30回目 夏の日は過ちを忘れてはいない

 何度繰り返しただろう。

 まぁ初めから数えてなどいないし、そもそも繰り返していることに気づいたのが何回目なのかもわからないのだから、数えようもない。

 というか今が何回目かなんてどうでもいい。

 この先何度繰り返すのかも、もはや知ったこっちゃない。

 俺はたぶん、また繰り返す。

 もうずっとこのままかもしれない。

 やりたいことをやって。

 死んで。

 明日香と一緒に過ごして。

 死んで。

 死んで。

 死ぬんだ。

 あと何回死ぬんだろう。

 あと何回死ねばいいんだろう。

 俺がやりたいことってなんだ?

 俺は何がしたいんだ?

 俺は何を、してきたんだ?


 海に行った。

 四人で行ったあと、明日香と二人で行った。

 同じように誘って、泳いだり、砂浜で遊んだり、美味しいものを食べたり。

 でも俺は死んだ。

 トラックに轢かれて死んだ。

 電車に轢かれて死んだ。

 死んだ。

 死んだ。


 プールも行った。

 明日香と二人で。

 流れるプールに身を任せ。

 一緒にウォータースライダーに乗って。

 アイスを食べて。

 なぜかいつもより美味しく感じるカップ麺を食べて。

 そしてまた死んだ。

 運転中の事故に巻き込まれて死んだ。

 明日香を助けて死んだ。

 死んだ。

 死んだ。

 死んだ。


 旅行にも行った。

 明日香が行きたい場所に。

 明日香と行きたい場所に。

 一日しかないけど、行けるところまで。

 電車を乗り継いで。

 新幹線に運ばれて。

 飛行機で飛んで。

 富士山を見た。

 お寺を見て回った。

 お肉を頬張った。

 海鮮を好きなだけ食べた。

 増えては消えていく思い出を、たくさん作った。

 作って。

 消えて。

 作って。

 消えて。

 そして。

 死ぬ。

 どこにいても死ぬ。

 何をしていても死ぬ。

 明日香のいないところで。

 明日香の目の前で。

 死んで。

 死んで。

 死んだ。

 死んだ。

 死んだ。


 何をしよう。

 何がしたい。

 わからない。

 俺は今生きているのか?

 死んでいるのか?

 死ぬまで生きて。

 生きてたら死んで。

 川には行けど、渡らぬまま。

 そうして何度も繰り返し。

 自分がわからなくなっていく。

 今歩いているこの道は。

 この真っ暗な世界は。

 夢か現か。

 現か夢か。

 夢も現も終わらぬままに。

 また今日を繰り返す。

 今日は何をしていた?。

 そもそも今日とはなんなのか。

 明日じゃないから今日なのか。

 昨日もわからないのに今日なのか。

 わからない。

 わからない。

 自分がわからない。

 俺はあと何をしていない?

 何をやりきれていない?

 何を。

 何が。

 何で――。


「えっ」


 突然腹部に痛みが走る。

 気がつけばすぐ目の前には人が立っていて。

 両手で持った包丁を。

 俺の腹部に刺していた。

 着ていた服に、じわっと血が染みていく。

 身体を伝い、流れていくのがわかる。

 痛いのに。

 痛くないような。

 ……そういえば。


「これはまだやってなかったな」


 ポツリと漏れ出た俺の声に、刺してきた男の身体はビクッと震えた。

 突然しゃべるとは思っていなかったのだろう。

 いや、声を出すことは想定できていたかもしれないが、ここまでちゃんと言葉を発するとは思っていなかったはずだ。

 男は包丁から手を離し、ゆっくりと後ずさる。

 男の目は大きく開かれ、腹部に包丁を刺されながらも微動だにせずに自分を見つめてくる、自分が刺した男を凝視していた。

 離れていく男に、俺はゆっくり近づいた。

 そして自分の腹部に刺さった包丁を掴み、引き抜く。

 抜いたそばから鮮血が溢れ出す。

 身体からどんどん抜けていくのがわかった。

 流れ出る血が面白いとさえ思った。

 不思議な感覚だった。

 視界が霞むようで、でもしっかりと男は見えている。

 身体はふらついているはずなのに、確かに男に向かって歩いていた。

「どうせ死ぬんだ」

 自然と上がった口角に、男はさらに目を見開き、顔がどんどん歪んでいく。

 足が思うように動かなかったのか、躓いてその場にしりもちをついた。

 どんな感じがするんだろう。

 やってみないとわからないよな。

 俺は自分の血に染まった包丁を小さく振りかざす。

 男は必死に手と足を動かして逃げようとするが、うまく動けていない。

 殺す気で来たんだ。殺されても文句はないだろう。

 逃げる男をゆらゆらと追いかけて。

 顔には自然と浮かんだ笑みを携えて。

 そして。

 俺は――。


 男を刺した。


 刺した。

 刺した。

 刺した。

 刺した。

 乾いた笑い声が、男の叫び声にかき消され、夜道に溶けていく。

 手に伝わる感触。

 とめどなく溢れてくる鮮血。

 身体を覆いつくす鉄の匂い。

 どれも新鮮だった。

 味わったことのない感覚だった。

 気づけば男は動かなくなっていて、俺は刺す手を止めた。

 目の前に広がる光景が、ゆっくりと、しかし確実に、自分の脳に伝わってくる。

 手から包丁が滑り落ちていった。

 何も掴んでいない手は、真っ赤に染まっていた。

 最初は自分の血だけだったはずの手は。

 目の前で倒れている男の血で真紅に汚れていた。

 自分の手に、あの感触が蘇ってくる。

 耳の中で、男の声が反響する。

 頭の中で、あの光景が再生される。

「あ、あぁ……、あぁぁ…………」

 俺はやっと、自分がしたことを理解した。

 自分がしてしまったことを自覚した。


「ああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 シンと静まり帰った住宅街に、俺の叫び声が響き渡る。

「っごぼぁ、ぁ!」

 口から血が流れ出る。

「あ、がぁ……」

 血が固まり、ドロドロになった手で頭を抱える。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 自分がやったことを吐き出すかのように、俺はまた叫んだ。

 しかしどれだけ叫ぼうとも、目の前の光景は変わらない。

 座り込む俺と、動かない男。

 叫び声は次第に弱くなっていった。

 けれど叫び続ける。

 何も変わらないのに。

 変わるはずもないのに。

 そして声にならない声は、自分の意識を刈り取るように、己の身を縛り上げた。

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