」
「ああ、そういうこと。でもこんな時間にわざわざ東京から?」
正直に全てを話す訳にはいかない為、嘘を織り交ぜ誤魔化した。
「いえ、実は昼間に甲府地検へ先に伺っていたのですが、そこでも理由が分からなかったのです。そこで閲覧された方を調べた所、何人かいる中で奥様の名前がありました。その為閲覧された方々に直接お伺いしていたら、こんな遅い時間になってしまったのです。大変申し訳ございません」
「そうだったの。ここは市外ですものね。だから最後の方になったんでしょう」
「おっしゃる通りです。ご不在の方もいらっしゃったので、時間がかかってしまいました。夜分遅く大変申し訳ございません。奥様にも心当たりがないと言うのであれば結構です。それではこれで失礼します」
「いいえ、遠くから遅くにご苦労様でした」
佐倉は相手がドアを閉めるまで何度も頭を下げ、その後マンションを後にした。そしてすぐに車の中へ戻り、喜多原検事の携帯に電話を入れた。この時間ならまだ仕事をしているだろうと予想していたが当たったようだ。ツーコールで相手は出た。
「はい喜多原です。佐倉さん、どうかされましたか」
「遅くに申し訳ございません。お仕事中でしたか」
「ああ、まだ少しやる事が残っていたものですから。それより何かありましたか」
佐倉は先程まで中之島と会話していたことを告げ、そこで聞いたことを説明した。そして彼女が裁判記録を閲覧した時、対応した職員がそのような行動を取ったかどうかの裏付けを取りたいので、お願いできないかと頼んだ。
「いいですよ。今日は無理でしょうが、明日中には確認して折り返し連絡できるでしょう。しかし彼女が言っていたことは本当だと思いますよ。調べればすぐ分かるような嘘はつかないでしょう」
「私もそう思います。ただ報告書を上げる際にも、念のため確認が必要ですから」
「勅使川原弁護士の方はどうしますか?」
「実は明日の昼前にアポを取っていますから、私が裏を取ります」
「そうですか。今日はあの後色々調べられたようですね。他には何か分かりましたか」
一瞬どこまで話していいものかと躊躇したが、加治田の件はいいだろうと思い告げた。
「やはりサービスエリアの防犯カメラに映っていた画像を見る限り、大飯達に声をかけたのは加治田智彦だと思われます。彼が乗っていた車のナンバーも分かりました。しかし先程彼の家に寄ってみたのですが、留守らしく車も無かったのでまだ確認はできていません」
「それならこちらでどこまで調べられるか分かりませんが、ナンバーだけでも教えていただけますか。照会して所有者確認が取れるかもしれません」
近年個人情報の管理は厳しくなっており、安易に照会などできなくなっていると聞いたことがある。最初は元警察官の父親の伝手を使って調べて貰おうかとも考えたが、既に現役を退いている。それに迷惑をかけたくなかった為、佐倉は諦めたのだ。
その為検事といえどもそこまでの力があるのか疑問だったが、もし判明すれば相手が言い逃れ出来ない証拠の一つとなる。そこで彼の申し出を受け入れることにしてナンバーを告げた。
「この件は直ぐにお伝え出来ないかもしれませんが、分かり次第ご連絡します」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
そこで電話を切る。時間は九時近くになっていたため、木下へはメールで報告することにした。車を走らせてもう一度加治田の家へ寄ったけれどまだ帰ってきていないらしいことと、真っ暗で車も無いため外出したままのようだとメモ書きしたもの、さらに先程の中之島との会話のデータ添えて送信しておいた。
そしてエンジンをかけながらずっと加治田の帰りを待っていたが、うっかり寝てしまっていつの間にか二時を過ぎてしまったことや、今日は帰って来ないだろうから明日の朝もう一度勅使川原弁護士とのアポの前に来て話を聞くことにし、それでもいなかったら午後に再度寄るからとにかくホテルに戻ることなどを、夜中だったが木下宛に再度メールで送信したのだった。
翌日は朝六時半にチェックアウトする準備をして佐倉は部屋を出た。ビュッフェ形式の朝食を素早く済ませた後、朝八時過ぎに加治田の家の前へと着く。しかしガレージに彼の車はない。時計は八時半を過ぎていた。やや早いが他人の家を訪問する時間としては、非常識だと非難される時間ではない。意を決した佐倉は車を降り、敷地の外にあるインターホンを押した。
コール音が鳴る。しかし応答はない。もう一度押してみた。呼び出し音は間違いなくなっている。故障している訳ではなさそうだ。それでも向こうからの反応はなかった。敷地の外から家を覗く。窓にはカーテンが閉められており、中は見えない。
ぐるりと家の周りを回ってみたが、人がいる気配は感じられなかった。といって居ないとも断言し難い。息を殺して居留守を使っているだけかもしれないからだ。明け方帰ってきたために、まだ熟睡している場合だってある。
しつこいとは思ったが、簡単に諦める訳にはいかないと何度もインターホンを鳴らし続ける。しかしそれでも全く返答がなく、家の中は静まり返っていた。時計を見ると勅使川原弁護士とのアポの時間が迫っていた。ここから車を走らせて事務所に着くまでの時間を考えれば、これ以上粘ることは難しい。ここは諦め午後に改めて訪問するしかなかった。
せめてもの証拠だと考え、佐倉はスマホで加治田の家のガレージや家の周辺の写真を再度スマホで撮影する。そして再び木下宛に写真と加治田家の朝の様子をメールで送信しておいた。
弁護士事務所に向かいながら、佐倉は考えていた。サービスエリアでの防犯カメラに映った映像写真、そしてGPSシールの写真と裁判閲覧記録、中之島早苗や大飯達の証言が、こちらで用意できた手持ちの切り札だ。
これだけのカードで弁護士相手から有力な情報を聞き出すことが出来るだろうか。ここまでに出来るだけの事は準備してきた。後は相手の出方次第だ。やるしかない。そう意気込んで事務所の扉を叩き、中へと入っていった。
受付に女性が一人出てきて用件を告げると奥へと促され、会議室のような部屋に入れられると、座って待つように告げられた。しばらくしてドアがノックされ、一人の男性が入って来た。年齢は六十代前半だろうか。
「お待たせしました。ご連絡をいただいた勅使川原清です。城崎一家殺人事件を担当し、加害者である加治田永智の弁護を担当しました」
「お忙しいところ申し訳ございません。法務省刑事局総務課の佐倉です」
「どうぞ、お座りください。お忙しい中、遠くからわざわざいらっしゃったようですが、甲府は初めてですか」
世間話から始めた彼は予想していたよりもずっと温和で、どちらかというと好々爺といった風情の弁護士だった。意気込んでいた佐倉にとっては、肩透かしを食わされたように思えたが油断はできない。一通り受け答えをしてその場の空気を和ませた後、頃合いを見てここでの会話を録音してよいかの承諾を得てから質問をした。
「ところで今回お伺いしたのは、こちらで裁判記録を調べている際に奇妙な事が起こったものですから、調査をしております。ご協力いただけますでしょうか」
「そのようですね。電話では詳しくは説明できないと言うことでしたが、法務省の職員の方が何をお調べになっているのでしょう。私がお答えできることならお話いたします。ただ仕事柄、守秘義務に関わるものはご勘弁ください」
「もちろんそれは承知しています」
「どういったことでしょうか」
「私達が調べている裁判書類というのは、勅使川原先生が担当されたあの加治田永智が起こした事件のものです。そこでお伺いしますが、ここ最近、先生は甲府地検で裁判記録の閲覧を申請されていますよね。判決が確定して上告も再審請求もしない事件の記録を今更になって、何故閲覧されたのかをお聞きしたくて参りました」
「なるほど。あの裁判で出された死刑判決は確定しましたから、今だと死刑執行に向けて出される起案書の作成に着手している頃かもしれませんね。すると法務省刑事局総務課、つまりあなたの部署が甲府地検から裁判記録を全て回収し、確認するはずですからそこで何か問題が起こった。そういうことですか」
見た目はともかく、さすがに大きな事件を担当された弁護士だ。頭は切れるらしい。だが相手と同じくこちらにも守秘義務があるため、正直に答えられる範囲も限られる。
佐倉は返答を曖昧にしてもう一度質問をした。
「そちらがどう取られてもあえて否定も肯定もしませんが、まずはお答えいただけませんか。どういった経緯で裁判記録の閲覧をされたのでしょうか。それとも何かお答えできない理由でもおありですか」
「いえ、別にありませんよ。そういうことなら、質問を拒否する必要もないでしょう。理由は事件関係者から依頼されたからです」
「それは加治田永智死刑囚の父親、智彦さんで間違いないですね」
「そうですね。そこは否定しません。閲覧できる関係者は限られますので、私の立場を考えれば、お答えするまでも無いでしょう」
「ではどういった理由、または目的で閲覧を依頼されたかを教えていただけますか」
ここで答えを拒否されるのではないかと身構えた。明らかに依頼者に対する守秘義務に当たるからだ。しかし彼は意外な態度を示した。唸りながら首を傾げたのだ。
「ううん、それが良く分らないのですよ。ただ息子の死刑が確定したから裁判書類に不備が無いか、一度確認して欲しいと言われました。いえね。弁護士でも全ての記録を見せて貰える訳でもないし、不備があるか無いかまで確認する程の知識は持ち合わせていないとご説明はしたのです。それは法務省や検事の仕事であって、弁護士の仕事では無いともお話しました。それでもいいから、出来るだけ見て欲しいと依頼され、断る理由もないので閲覧申請を出し、地検に出向きました」
「不備が無いかを確認するために閲覧して欲しいと依頼を受けた、ということですか」
「そうなりますね。結果は問題ないといいますか、私がある程度見た限りでは、特に不備と言えるような個所は見つかりませんでした。だからその旨を先方に報告しましたよ」
「それで依頼主は何とおっしゃっていましたか」
「特に何も。有難うございましたと言われただけです。だから理由や目的は何かと質問されても、私には分からないとしかお答えようがありません」
「依頼を受けた時には、お尋ねにならなかったのですか?」
「当然、聞きましたよ。少なからず費用も発生します。明らかに無駄な作業になることを分かって、それでも何故閲覧する必要があるのか、私も疑問を感じましたから」
「何とおっしゃられていましたか?」
「はっきり教えてくれませんでした。とにかく閲覧して来て欲しい。出来る範囲でいいから不備があるか無いかだけ、一度でいいから確認しに行ってくれの一点張りでした」
「そうですか。それを聞いて勅使川原先生は、どう思われましたか」
「そうですね。不備があれば見つけて欲しい、というニュアンスではなかったと思います。ですから不備がなく、死刑執行に向けて事が進むことを望まれての依頼だったのかな、と感じましたね」
佐倉は尋ね直した。
「どういうことですか? それは間違いなく死刑執行されることを望まれていたようにも聞こえますが」
「事件を起こした当初は違いましたよ。教団による洗脳に違いないと主張していましたから。しかし裁判が続く中で、徐々にその意識も変わったのでしょう。罪を犯した本人が死刑を強く望んでいたこともありますが、事件以降あの一家がどれだけ辛い目にあって来たか、佐倉さんはご存知ですか」
「詳細は分かりませんが、両親が離婚して一家離散状態になったと聞いています」
「離散した程度なら、まだ良かったでしょう。しかし奥さんは実家に戻られて旧姓に名前を戻された後でも、相当な嫌がらせや誹謗中傷を受けているそうです。今は一時期に比べて落ちつかれた様ですが、それでも理不尽な殺人事件が起こる度、思い出したように嫌がらせを受けていると聞きました。無言電話や家への落書きなどもまだあるようです」
「奥様とも定期的に、連絡を取られているのですか」
「私ではありません。加治田さん達が別れたのは便宜上で、今でもお互い連絡はしているそうです。娘さんの件もありますからね」
「娘さんがどうかされたのですか?」
「あの事件の影響で、ご結婚されていた娘さんが離婚されたのはご存知ですか?」
「それは知っています」
「離婚されただけでなく、お子さんが二人いらっしゃって母子家庭になっていますが、生活は苦しいようです。お子さんも苛めにあって、学校にも行けないと言う話も伺いました」
「そんなことが、」
加害者遺族に対し、世間が冷たい事は知っている。人権など完全に無視されたような、相当ひどい目に遭ったと言う事例も耳にはしていた。だからと言って法務省の一職員にしか過ぎない自分が出来ることなど、たかが知れている。いや、そうではない。どうしようもない現実から他人事であることを良いことに、目を背けて来たというのが本音だ。
「そうしたことが続けば、死刑が少しでも早く執行されればいい、と考えるようになっても無理はありません。例え永智さんが死刑により亡くなっても、彼ら親族に対する差別が消えることは無いかもしれませんが、多少和らぐかもしれないと期待ができますからね」
「智彦さんは死刑執行が順調に進むことを願って、裁判記録に不備が無いかを確認したかったというのですか」
「私はそうだったのではないかと推測しています。恐らく死刑が確定してから執行までに至る流れを調べたのではないでしょうか。今はネットでも簡単に検索できますからね。そこで私の推測ですが「財田川事件」の事を知り、裁判記録に不備があると執行命令が出せない事が起こりえると思ったのではないでしょうか。またはそのような話を誰かに入れ知恵されたのかもしれません。それで不安になり、閲覧依頼をされたのではないかと、考えた事はあります。ただ本人には確かめていませんよ。早く死刑にして欲しい、とも解釈できる依頼ですからさすがに聞くことは躊躇われました」
「それはそうですね。分かります。そういうことでしたか。ああ、それと被害者遺族である中之島早苗さんも同じように裁判記録を閲覧されたそうです。しかもその時死刑は間違いなく執行されるのかどうか、地検の方を通じてこちらに確認お電話があったと聞きましたが、それは本当ですか」
「確かにそういうことがありましたね。問い合わせを受けた記憶があります。間違いなく死刑は確定しており、本人も再審請求する意思が無い為、いずれ死刑は執行されるでしょうとお答えしたはずです」
「間違いありませんか」
「はい。しかし一体何があったのですか。法務省の方が直々に東京から甲府まで来て、しかも何かを調査する為に話を聞いて回ることなどまずないでしょう」
「ありませんね。ですからこれは内密に願いします。調査も内々に行っていると思ってください」
「分かりました。ところで智彦さんとは会われましたか」
「いえ、実は昨夜と今日の朝もご自宅に伺ったのですがお留守でした。こちらへ伺うまでに、お話を聞いておきたいと思っていたのですが」
「そうですか。おかしいですね。今日ならどこかに出かけただけかもしれませんが、普段夜遅く出歩くことは余りなく、家にいることが多い方ですが。何時頃に行かれました?」
「昨夜は七時前後に少しと、九時頃から夜中の二時過ぎまで待っていましたが車も無かったので、外出されていたようです。今日も朝八時過ぎに伺いましたが、お留守のようで何度インターホンを押しても出てこられませんでした」
「それは奇妙ですね」
「もしご本人と連絡が付く携帯の番号などご存知ならば、一度かけていただくと助かるのですが。ここでのお話が終わった後、またお伺いしたいと思います。もしよろしければ先生から、私と会って話をするように言っていただけると助かります」
「ああ、いいですよ」
彼は何の問題も無いと思ったらしく、直ぐにスマホを取り出して番号を呼び出しその場でかけてくれた。しかしコール音は鳴るが、電話に出ないらしい。何度かかけ直して貰ったが、同じことの繰り返しだった。そこで首を捻りながら彼は言った。
「連絡が取れなかったことは今までほとんど無かったのですが、おかしいですね。私からかけた番号は登録されているはずですから、いつもならすぐ出てくれます。だいたい持ち歩いていらっしゃるので、どこかに置き忘れていることなんてまず無かったと思いますが。知らない番号には出来るだけ出ないようにしていると、聞いたことはありますけど」
「ありがとうございます。ご自宅以外に出かけているとすれば、どこかご存知ですか?」
「一人でひっそりと年金暮らしをしていらっしゃるので、仕事はしていません。買い物に行くとしても、近くのスーパーやせいぜい甲府駅周辺のデパートぐらいしか思いつきませんね。そうそう出歩くタイプではないと思います。特に夜遅くはまずあり得ない。昔、酔っ払った若い奴らに捕まって、殺人野郎の親父だと絡まれ暴行を受けたことがありました。それからは怖くて出歩けなくなった、とおっしゃっていましたから」
「そうですか。ありがとうございます。これからもう一度ご自宅に伺ってみます」
「そうしてください。私からもまた連絡してみます。もし通じれば、あなたに連絡しますよ。いつまでこちらにいるご予定ですか」
「今日の夜十時の東京方面に向かう最終の電車までは、こちらにいる予定です」
「それまでに電話が通じて、佐倉さんとまだお会いしていないようでしたらご連絡しますよ。私から話をしても問題ない人だから、と言っておきます」
「色々ありがとうございます。今日は貴重なお時間をいただいて助かりました。これで失礼いたします」
佐倉は礼を言って事務所を出た。どこでサービスエリアの話を持ち出し、加治田智彦の顔写真と乗っていたと思われる車の件を尋ねようかと考えていたが、タイミングを逃してしまった。
彼の話によれば、裁判資料にシールが貼られていた件とは無関係であるように思えたからでもある。そんな相手にわざわざGPSシールが貼られていたなどと、法務省として管理不行き届きとも取れる内部事情を漏らす訳にはいかない。
それに加治田智彦に関しても、書類の紛失と関わっているとは考え難くなった。なぜなら死刑を止めようと思っていたのならともかく、逆に早く執行されて欲しいと望む人間が重要な書類を抜き去る計画など立てるはずがない。
そうしたことを整理するメモの中で、ただ問題は残っていると書いた。GPSシールは誰が貼ったのか、だ。勅使川原弁護士が加治田に依頼されて貼ったとの仮定は崩れたと言える。実際会って話してみた感触でも、そのようなことをする人物には見えなかった。
しかしそうなると加治田はどうやって大飯達が裁判書類を地検から運び出し、あのサービスエリアに寄ったことを知り得たのか、という問題にぶつかる。万が一佐倉の目が節穴で勅使川原によってシールが張られ、それを元に加治田が書類を追跡したとしよう。それでも声をかけただけだ。一体どういう目的があったかが分からない。
やはり最後の鍵は、加治田智彦にある。彼がどういう意図で裁判記録を弁護士に依頼したのか。GPSシールを張り付けさせるためだったのか。それとも別の意図があったのか。そして何故書類を運び出した大飯達にわざわざ声をかけたのか。どうやって追跡できたのか。GPSシールによってなのか。そうでないとすれば、どのような方法で彼らが運んでいることを知り得たのか。
ただこれらは全て本人に尋ねれば分かることだ。その為事務所を出てコンビニに寄り、おにぎりとサンドイッチと飲み物を購入した佐倉は、車を走らせて彼の家の前に到着した。
朝と同様自宅に車はない。またインターホンからの応答もなかった。そこで長期戦も覚悟し、近くに停めた車の中で昼食を済ませる。彼が帰ってくるのをひたすら待ちながら、これまでまとめた疑問と勅使川原との会話を木下宛にメールした。
例えどこかに出かけていたとしても、勅使川原と電話が通じればこちらへも連絡が入る予定だ。まだ時間はある。甲府での調査は既にほぼ終わった。残るは加治田と会って確認した内容を木下に送ることだけだ。焦る必要は無い。そう自分に言い聞かせた。
その後は少し運転席の背もたれを倒し、楽な姿勢でじっと待った。昨晩は寝不足だったので少し居眠りをしてしまったが、彼は帰ってこなかった。途中で何度か勅使川原とも連絡をしたが、相変わらず加治田は電話に出てくれないと言う。念のため家の固定電話にも掛けたが、コール音のみで反応が無いそうだ。
彼の声はとても心配していて、嘘はついている様子では無かった。こんなことは今までなかったと嘆き、何かあったのだろうかと不安がっていた。さらには喜多原検事から、中之島が裁判記録の閲覧に来た際の職員との対応などは事実だったとの連絡を受けた。加えて佐倉が告げた車のナンバーから、所有者は加治田だということも教えられたのである。
これでほぼ間違いなく、サービスエリアで大飯達に声をかけた人物は加治田に間違いないと言える。後は動機と何故大飯達があの場所にいた事を知り得たか、本人に聞き出すだけだ。しかし結局その日も彼は自宅には戻って来ず、制限時間となってしまった。そのため佐倉は止む無く駅前でレンタカーを返却し、最終電車に乗って東京へと向かったのだった。
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