調査
先日三十になったばかりの佐倉は独り身だ。これから独身者のために用意された官舎へ帰るが、どこかで遅い夕食を済まさなければならない。昨年結婚したばかりの木下は、少し離れた場所にある省庁が借り上げたマンションに住んでいる。そこに帰れば食事は用意されているのだろう。
しかし今日はこのまま帰る気にならなかった。その為悪いとは思ったがちょっと飲んでいこうと誘ったのである。そして彼の知っている小洒落た居酒屋へと入った。そこを選んだのは個室があったかららしい。内密の話が出るだろうと気を利かせたのだろう。彼らしい判断だ。
席について食べるものを適当に頼み、ハイボールを注文した二人は軽く杯を持ち上げた。
「お疲れ様」「お疲れ様です」
そうお互いが呟き、最初の一口を飲んで息を吐いた彼が口火を切った。
「佐倉さんはどこまでやればいい、と思っていますか。徹底的に調べるか、お叱りを受けない程度の範囲でさらりと調べて終わらせる方法もあるでしょう。どう考えます?」
「そういうあなたはどう思う? 荷物運びを手伝っただけで、こんなことに巻き込まれたのだから、やる気なんて起きないんじゃない? 正直に言っていいよ」
「申し訳ありませんが、本音を言えばそうです。さらりと調べて報告し、後は責任を負わされない程度に済ませ、上の判断に任せればいいと思っています。でも佐倉さんは違うお考えをお持ちではないですか」
妙に真面目過ぎて融通が利かないと昔から言われ続けてきた。法務省に入って今の部署に着任してからも、周りからはそう見られている。生まれ持った性格というのはなかなか直らないものらしい。実徹と書いて“みゆき”と読ませるいう名前は、警視庁の警察官であった祖父が付けたものだ。
実直や誠実などで使われ、嘘や偽りのない本当の事を意味する“実”と徹頭徹尾や一徹、貫徹などと使われる“徹”という字を併せた名である。正直にとことん自分の意思を貫き通し最後までやり遂げる人間になれ、と言う願いが込められていると言う。
その為幼い頃から事あるごとに、嘘をつくな、そして筋が明確に通っていて一貫していることを意味する透徹で、冷静に物事の根本まで深く鋭く見通す冷徹さと、清く透き通る様を表す朗徹な人間になれ、と父親からも厳しく躾けられた。
その事に反抗する気など起きないほど、心と体に刷り込まれていたのだろう。学校の友人達には真面目で面白みがない奴だとよく言われたものだ。一方で嘘をつかないから信頼できる、頼りがいがあるという評価もされた。
佐倉はそういう自分が好きとか嫌いなどと考えたことがない。自分は生まれた頃からそういう人間なのだと信じ、言い聞かせていたのかもしれない。祖父の影響を受けたのか、佐倉家一族が代々公務員を多く輩出していたこともあったのだろう。
父は東大を卒業して国家公務員一種を受け、警察庁に入庁した。高校を卒業して警視庁に入るための試験を受けたノンキャリアの祖父が、苦労していた姿を見てきたからかもしれない。キャリア組となり、今年定年を迎えて関東管区警察局の局長の職を辞したばかりだ。
祖父が警視庁で警部補として退官した事と比べれば、父はそれより五階級上の警視監まで昇りつめた。警視庁でいえば副総監や部長職の役職だ。
そんな父の影響を受け、一橋大学を卒業して同じく国家公務員一種を受けた佐倉だが、入省出来たのはあまり人気がないと言われる法務省だった。国家一種の合格者の中でも優秀な成績を収めた者は、上から順に財務省や警察庁、次いで外務省や防衛省や経済産業省や金融庁へと入る。
しかしそこまで優秀ではなかった佐倉は、競争の激しい人気のある省庁は選べなかった。ただその中でも法務省を選択したのは理由がある。かつては序列筆頭の省であった法務省の任務は、基本法制の維持及び整備、法秩序の維持、国民の権利擁護、国の利害に関係のある争訟の統一的かつ適正な処理、並びに出入国の公正な管理を図ること、と謳われていた。
祖父や父は警察として国民の安全を守ってきた。その根本となる法律に関わる仕事に興味を持ち、国民の権利擁護の為働くことに意義を感じたのだ。決して安易な考えで選んだ訳ではない。父にも入省する際に相談はしたが、反対されることなく背中を押してくれさえした。
「自分がそう思ったのなら、信じて前に進みなさい。その初心を忘れず仕事に邁進していれば、後悔することはない。国民の為に身を粉にして働く覚悟さえあれば、それでいい」
喜怒哀楽の激しかった祖父とは対照的に、父は寡黙で感情を表に出さなかった。そんな父が淡々と、しかし噛み締めるように発した言葉である。だから入省して十年目になった今でも忘れたことは無い。
そんな佐倉の血筋と性格を木下は知っている。さらに近親が起こしたあの事件のことも念頭に入れた上で、彼はどうするつもりだと尋ねたのだろう。
「木下くんには申し訳ないけど、さらりと調査して終わらせることは私の性分からして無理だよ。もちろん私達は警察じゃないから捜査権もない。調べろと言っても人員は二人。限界はあるだろうし、何も分からずに終わるかもしれない。でも折角調査しろと言われたのだから、少なくともここまで徹底的に調べた、と納得するところまではやってみたい」
「例えば、どんな感じで調べるつもりですか?」
「まずはこれが単なる事故による紛失か、意図的な紛失かを明らかにしないと。それに関係して書類が落ちる、または抜き取られる可能性がある場所となると三か所だけだから、そこは調べる必要があるかな」
「三か所? 甲府地検の書庫か、こっちの会議室以外にどこがあります?」
「その間、道中よ。課長も言っていたように何かトラブルがあった、または意図的であればその間に抜き取ることもできる」
これには木下も驚いて反論してきた。
「ですが大飯さん達はスーツケースから目を離していないし、肌身放さず持っていたと言っていました。それにもしそうだとすれば、本当の意味で事件になってしまいますよ」
「それが本当かは分からない。その件について尋ねた時の二人の反応には、若干違和感があった。何か隠していることがありそうな気が私はした」
「そ、それは本当ですか。じゃあ、あの二人が絡んでいるってことですか?」
「いや、そうとも限らないよ。何かあったとしても、直接紛失と関係するかは今のところはっきりしない。セキュリティは万全だったはずだから」
そこまで言うと彼は唸った。
「なるほど。ではまずはあの二人に甲府からここへ来るまでの出来事を、再聴取する必要がありますね」
「正直に話してくれるかどうかが問題よ」
「そうですね。隠した犯人なら嘘をつくかもしれません。しかしそうなると何故そんなことをしたか、動機が気になります。軽い処罰では済まされないでしょう」
「そう。紛失が意図的だったとすれば、何らかの目的があるはず。誰がどんな動機を持っているのかを探る必要があるでしょう。紛失が単なる事故だったとしたら、場所は今のところ甲府か道中しか考えられない。こっちは会議室や書庫など可能性のあるところを徹底的に調べているからね。甲府の方は資料の再作成が出来て回収する際、調べるしかないかな。そうなると道中で目を離した時間帯が無かったかを、先に見定めないと」
「まずはそこから手を付けるってことですか」
「そこで立証した内容から、外部犯行の可能性があるかも分かるんじゃないかな。今の所、意図的に隠せて資料一式に触れることができたのは、大飯達と検事を含めて三人だけ。しかし外部の人間も含むとなれば、調査の範囲が広がるから厄介になる」
「峰島検事も対象ですか?」
「当然入るでしょう。意図的に隠したとなれば検事だって可能性がないとは言えない。動機は分からないけど、それは大飯達も同じだからね。今の時点で外す理由は無いと思うよ」
「なるほど。とりあえずまずは大飯さん達に山梨からここの会議室に運ぶまでの間の出来事を聴取するとして、その次はどうしますか」
「改めて地検での受け渡し状況の聞き取り、そして会議室での峰島検事と一緒に書類を見始めた際の状況を確かめる。再度詳細に聴取して、大飯と間中くんの話が一致するかどうかだね。それらを完全に調べ切った後でないと、書類は無いと否定している甲府に乗り込んで調べることもできない。そうでないと向こうも調査に応じてくれないだろうから」
「責任問題になりかねませんからね。大飯さん達の話を聞き終わったら、どうしますか?」
「峰島検事に大飯達から書類を受け取った際とその後の行動を聞く。それが彼らの証言と一致するかの追認も必要だからね。抜き取ったとしたならそれが可能だったか、そしてどうやって今なお隠し続けているか、を見極めなければいけない。後は動機さえ分かればいいんだけど、そこまで探るのは難しいかな」
「ああ、そうか。峰島検事が係わっていたなら事故で紛失という可能性は無いから、意図的にやった場合しかない。そういうことですね」
「そう。検事のこれまでの経歴や過去に扱った事例なども含め、動機に繋がるものがあるかを突き止めることも必要になるかもしれない」
「え? そこまでやるつもりですか?」
目を丸くする彼に佐倉は答えた。
「その必要があればよ。その前に書類が発見されるかもしれない。それに大飯達の動機を探る方が先になるかもしれないでしょう。話によっては第三者が関わっている可能性があるし、そうなるとそっちの動機やアリバイ、抜き取った方法等も調べなければならなくなる」
「佐倉さんはそんな事まで考えていたのですね」
「考えていた訳ではないけど調べるとなれば、それぐらいやらないと甲府での調査はできないんじゃないかな。それにその途中で終わることだってあり得るよ」
「そうですね。まずは甲府に行くまでにどれだけ調査して、どこまで突っ込む必要があるかを見極めるところから始めましょう。やることが明確になればあとは実行するか、しないかだけですね」
だがここで大きくため息をついた彼は、意を決したように姿勢を正して言った。
「佐倉さんの足を引っ張るようなことはしません。しかし最初にこれだけは言っておきます。問題が問題だけに、ここからは踏み込めないと判断する時が来るかもしれません。その場合私は身を引く可能性があることを覚悟していただけませんか。こんな言い方は卑怯で失礼かもしれませんが、独身の佐倉さんと違って私には守るべき家族がいます。下手を打って仕事を首になったり、降格人事をくらったりする訳にはいきません」
「うん、それは分かっている。ただでさえ巻き込んでしまって悪いと思っているから気にしなくていいから」
木下は真面目だが、上昇志向の強い人間ではない。言われたことは確実にこなすが、それ以上の新しい提案を積極的に行ったり、自分の意見を強く主張したりするタイプではなかった。石橋を叩いて渡らない、ある意味典型的な今時の官僚タイプと言っていい。佐倉は心の中では寂しい思いをしながらも、自らが背負わなければならないこれからのことを考えながら、ジョッキを口に運んだ。
佐倉の親戚達は、祖父の代から公務員が多かった。警視庁に入った祖父は三人人兄弟で、都庁や隣の埼玉県庁で働いていた。その影響からか、従兄弟達の多くも公立学校の教師などを含め、国家公務員か地方公務員になっている。いわゆる一般の企業の就職し、サラリーマンになったものはほとんどいない。
その為経済的には特別裕福な者もいない代わりに、皆が東京近郊に住んでいて比較的安定した生活を送っている。かつて言われた一億総中流世帯ならぬ、一族総中流世帯だ。皆それなりの学校に通い、父のように東大卒もいたが、国公立だと一橋や東工大、横浜国立、私立だと慶応や早稲田、上智や青学、立教や法政などを主に卒業している。佐倉の他にも官僚になった従兄弟は複数いた。
世の中ではバブルが崩壊し、不況だった頃はやはり公務員が安泰だと言われてきた。しかし近年、長期的に安定政権が続いて少し景気が持ち直したと思った途端、官僚にとっては不遇とも呼ぶべき時代へと突入している。それは四年以上続く、国会における政府や官僚が行う答弁に対しての、国民による不信感によるものだ。
もとを正せば国有地を不正な価格で売却したとされる疑惑から始まった。その後二転三転する答弁、挙句の果てには過去の公文書を改ざん、または隠蔽などが立て続けに起こり、それは未だに止まる事がない。
この問題は政治家達だけでなく、大臣達の答弁をする原稿を作成したり、実際に答弁に立たされたりした官僚達にも火の粉が降りかかった。さらに検察の特捜が動く騒ぎへと発展したケースもある。そんな中で、官僚の一人が自殺する事件まで起こったのだ。
これらの騒ぎは法務省に在籍する佐倉にとって、他山の石では無かった。同じ官僚仲間だからではない。その自殺した財務官僚は、佐倉より五つ上の従兄だったからだ。
佐倉の曾祖父の時代は、とても貧しい生活だったらしい。そんな中、三人兄弟の長男だった祖父が高校を卒業してすぐに警察官となり、生活を支えていたそうだ。弟達が大学へ行くための学費も出したらしく、二番目の弟が当時の都立大学へ進み、後に都庁へ就職、末っ子が一橋を卒業後、当時の文部省へ入省したという。
その頃から佐倉一族それぞれが、貧乏から一気に中流からやや裕福な家庭を築くようになったそうだ。そうした成功例があったからかもしれない。生活を安定させるためにと、その子供達の多くも公務員になっていった。
その中で祖父の一番下の弟が経済的には最も裕福となり、都内に大きな家を建てたという。そして祖父のおかげで今の自分達があると言い、その上の兄と共に年末年始は祖父の家族達も招きもてなすなど、親戚一同揃って年を越す習慣が根付いたそうだ。
それはその息子の代になっても続いた。一年に一回、佐倉達も幼い頃から集まりに参加していた記憶がある。大人だけでなくその子供達も含め、多くの親戚が集っていた。その為歳の近い従兄弟達と遊んだり、大人達にはお年玉を貰ったりして、毎年とても楽しみにしていた行事だった。
しかしそれが十数年前に起こった事件で一変する。祖父の二番目の弟の息子で今の国土交通省に入った親戚が、汚職事件に巻き込まれて自殺したからだ。後に彼の直属の上司が逮捕され、幸いその部下だった彼に罪は無かったことが明らかになった。
彼は上司の罪を被るため、責任を取って命を絶ったらしい。それでも当時は周囲から相当な非難を浴び、一族の中でも泥を塗ったと怒り出す大人達もいた。その為事実が明らかになってからは犯罪者呼ばわりをしていた親戚と、そんなはずはないと庇っていた親戚達との仲が決裂したのだ。よって恒例だった年末年始の集まりは、その後開かれることも無くなった。
しかし悲劇は繰り返された。今度は当時最も非難していた親戚の息子が、上の指示により一昨年国有地売却の経緯を示した文書の書き換えを行っていたのだ。そして世間が大きく騒ぐ中で責任を感じ、自らの命を絶った。
まだ親戚の集まりがあった頃、幼かった佐倉はその従兄にとても優しく接して貰っていた記憶が残っている。よく遊んでもらったし、彼はとても頭が良かったので真面目な相談にも乗ってくれた。親戚付き合いが疎遠になってからも、彼とは同じ官僚になったことから定期的に連絡を取っていたのである。そして色々とアドバイスを受けたりしていたのだ。財務官僚という強い力と広い人脈を持っていた彼のおかげで、仕事の上でも助けられたことが何度かあった。
彼の死後、気さくだが仕事にはとても真剣に取り組んでいて、真面目で優秀だったと同僚達の多くから異口同音の話を耳にした。祖父母が亡くなった時でもそれほど泣かなかった佐倉だが、彼の葬式に参列した時には人目をはばかることなく号泣したものだ。それだけ彼の事を慕い、頼りにして尊敬もしていた。
だからこそ佐倉は、その後官僚組織に対する怒りを強く持つようになったのだ。十数年前に同じく親戚が自殺した時は、まだ学生だった。その為身に染みる程の感情が湧くことは無かった。どちらかというと近しい親戚が起こしたこととはいえ、多くの大衆と同様、どこか他人事のように捉えていたと思う。
しかし同じ官僚の一員となった今では国民の為ではなく、何故上司やその上にいるらしい政治家達の尻拭いの為に、馬車馬のごとく働かなければならないのかと憤慨した。国会で問題が起こる度に朝早く夜遅くまで、答弁の為の資料作りや書類の捜索に追われ、挙句の果てには命まで奪われてしまう。または責任を取らされ辞任させられるのだ。そんな不条理な事が許される訳がないと、やるせない気持ちにもなった。
祖父の時代から始まった、国民の命と財産そして権利を守るために身を粉にして働くことを厭わない精神はどこへ行ったのか。そして佐倉家はいつから根本にある志を忘れ、いつの間にか組織の中に埋もれていったのかを考えるようになった。
国家公務員の雇い主は、あくまで国民だ。民間企業なら消費者の顔を見ないで社内の人間の顔色ばかりに目を配っていれば、いずれは腐っていき会社は潰れる、または業績不振に陥るだろう。しかし国家公務員は違った。国はそう簡単に潰れない。それがこれまでのような腐敗を生んでしまったのだろう。
いつからそんな愚かな組織になり下がったのか。理想や本道を掲げることが馬鹿を見る風潮となり、目先の現実路線を進む余り、国の行く末を大きく歪ませていることに何故気が付かないのか。祖父が生きていたら激しく憤り、嘆いていただろう。
日頃は静かで今は第一線から退いている父でさえも、最近はテレビや新聞を見る度に機嫌が悪くなり、毎日のように愚痴を吐いている、と母から聞かされていた。正義感が人一倍強かった父にとっても、この現状は辛抱できないはずだ。
十数年前の国土交通省での汚職事件の時も、警察庁にいたことで人脈をフルに活用し、検察も動かして真相究明のため奔走したと聞いている。親戚の無実を晴らすという私情からではなく、国民の期待を裏切った官僚の犯した罪の根本が、どこにあるのかを探っていた。それを暴き世間に知らしめることで、二度とそのような事が起きないよう膿を出し切ることが自分の役目だと、心の底から思っていたようだ。
もちろん越権行為だと非難されたこともあったそうだが、父はその信念に従って多くの仲間を集って動いたと言う。おかげで真相の一部は解明されたが、その後の父への風当たりは厳しくなったらしい。そして本来ならもっと上のポストに昇ると思われていたが、結局ラインからは外された。
それでも父は自ら行ったことに悔いは無いと退職する際も言い放ち、最後の挨拶では珍しく感情を露にして、後輩達に最後の訓示を述べたそうだ。中身はごく普通の、国民の為に働けと言うものだったらしい。しかしその当たり前のことが
そうした背景もあって、当初は退職後の再就職先が見つからなかったらしい。しかし捨てる神もいれば、拾う神もいる。世の中にはきちんと見ている人がいるようだ。同じく警察庁を退職した、かつての上司の勤める企業から声がかかったのである。そこは所謂天下り先と呼ばれるような、警察機構の息がかかった会社では無かった。
それでも父は条件を聞き、週三日の勤務で十分だといって正社員ではなく、契約社員として働き始めた。その代わりに同じく不遇な境遇で警察庁を辞めた者がいれば、正社員として雇って欲しいとお願いしたそうだ。
佐倉はそんな馬鹿が付くほど実直な父の背中を見て育った。そのせいか、省内では勤勉だが融通の利かない要領の悪い職員だと、同僚や上司達からは評価されている。これも血筋だろう。それでも木下など気の置けない後輩にも恵まれ、忙しいがそれなりに遣り甲斐のある仕事ができる環境にいた。
それに父ほど自分の信条を曲げない強さなど、自分には無いと思っていた。祖父や父のような警察関係を就職先に選ばなかったのは、そんな自分の弱さを知っていたからだ。いざとなった場合、逃げてしまうことが怖かったのかもしれない。
だが今回自分が置かれている立場は違う。ここでどう動くか。書類紛失の調査をするよう局長から指名された時点で、佐倉は自分が試されているのではないかと感じた。それならこれからの為にも出来る限りのことをしようと腹を括ったのだった。
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