18回目 転んだ先は過去か未来か
今回も大学には行かなかった。
結果としては、明日香とは今までと同じような会話になってしまったが、事実学校をサボるので、それはしょうがない。特別、朝の会話に意味があるわけでもないのだ。
「さて」
カバンを背負い、俺は家を出る。
と言っても、今までのように、何かを食べに行ったりするわけではない。
お金は下ろさないと足りないが、豪遊するつもりもない。
思い返せば、異常な行動だったような気もする。
死ぬ前にすることがたらふく食べることって、まぁそういう人もいるかもしれんが、俺はそこまで食いしん坊ではないし、他にもっとやることがあるだろう、って感じだ。
キャバクラとかもそうだが、娯楽を否定するわけではないし、死ぬまでにやってみたいことではあったが、死ぬ前にやりたいことではない。
なんであんなことしてたんだろう。
結果繰り返してるから良かった(良くはない)ものの、時間の無駄だったような気もする。まぁ、失敗も大切っちゃあ大切だが。
俺は必要経費だけ銀行で下ろし、コンビニで缶ビール一本を買い、そのまま電車に乗った。
そして。
「行くか」
新幹線に乗った。
窓側に座り、外を眺める。
家も自然も、景色はぼやけるように過ぎ去っていく。
「どちらに向かわれるのですか?」
「……久しぶりだな」
「おや、驚かれないんですね」
「驚かすつもりで出てきたのか?」
「そういう意味ではなかったのですが」
「……どこにいたんだ?」
俺は外の景色を見ながら質問する。
「どこ、と言われても返答に困りますね。なかなか言葉に表しづらいのですが、人間の表現で言うところの『異空間』とでも言いましょうか」
存在自体がフィクションのようなやつだ。今更異空間と言われても何も思わない。
「それでも、ちゃんとアナタの行動は見ていました。なかなか面白かったですよ。それに、前回は色々と転機になったようですね」
「趣味が悪いな」
「仕事ですから」
アイは「でも」と続ける。
「なるべくプライベート色が濃い部分は見ないようにはしていますよ」
「それをどう信じろと?」
「ははは、確かに証明はできませんね。残念ながら」
俺は見られて興奮するタチではない。が、見られているとわからなければ、気にしようがないのも確かだ。マジックミラー……いやこの話はやめよう。
「それで、今回はどちらに?」
「ただいま~」
いつもとは違う鍵で玄関を開けて、中に入る。
「え!? 伊織!? どうしたの急に!」
俺の声を聞いて、リビングから慌ててお母さんが出てきた。
「いや、なんとなく帰ろうかな、と」
「あんた……授業は?」
「…………」
あはは、と笑うしかなかった。
あんたはもう、とお母さんは呆れているが、怒ることはなかった。
「わざわざ帰ってくる必要はなかったんだよ?」
「いいじゃん別に」
どうせ今日しかないんだし、と心の中で呟いた。
俺は和室へと向かう。
イグサの匂いはほとんどしないが、どこか落ち着く。日本といえば、だろう。
和室の奥へと足を運び、俺は正座する。
「まさか親父と同じ日とはな……」
今日は親父の命日だった。
忘れていたわけではないが、普通だったら授業なので、わざわざ来ようとは思わなかった。
「もう十年になるのか」
俺は買った缶ビールをお供えして、りんをチーンと鳴らし、両手を合わせる。
10年前の今日、親父は亡くなった。事故だった。
平日だったけど、親父は有給を取って俺と遊んでくれた。その時の光景は今でも忘れない。俺の中の親父は、キャッチボールをしてくれた親父のまま、止まってしまった。
そしてその日の夜、おつまみを買いに行くとか言ってコンビニに行ったっきり、親父は帰ってこなかった。どこか清々しい顔で出ていったのは覚えているけど、まさか死んでしまうとは思わなかった。幼いながらも、人生何が起こるかわからないんだな、と思った。
まさに今、その何が起こるかわからない状況に俺がいるわけだが。
まぁ、そんな思い出話をしたって仕方がない。今回は家族に会うのが目的なのだ。それを果たそうじゃないか。
「伊織、あんたいつまでいるの?」
「今日中にもう帰るよ。明日は予定あるし」
いつも通り、大学では海の話になっていて、新幹線に乗っているときに連絡がきた。生きていれば、明日は海だ。
「忙しいねぇ。まぁいいけど。お父さんも喜んでいるだろうしね」
「どうだろうね」
授業をサボって何をしとるんだ、って怒られそうな気もするけど。普段は優しかったけど、ダメなことはダメだとはっきりと怒る人だった。サボろうなんて、許してくれないだろうな。そういう意味では死んでて助かった、ってのはさすがに不謹慎か。
「まぁ、一緒にお酒は飲んでみたかったかな」
叶わぬ光景を頭の中に描きながら、俺は缶ビールをもう一本買っておけば良かったと後悔した。
「なぜだ?」
親父に挨拶したあと、俺は二階の自室に向かったのだが、部屋が少し荒れていた。前に帰ってきたのは正月だし、戻る時はちゃんと片付ける。
「心霊現象……なわけないか」
となると。考えられる理由は一つか。これは予想だにしてなかったけどな。
「ただいまぁ」
犯人が丁度帰ってきたようだ。
俺は静かに一階に下りる。
「おかあさん、知らない靴があったんだけど、誰かきt……おにいちゃん!?」
いもうとは俺の姿を見るなり、ひどく動揺した。
「な、なんでおにいちゃんがいるの!? ってか今どこから!」
いもうとの
「み、見た?」
「勝手に漫画読むのはいいけど、ちゃんと片付けとけよ」
「……はい」
夏美ちゃんは気を落としたように見えたが、よく見ると何やら口が動いている。危ない危ない、と言っているようにも聞こえたが、特に追及はしなかった。夏美ちゃんはそのまま階段を下りてくる。
「あ、夏美。おかえり」
「おかあさん、ただいま。でも、おにいちゃんどうしたの? 大学は?」
「サボった」
「何してんのさ。お父さんに怒られるよ」
「どっちの?」
「っ……」
言葉に詰まる夏美ちゃん。
「ごめんごめん、冗談だって。あの人には内緒な」
俺は夏美ちゃんの頭をポンポンと撫でた。
「伊織、あんた……」
「今更もう気にしてないよ。お母さんと夏美ちゃんがそれでいいなら俺はいい。俺だって感謝はしてるしさ。それにすぐ帰るし」
「え、おにいちゃん泊まっていかないの?」
「ああ。明日は用事あるんだ」
「そっか……」
シュンとする夏美ちゃん。
「今日帰るって言っても、もう少しいるでしょ? せっかく帰ってきたんだし、夏美の勉強みてあげてよ」
「せっかく、なのかそれは?」
「少しくらい良いじゃない。あんた塾でバイトしてるんでしょ? それに夏美ったら、あんたと同じ大学行きたいって言って、頑張ってるんだから」
「お、おかあさん! それは言わないで!」
わたわたする夏美ちゃん。「違うの! おにいちゃんと一緒に大学に行きたいとかそういうのじゃないから!」と必死になっているが、どこのツンデレだお前は。まぁ懐いてくれているのは素直に嬉しいけどな。
夏美ちゃんは高校三年生の受験生だ。この時期はもう短縮授業なので、早く帰ってきたというわけだ。
「まぁいいや。どうせやることないし。ちょっとだけな」
「やったぁ!」
さっきまでわたわたしてたのはどこいった? まぁいいけど。
一応俺はおにいちゃんだし、いもうとに構ってあげるのも、兄の仕事なのかもしれない。これが最後、なんて口が裂けても言えないが。
「で、何をやるんだ」
「えーっとね……」
こうして俺は、最期の日にいもうとに勉強を教えることになった。でもたぶん、これが最後ではないだろう。また繰り返すと思う。
明日香のおかげで、家族に会いたいと思えたし、それは紛れもない本心なのだが、やりたいこと、とは少し違う気がする。どちらかと言えば、心残りという方が的確だろう。
家族を大切に思っていないわけではないが、もっと望むものが、俺にはある気がする。
「おにいちゃん聞いてる?」
「え、あぁ悪い。なんだっけ」
「もー。ここなんだけどさぁ……」
「……なぁ」
「ん?」
「なんで夏美ちゃんは、俺のことをおにいちゃんって呼ぶんだ?」
「え? だっておにいちゃんだし」
それが何か? みたいな顔をされた。いや間違ってはないんだけど。
夏美ちゃんはこんなにも歩み寄ってきてくれているのに、俺だけ動けないままでいる。あの人とだってそうだろう。別に嫌いなわけじゃない。避けたいわけでもない。ただ、歩み寄れないだけ。もう少し時間があれば、なんてのはただの後悔でしかないな。動かなかった、動けなかった俺が悪いのだ。それだけだ。
「夏美ちゃんは強いな」
そう言って、俺は五年前にできた『妹』の頭を撫でる。
まぁでも、最後に兄らしいことができたことに関しては、神様に感謝してやってもいいかもしれないな。
「それじゃ、帰るわ」
「もうちょっとゆっくりしてけばいいのに」
「あんまり遅くても、明日の予定に響くからさ」
明日なんてないのだから、いつ帰っても変わらないのだが。でもなんとなく、家族がいる近くで死にたくはない。できる限り、離れたい。
「おにいちゃん、今度はいつ帰ってくる?」
その質問はつらいものがあるなぁ。もう帰ってこれないとわかっているのに、それを伝えることができない。わかってて嘘をつくしかないのだ。こればっかりは、帰省したことを後悔した。
「まぁ、またお盆ぐらいに帰ってくると思うよ」
「ほんと? またその時勉強教えてね!」
「あぁ。またな、夏美」
夏美は、え? という顔をした。そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするな。そんなに驚くことでもないだろう。お母さんも泣かないでくれ。帰りにくいじゃないか。でもこれは、もっと早くこうしていなかった俺が悪いか。ごめんね。
「お兄ちゃん、またね!」
俺はお母さんと夏美に見送られながら、実家を後にした。
「なかなか酷なことをしますね」
「……急に出てくんな」
「今から出ますよ、なんて伝えようがないじゃないですか」
返答を求めての言葉ではなかったのだが、アイのこういう茶目っ気というか、ふざけてる感じがいけ好かない。俺が繰り返しているのを楽しんでいるようにしか見えない。
「これは俺の自己満足だよ。悪いか」
「悪い、なんて言ってないじゃないですか。やれやれ」
何がやれやれだ。こいつとは馬が合いそうにない。
さて、今から新幹線に乗って戻るわけだが、今回は一体どこで死ぬのだろう。
今はまだ夕方だ。死ぬには少し早そうだが、いつも時間が決まっているわけではない。今までは夜にしか死んでないが、昼間に死ぬことはあるのだろうか。
「基本的に、夜まで死ぬことはありませんよ」
「……答えていただきどうもありがとうございますぅ」
「いえいえ、どういたしまして」
笑顔で答えるな、この。
どうやら、それも神の情けのようなもので、できるだけ一日は長く使わせてくれるらしい。
それならどうか、できるだけここから離れられるようにしてください、とでも祈っておこう。今更神なんて信じないがな。
さぁ、次はどうしよう。何をしようか。
「やりたいことを考えてるんですか?」
「そりゃそうだろ」
「なぜです?」
なぜ? こっちこそなぜ? だ。こいつが言ったんじゃないか。
「やりたいことをしないと、死ねないんだろ?」
「アナタは死を受け入れているんですか?」
「は?」
何を言ってるんだこいつは。
「受け入れるっていうか、どうせ死ぬんだろ?」
「まぁそうですけど」
なんなんだこいつは。煮え切らない。
「いやなに、ワタシも同じ時間を繰り返してるのでね」
「監視役なんだから、そらそうだろ」
「……それはそうなんですけどね」
「はぁ?」
何が言いたいんだよ。気持ち悪い。
「なんでもありませんよ。これ以上は言えません」
「だったら最初から言うな」
フッと笑い、アイは消えた。
消えたと言っても異空間とやらで俺のことを見続けるのだろうけど。
アイツのせいで、思考が乱れちまった。
まぁ、次何をしてみるか、なんて、ほぼ決まってるけどな。
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