21回目 海は三度繰り返す
海。
海だ。
俺は海に来ていた。
「いやぁ、久しぶりだなぁ!」
俺は三度目だ。とも言えず、無難に、そうだな、と返した。
「お待たせ」
「ごめん、遅くなっちゃったぁ」
女性陣の水着姿を見るのも。
最初はちょっと戸惑ったもんだが、さすがに三度目はそうでもない。
「ねぇ、伊織くん、変じゃないかなぁ?」
「あ、あぁ、いいんじゃないか?」
嬉しそうに微笑む朱莉ちゃん。
この質問も三回目だ。いや返答は毎回一緒なんだけどね。
朱莉ちゃんは小柄なのもあるが、少し胸の谷間を強調して見せてくる。男としては眼福以外の何物でもないのだが、見せつけられると目のやり場に困るし、対応にも困るというわけだ。まぁ許可をもらっても凝視はしないが。
それに朱莉ちゃんも決して小さくはないのだが。
「なによ」
「……別に」
明日香が大きいだけに、少し攻撃力は劣っている。何の、とは言わないが。というか俺は明日香一筋だから、他の女の子に目移りしてる暇もないんですよ。ええ。
「よし、じゃあ泳ぐか!」
「いえーい!」
祥吾と朱莉ちゃんが海に向かって走り出す。準備運動しないと足が攣るぞ。
「…………」
「何か言いなさいよ」
「に、似合ってるんじゃないか」
「そ、ありがと」
にこっと笑う明日香。
あぁもう可愛いな。前言撤回。彼女の水着姿は三回目でも慣れない。
海に来ている、と言っても、もちろん今日は7月22日だ。断じて明日などではない。
俺はみんなに無理言って、授業をサボって海に来ていた。一日くらいどうってことないだろう。許してくれ。俺は今日しかないんだ。
まぁそんなことは言えないから、うまく言いくるめただけなのだが。赤信号みんなで渡れば怖くない理論で押し込んだ。否、ねじ込んだ。三回目ともなれば、そこそこうまく誘導できたとは思う。そこは威張ったって仕方がないが。
「しっかし、この時期は案外空いてるもんなんだなぁ」
「ぎりぎり夏休み前だしな」
この会話も当然の如く三回目だ。別に返答を変えたっていいのだが、なんとなくめんどくさい。
俺と祥吾は遅めの昼食の焼きそばを買うために出店に並んでいた。人が少ないと言っても、夏の海だ。まぁまぁ人はいる。長時間並ばないまでも、多少なりとも待たねばならない。
ただ正直そんなことはどうでもいい。俺としてはこのあとのことの方が問題だ。三度同じことを繰り返すということは、達成できていないことがあるからに他ならない。繰り返していることに気づいていないときならいざ知らず、気づいたあとに、考えなしに同じことを繰り返すなど阿呆である。そんなもの、ただ死ぬだけなのだから。
「君たち可愛いね~」
「あれ、お姉さんたちだけ?」
「良かったら、俺らとちょっと遊ばない?」
焼きそばを買って戻ると、明日香と朱莉ちゃんが男三人に囲まれていた。と言うよりナンパされていた。こんなテンプレみたいなナンパが本当にあるとは驚いた。最初は何してんだよ、と少し怒りも沸いてきたが、三回目だと面白く思えてくるから不思議だ。心の余裕って大事だね。
ただそれは俺だけの話で、ナンパしている方もされている方も、そして見ている方も今回が初めてなのである。
「おいお前ら。俺の大事な人に何してんだよ」
急に告白するな。好きな子と二人きりとかじゃないんだぜ? 気持ちはわかるがそこは『連れ』とかにしておけよ祥吾。あと今そこに女の子は二人いるんだけど大事な人ってどっちのこと? まぁ俺は知ってるんだけどさ。
「ちっ、なんだよ男連れかよ」
掌を返したかのようにチンピラ面をして、男たちはどこかへ行ってしまった。テンプレナンパ野郎選手権があったら準優勝ぐらいするんじゃないか? 喧嘩に発展してたら優勝だったと思うぞ。なんて何の意味もないアドバイスは置いといて。
「アカリ、アスカちゃん、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。声かけられたばっかだったから」
良かった、と明日香に笑いかける祥吾。
ナンパ問題は何事もなく収まった。
「伊織くーん、怖かったよぉ」
そしてわざとらしく俺に駆け寄ってくる朱莉ちゃん。
そう。問題というのはこの二人のことだ。これをどうにかするために、わざわざ何度も海を繰り返しているのだ。
俺は、何事もなくて良かったよ、とそれらしいことを言って朱莉ちゃんをなだめる。チラッと明日香を見るが、明日香も祥吾の対応に少し困惑しているように見えた。
あまり自分で言いたくはないが、この二人に明日香と付き合ってることを言わなかったのがあだになった。まさかこんなことになるとはな。
「とりあえずご飯でも食べようぜ」
膠着していても仕方がない。この場を動かすしかないのだ。
俺たちは取っていた場所に戻り、買ってきた焼きそばを配る。
「私飲み物買ってくるね」
「あ、アスカちゃん、俺も行くよ!」
着いて早々飲み物を買いに行こうとする明日香についていく祥吾。ここまではいつもの通りだ。
残された俺と朱莉ちゃん。
さて、どうするか。
結論を言うと、俺はこの後、朱莉ちゃんに告白されるのだ。
しかし、それをどう対応すればいいのかわからず、先の二回は少し失敗していた。
さすがにもう四回目は嫌だ。何が楽しくて同じことを繰り返さなきゃならんのだ。
別に何度も女の子から告白されたいなんて思わない。明日香がいなかったらその余韻に浸っていたかもしれないが、その「もしも」に意味はない。俺には明日香がいる。それで十分。それだけで十分だ。
気を遣うのはもうやめにしよう。
戸惑うのもやめろ。
申し訳ないが、俺は死ぬんでね。
最後くらい、言いたいことを言ってやる。
「祥吾たち遅くない?」
「そうかなぁ? でも何かあったら連絡くるんじゃない?」
まぁ、朱莉ちゃんが話すわけもないんだが。
これは推測でしかないが、おそらく祥吾と朱莉ちゃんはグルだ。祥吾は明日香と、朱莉ちゃんは俺と二人きりになるように協力体制を取っていたのだろう。
別にそれが悪いとは言わないが、俺の知らないところで祥吾が明日香に告白しているのが嫌だ。明日香は俺の彼女だ。誰にも渡さん。
「でもちょっと心配だから、探してくるよ」
それっぽい理由をつけて俺は立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そしてそれを、朱莉ちゃんは止める。
「たぶんもうすぐ帰ってくるし、入れ違いになっちゃってもアレだからさ。待ってようよ」
確かに朱莉ちゃんの言っていることは間違ってはない。そんなに心配なら連絡を取ればいいだけの話だ。普通に考えたら無理にここを動く必要はない。俺だって最初はここを動かなかった。しかし、それだと何も変わらない。変えられない。
というか動いても動かなくても、朱莉ちゃんからは告白されるのだ。何もそれを避けたいわけじゃないし、おそらく余程のことがない限り、この事実が変わることはないだろう。だったら動くしかない。
「待って!」
それでもなお動こうとする俺の手を、朱莉ちゃんは取った。
「なんで行くの?」
「なんで、って……」
「明日香ちゃん?」
朱莉ちゃんはそれしか言わなかった。でもそれだけで言わんとしてることはわかる。前回も動こうとしてこの流れになったし。
「……伊織くんって、明日香ちゃんと付き合ってるの?」
何も言わない俺に、朱莉ちゃんは言葉を続ける。
それでも俺は何も答えなかった。
ここで答えるつもりもなかった。
「っ! 待って!」
俺は朱莉ちゃんの手を振りほどいた。
別々にするからややこしくなるのだ。
あいつも困っているだろう。
どうしようかと悩んでいるはずだ。
じゃないとあんなに気まずくならない。
俺たちは優しすぎたのだ。
いや、優しいのかはわからないが、傷つけまいとしすぎた。
壊すまいと臆病になりすぎた。
だったら俺が。
明日のない俺が。
ここで突き破るしかない。
「伊織くん!」
俺は朱莉ちゃんに構わず、明日香と祥吾を探した。
普通だったら、こんな海水浴場で二人を探すのは骨が折れる。
しかし、状況が状況だ。大衆のど真ん中で告白なんぞするわけがない。
二人きりになれて、告白できそうな場所。
どこだ。
どこだ。
……っ!
「伊織くん!」
人混みから少し外れたところ、岩場のあたりで朱莉ちゃんが俺の手を掴む。と同時に俺の足も止まった。
「待ってよ……」
俺は振り返り、朱莉ちゃんと向かい合った。が、俯いたまま何もしゃべらなかった。
「何で何も言わないの?」
朱莉ちゃんの目が、まっすぐ俺を見つめている。しかし、俺はそれから逸らすばかり。
周りの人の声と、波の音だけが耳に入ってくる。
俺も何も言わないし、俺の言葉を待つように朱莉ちゃんも何も言わない。
気まずいというかなんというか、正直こんな空気好きじゃない。いや好きな奴もいないだろう。
しかし、この沈黙が長く続くことはなかった。
「あたしね……」
俺が何も言わないからしびれを切らしたのだろう。
恐る恐るというように朱莉ちゃんが口を開く。
「ずっと前から、伊織くんのことが……」
「「好きです!」」
同じ言葉が重なる。
お互いはお互いを認識してないだろうけど、確かに重なった。
大声で叫んだわけではないが、想いのこもったその言葉たちは、確かに俺の耳に届いた。
いや、届くところにいた。
届くところまで来ていた。
「朱莉ちゃん、ごめん」
俺は顔を上げて、その両の目で朱莉ちゃんを見た。
視線の先の彼女の顔は、少しだけ崩れていた。
「……なんで?」
細い声で言葉を紡ぐ。
おそらく朱莉ちゃん自身も、聞かなくても察しているだろう。
しかし人間というのは、しっかりと言葉を伝えないと中々割り切れないものなのだ。
だから、俺は言葉を紡ぐしかない。
後悔を残さないために。
自分の想いを。
「伊織……くん?」
俺は朱莉ちゃんに背を向け、岩陰に入る。
そして俺を追うように朱莉ちゃんが来たところで。
「俺の彼女に何か用か?」
俺は祥吾にそう告げた。
びっくりして振り返る祥吾。そして俺を見るや否や、その目は大きく開かれた。
「イオリ……? なんで?」
「伊織……」
固まる祥吾の後ろの方で、明日香も驚いた顔をしていた。まさか俺が出てくるとは思わなかったのだろう。しかし、その顔は少しずつ安堵の色を帯びていく。俺同様、告白に困っていたことは、想像に難くない。
俺は祥吾に近づいた。
「邪魔してごめんな。あと、ずっと黙っててごめん。中々言い出せなくってさ」
そして俺は祥吾の脇を抜けて、明日香の隣へいく。
「俺たち、付き合ってるんだ」
俺は明日香の肩を抱き寄せた。
「ちょ、伊織……」
明日香は恥ずかしそうにびくっと揺れたが、次第に力が抜けていき、俺に身体を預けてくれた。
「アスカちゃん……」
「祥吾くん、ごめん。私、伊織が好きなの」
目の前で言われると照れるな。
「そっ、か……」
うつむく祥吾。そしてその後ろの方では、朱莉ちゃんも同じようにうつむいて、胸を抑えて悲しそうな顔をしている。
「伊織、もしかして……」
「……あぁ」
それしか言わなかった。でも、それだけで明日香にも伝わった。明日香も朱莉ちゃんの気持ちには気づいていたのだろう。今の状況を見れば、俺の答えも一目瞭然だ。
朱莉ちゃんはそのまま走ってどこかに行ってしまった。
「なら、しゃーねーな」
そして祥吾も顔を上げてにこっと笑ったが、誰がどうみても、それは作り笑顔だった。しかし、俺や明日香が祥吾にかけてあげられる言葉はない。謝っても、余計みじめな思いをさせるだけだ。
「ちょっと、トイレ行ってくるわ!」
走っていく祥吾の後ろ姿に、心の痛みは感じていたが、俺にはこれしかできなかった。
いや、こうしたかったのだ。
ちゃんと伝えたかった。
明日香と付き合ってることを。
そして祥吾と朱莉ちゃんの気持ちには応えられないことを。
「これで、良かったのかな?」
「わからん……」
言ってしまえば俺のわがままだ。
死ぬ前の、わがまま。
「二人とも、大丈夫かな」
フッた本人が言うのもどうかと思うが、その気持ちはわかる。
「俺一人じゃ不満か?」
「そ、そういうわけじゃ……っ!」
でも俺は、もうわがままを通すことしかできない。後悔を残すことはできない。
俺は明日香にキスをした。
長い、長いキスをした。
「明日香、好きだ」
「……私も、好き」
少しばかりの心の痛みをこらえ、もう一度、俺たちは唇を重ねた。
そのあとはさすがに遊ぶ気分にはなれなかった。
一応、祥吾と朱莉ちゃんとは合流したが、気まずいなんてもんじゃない。
こうなってしまえば、あまり海にいる意味はないので、帰ろうということで一致した。
帰り道、四人の団体であるのはそうなのだが、どこかよそよそしく、距離が開く。
仕方がないと言えば仕方がない。
こうなることはわかっていた。
実は先の二回でも似たようなことにはなっていたのだ。ただ、少なくとも一つだけ、俺の心だけは少し満たされていた。言いたいことを言えた満足感だけは、確かにあった。もちろん、それで今の気まずさがなくなるわけではないのだが。
「イオリ」
「……なに?」
駅へと続く階段で、後ろから祥吾が声をかけてくる。その顔はフラれた時とは違い、何かを決めたような顔だった。
そして朱莉ちゃんは前を歩く明日香の元へと駆けていった。
「俺、やっぱアスカちゃんのこと好きだ。だから――」
「謝るなよ?」
「え?」
「別に誰が誰を好きだろうが、それは俺には関係ないし、好きな人に恋人がいるからって、その人を好きになっちゃいけないわけでもない。その先は色々ないざこざに発展するかもしれんが、それ自体は自由だ。謝る必要なんてない。……だから俺も謝らない」
祥吾は目を丸くして俺を見ていた。
「今回はそれでチャラにしようぜ」
「イオリ……」
「まぁ、死んでも渡さんがな」
フッと笑った俺に、祥吾の顔も柔らかくなる。
「俺も諦めないぜ」
往生際が悪いと言えばそうだろう。場合によっては鬱陶しい。自分の恋人にちょっかいをかけてくるようなものなのだから。
でも、お互いの気持ちは言い合った。それで十分だろう。それでどうこうなってしまう程、俺と祥吾の仲は浅くない。それに――。
「それなら安心だ」
「え?」
キョトンとする祥吾だったが、俺は踵を返して再び階段を上る。と、前から朱莉ちゃんが下りてきた。
「伊織くん、あたし、諦めないから!」
朱莉ちゃんの後方に見える明日香は、ヤレヤレといった顔をしていた。おそらくあちらも似たような会話をしていたのだろう。逆に祥吾と朱莉ちゃんが付き合ってはどうだろうとも思うけれど、それを言うのは相手に失礼というものだろう。
「……そっか。強いな」
「そんなことないよ。諦めが悪いだけ」
少し申し訳なさそうに見えるけど、それもさっき祥吾に言ったのと同じことで、朱莉ちゃんの自由だ。
「だから、これからもアプローチするから覚悟しといてね」
そう言って朱莉ちゃんは俺の腕に抱き着いてくる。
「……俺はやめといた方がいいと思うよ」
「え?」
そう言うことしかできないし、俺の意図は伝わらないだろうけど、言った方が俺が納得できる。それだけだった。
「朱莉! それはちょっとやりすぎ!」
さすがに朱莉ちゃんの行動は看過できなかったのだろう。慌てて明日香が下りてくる。
「あっ!」
が、足を滑らせてしまい態勢を崩してしまった。
「明日香!」
俺は朱莉ちゃんの腕を振りほどき、落ちていく明日香に手を伸ばす。
明日香も俺の声に反応し、手を伸ばしてきた。
俺はその手を掴み、力いっぱい引っ張る。
回転するような形で、明日香は落下を免れなんとか態勢を整える。
しかし。
代わりに俺の身体がふわりと宙に浮いた。
「伊織!」
それを見て、明日香は離れた手をもう一度掴もうとするが、もう遅い。
差し出した明日香の手と、必死に伸ばした俺の手は空を掻く。
その瞬間に察した。
ここで終わるのか、と。
それでもいい。
やり残したことはない。
自分の気持ちもしっかり言えた。
あいつらの気持ちもしっかり聞けた。
けど。
満足したはずの心にかかる小さくも大きな靄が、まだ終わらないことを俺に悟らせた。
俺は祥吾と朱莉ちゃん、そして明日香の姿を目に焼き付けながら、ゆっくりと頭から落下していった。
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